7.王女襲来(2)
怒り心頭のテロールは、ドカドカと大足で城館に乗り込んだ。
抜き身の小剣を片手に握りながら、セラフィーナの残り香を探るかのように、ゆっくりと無機質な玄関ホールを見渡した。
女の勘――と言うべきか、テロールは即座にバルコニーの上、東棟の通路を睨みつける。
「二班は西側に。わたくしの勘がそっちにも魔女が、姉妹らしいですので、恐らくその姉がいるはず――絶対に捕らえて来るのですわ!」
「姉……は、はいっ!」
セラフィーナがあれならば……と期待したのだろう。
先ほどの夢かとも思えるような光景が心を踊らせ、軽い足取りで向かってゆく。
その情けない男達の背中に、テロールの怒りがますますこみ上げて来る。
「ふ、ふふふっ……断頭台を追加注文しなければならないですわね。
リュク、あなたはあの者の跡を追い、一挙手一投足キッチリッとわたくしに報告なさい。いいですわねっ!」
「は、はいいっ!」
リュクはビシッと姿勢を正すと、大急ぎで西棟へと駆けて行った。
顔を強張らせた十三人の兵隊が、テロールの視線の先のバルコニーを見上げる。
城館の中は古臭いが立派な造りであった。しかし、薄暗くひんやりとした空気のせいか、全体に不気味さが漂っている。その目に“恐怖”を浮かばせながら、テロールはそっと階段のステップに足をかけ、一段一段慎重に登ってゆく。
(大理石の階段なんて、カーペット轢かないと危険ですわよ、全く……)
ブツブツと文句を言いながら、足を滑らせないように一段乗せてはしっかりと確認してから、次の段に足をかける。
前日、セラフィーナが磨いていたため、普段よりも更に滑りやすくなっているのもあるようだ。
そんな彼女が、中段付近に足を乗せ、前にぐっと体重をかけた時である――
「へ……きゃッ、きゃあああああああああッ!?」
「うわああああッ!?」
ガタンッと階段のステップ部分が落ち、テロールを筆頭に兵士たち全員足を滑らせた。
彼女の肉付きのよい身体は、悲鳴と共に勢いよく滑り落ち、後ろにを追っていた兵士を巻き込んでゆく。
まだ階段下に居た者は、何が起ったのか理解できず、転がり落ちてくる人の塊をただ茫然と見つめるしかなかったようだ――それに巻き込まれ、後ろに勢いよく倒れ込んだ。
「えが……ゆ、床がうわぁぁァァァァッ――」
「な、何ですの……!?」
彼女たちには何が起こっているのか、全く理解出来なかった。
後ろに倒れた兵士の一人が、突然抜けた穴の中に飲みこまれた……。何事も無かったかのようも、床は元に戻っている。しかし、兵士やテロールには、遠のいてゆく長い断末魔が耳に刻まれていた。
「な、何が……何が起ったのですの! せ、説明を、だだだ誰かせつめいをなさいっ!」
「え、あ、あ……ろ、ロブが、ロブが……」
「お、“落とし穴”に……」
穴に落ちた者の名前
突然の仲間の失踪……頭に浮かぶ、“最悪の結末”に誰もが血の気が引いてゆくのを感じていた。
(も、もし……もしも、後ろに兵がいなければ……わたくしは……)
あの穴に落ちていたのは、自分だったであろう――。
彼女は奈落に落ちてゆく光景を想像し、身体をぶるりと大きく震わせてしまった。
心の奥が冷え、手足の先まで冷たく、じーんとした痺れ……彼女が生まれて初めて味わう、“死の恐怖”である。
階段を見上げるが、意気揚々とした自分がそこにはいない。先ほどまであった『何でも出来る』との自信は、坂道と一緒に転げ落ちてしまったようだ。
(ですが……このような所で引き下がっては、兄様に会わせる顔がありませんわ!)
テロールは唇を結び、ギッと階段の上を強く睨み付ける。
“恐怖”はあった。しかし、その先にいる“魔女”の首を取って来なければ、との強い意志が彼女を突き動かした。
「行きますわよ――ッ!」
周りが制止するのも聞かず、テロールは階段をぐっと踏み込んだ。
十一段目付近で起こったはずだ、と一気にそこまで駆けあがろうとしたのだが――
「何でですのぉぉぉぉぉぉーーッ!?」
今度は、五段目でステップが落ちた。
先ほどのような勢いはないものの、打ち付けた膝や手などがジンジンと痛む。
顔を真っ赤にプルプルと震わせながら、今度はゆっくりと足元に集中しながら歩を進めてゆく。
カラクリが分かれば、対処する事は可能だ。今度は階段が落ちても滑り落ちないように、テロールの後ろには、手すりをしっかりと握り締めた兵長が構えている。
「ふ、ふふっ、これなら完璧ですわ。
今回は上の方……せっかく頑張ったのに、を狙ったのでしょうが、このわたくしには――」
「姫様ッ、ま、前ッ!!」
「へ……?」
兵長の注意の声に、テロールが顔をあげた瞬間。
視界に柱のような物が迫って来ているのが映り――
「な、何が――おぐっ!?」
「姫様ッ!!」
衝撃と共に、テロールの身体は宙を舞った。
時間がゆっくりと流れる。その浮遊感の中で彼女が理解できたのは、大きな振り子に吹き飛ばされ、死ぬのだな……という“絶望”であった。
何とかしなきゃ――と頭では思うものの、何度も天と地が入れ替わる世界の中では、後ろに控えていた兵士を巻き込みながら、ゴロゴロと転がり落ちてゆくしかなかった。
「う、ぅぅ……」
兵士がクッションになったおかげか、転落によるダメージは少なくて済んだようだ。
死屍累々……巻き込まれた兵士を下にしながら、テロールは呻きをあげていた。
ぐらぐら回り続ける世界の中で『まだ生きている』と分かったテロ―ルは、小さく安堵の息を吐いた。
「い、生きて……ますの……い、痛いッ!?」
「姫様ッ、動いてはなりませんッ――」
しかし、そう思ったのもつかの間――彼女の顔に激痛が走った。
駆け寄った兵士たちが騒然と、どこか蒼ざめた表情で見下ろしている。
一体何が起こっているのか……痛む箇所に手をやると、
「いけませんっ、触っては――」
「な、何ですのこれ……も、もしかして、ち、血なのですの!?
こ、こんなに、こんなに一杯……これはわたくしの血ですの……っ!?」
ヌルリ……とした感触と共に、手が赤黒い液体で染まっているのが分かった。
指先から指の付け根まで、触れた箇所にもまだねっとりとそれが絡み付いている。
視覚で理解して、初めて頭に“感覚”が浮かぶと言う。テロールの頭に、『大量の血が出ている』と理解した瞬間に、そこから“痛み”の信号が送られて来た。
「い、痛いっ、痛い痛い痛いッ――……」
「だ、大丈夫ですッ! ただの鼻血と口が少し切れているだけでございますッ!」
お、落ち着いてくださいッ、暴れては駄目ですッ! おいっ、姫様をつれて一度外へ――!!」
傷薬は持って来てはいるものの、この様子では一度引き返す方が良い――。
そう判断した兵長は、痛みで悶えるテロールを必死で抑えながら、抱きかかえるようにして外に連れ出してゆく。
・
・
・
それから約一時間後――。
思わぬ醜態を見せたテロールは、眼と顔を赤くしたまま玄関扉をじっと見つめていた。
血は拭ったが、まだあちこちに痛々しい赤い跡が残る。
周りには彼女を連れ出した供回りと、悲鳴を聞きつけ、引き返しして来たリュクが控えているが、それ以外は居ない。
中で戦っているとは思えないほどの静けさに、その場にいる者たちの顔にも焦りが浮かび始める。
「……むう。遅いですわね」
「僕が行った時も誰もおらず、しんとしてました……」
「もう捕らえたのかしら? まさか、“お楽しみ”なのでは――」
「お、『“お楽しみ”』って、捕えると何かあるのですか?」
「……女のわたくしに言わせるおつもりですの?」
訳も分からず叱られたリュクは、反射的に身を縮めていた。
テロールは、先ほどの姿を見れば無理もないが、男たちの野蛮な行いを許したわけではない。
それでも王女を優先しないと言うことは、その程度にしか見られていないのかもしれない……と、胸の中で憂鬱なため息を吐いた。
(もしこれが兄様なら、皆は言う事を聞いたのかしら?)
そう思うと、無性に腹立たしくなった。
もし帰って来たら、何をしていたか問いただし、全員クビにしてやろう――と心に決めてはいたが、待てど暮らせど城館は静かなまま、ただ時間だけが過ぎてゆく。
肌寒さを感じて来た頃になって、ようやく“最悪の結末”が頭をよぎったが、不気味に暗い建物の中に再び入る勇気は起きない。
いつか帰ってくるだろう――。
後ろ髪を引かれる思いのまま城へと引き返したが、その思いは空しく、兵士たちはついに帰って来なかった。