3.ヴェールの下には――
翌日から、セラフィーナたちは“客人”を招き入れる準備に取りかかっていた。
明かりのない薄暗い玄関ロビーでは、改良が施された<マジックスフィア>が入った箱と、L字に曲がった鉄の棒が置かれている。
「じゃあ、姉さんの分はこれね――」
セラフィーナはそう言うと、<マジックスフィア>の箱をミラリアの前に置いた。
姉妹で半分ずつ。既に改良は施されてあり、後は魔法を込めるだけであるようだ。
「――これに魔法をかければ良いのですね」
「うん。感知式だけど、私たちとブラードには発動しないようにしてあるわ」
「感知する範囲はどの程度なのですか?」
「うーん、大体この床石一枚分ぐらいかな。あまり広いと効果が薄いからね」
セラフィーナはそう言うと、玄関ホールに敷き詰められている、四十五センチ角の床石を指さした。
「分かりました。私の方でも改善点があれば、勝手に変えますが……大丈夫ですよね?」
「うん。近づくか、圧力がかかったらブーストして、ボンッ――にしてあるだけだから、それさえ弄らなければ大丈夫よ」
それを聞くと、ミラリアは小さく頷いた。
それぞれが使う魔法の“質”が異なるため、自分の棟は自分で守る――どこに設置するか検討し合った結果、そう決定されたようだ。
ぶっつけ本番でもあるため、まずは罠に対して敵がどのような反応を示すかが課題である。
「……それで、設置方法は?」
「あ、あはは……姉さんの<パワーグラブ>の出番かも……」
「はぁ……やはりそうでしたか。
貸しておきますので、こればかりは自分でやってくださいね」
「はぁーい……」
ミラリアはそう言うと、ポケットから黒い手袋の<パワーグラブ>を取り出し、妹に手渡す。
彼女はあまり力仕事をしたがらない。それどころか、運動すらしたがらないのである。
それでもどこか期待していただけに、セラフィーナは少しガッカリした様子を見せながら、受け取るとそれを手にはめ始めた。
「――じゃ、終わったら返すね」
「分かりました。……ですが、くれぐれも
「わ、分かってるって……」
釘を刺されたセラフィーナは、思わずたじろいでしまった。
この<パワーグラブ>は、非力なミラリアでも楽に扱えるよう、セラフィーナの手によって更なる改良が加えられ、元のそれとは比べ物にならないほどの代物となっている。
思っていた以上の出来に、彼女はこれを気に入ってしまった。それがどこでバレたのか……姉の目を盗んでは勝手にこれをはめ、岩投げなどをして遊んでいたのだ。
ミラリアの背を見送ってから、セラフィーナは鉄の棒を握り締め、早速準備に取り掛る。……が、いきなり敷石を外すような事はしない。
入口に立つや、彼女はそっと目を閉じる。真っ暗な闇の中で、イメージするのは盗賊になった自分――。
それはまだ外見だけの人形だ。そこに、“命”を――彼らの原動力となる“欲望”を与える。
前に来たのは、“情欲”と“金”で動いていた。矢に神経毒を塗ってあった事から、極力無傷で手に入れたい“欲”があったため、慎重な行動を取っていたのだろう。
だが、次は違うはずだ。
(いきり立っていれば、今度は“恐怖”――。
もし手ぶらで帰れば、その役に立たない手を切り落とし、命令を聞いていない耳を、言葉を理解できない頭を切り落とされるかもしれない。そのような“恐怖”が根底にあるはずね。
……そうすると、私たちを『倒す』事だけを考える。つまり、数に物を言わせ、強行突破で来るはずだわ)
彼女は目を瞑ったまま、玄関ホールをイメージし、“セラフィーナ”と言う獲物を追う。
そこに“魔女”と言う慢心はない。あらゆる可能性を試しながら、己を追った。
(メインは“セラフィーナ”を捕える事、私の方に多く人数を裂くはずね。
だけど最初から姿を隠していると、姉さんの区画に向かう敵も増えるから――)
白い大理石の階段を、その先の通路を、一つ一つの空き部屋……様々な場所で、何度もトライアル&エラーをシミュレートしてゆく。
逃げ切る事は失敗だ。しかし、目的は逃げる事ではない。
“セラフィーナ”を捕え、暴力・強姦する事が成功であり、何度も“己”を凌辱させ続ける。
そこに不快感はない。ゆっくりと閉じた瞳で首を動かし、時には場所を確認するように、指を指す――。
(よしっ――)
全ての可能性を試し終えれば、今度はそれを実行に移すだけである。
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セラフィーナの汗が、灰色の床にポツリと落ちた。
きめの細かい滑らかな肌には、珠のような汗がまだ大量に浮かび上がっている。
作業開始から数時間……床石や壁石の一部を剥しては、<スフィア>をはめ込む――これだけのはずだった。
乳酸が溜まり、時間と共に作業能率がみるみる落ちてゆく……予定ではもう既に終わっていてもおかしくないのに、三分の一しか進んでいない。
「えぇっと、次はここの壁石ね――
あぁ、ここも削らなきゃいけない……しんど……」
綿密な計画を立てたのは良いが、肝心な“行程”を飛ばしていたのである。
ミラリアの<パワーグラブ>があっても、彼女自身の疲労が軽減されるだけなのだ。
三枚目あたりから飽き始め、敷石をはがすのも嫌になって来ていた。床石の下が土であればまだ楽なのだが……現実はそう甘くなかった。
ノミとハンマーで剥した石を削り、“魔法”を込めた<スフィア>をはめ込む――この作業が想定外だった。
だんだんと慣れ始め、手際がよくなってきた自分が嫌になってきている。
「ここのブロックを、よっ――と」
積み上げられたブロックを抜き取るように、ぐっとそれを引抜いた時であった。
「……って、まただ、一体何なのよこれ?」
作業中、セラフィーナは疑問に感じている事があった。
壁のブロックの後ろに、まだブロックがある――しかも、今回に限っては、錆びた鉄板のような物が貼られているのだ。
訝しむように眉をひそめながら、慎重にブロックの下を露わにしてゆく。
じわりじわりと明らかになってきたのは、全体に茶色の錆びが回った一メートルほどの鉄板だつた。
「城館の中に城館を作った……な、わけないわよね?」
錆びた鉄板は、明らかに何かを覆い隠している――。
しかも、そこには文字が刻まれており、一部分であるが何とか読めそうだ。
【お※さま、あのメッセージが解※できま※た】
【……です※、何のことか※く分かりません】
【とりあ※ず、こ※裏に記載し※※※ます】
それを見たセラフィーナは、壁石と鉄板の隙間にノミを入れ、四方に打ち付けられた釘を外してゆく。
バキッ……と、強引な音と共にはがされた下には――。
「給水口……にしては大きいわね?
あ、鉄板の後ろにも何か書いてあったわね……なになに?」
【命の対価を捧※よ――】
【五……水】
【十※……解放】
【五十……※鍵】
【他にも※か存在して※るよう※す】
セラフィーナは戦慄するのを覚えた。錆びて殆どが読めなかったが、その『命の対価』との言葉に思い当たる物があったのだ。
今一度、壁の方へ視線を向けると、給水口の上には不自然な隙間が設けられていることにも気づいた。
(や、やっぱり……これって、“メダル”の投入口なんじゃ……)
その“メダル”は姉が所持している――。
セラフィーナは鉄板を放り出すと、姉が作業しているであろう西棟に向かって大急ぎで駆け始めていた。