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2.ご機嫌取り

 夏の終わりと言えど、まだ残暑が厳しい。
 吹く風にはどこか冷たいものが混じっているが、秋の訪れはまだ先であるようだ。その風が草木を撫で、ざわざわと寂しげな音を立てる。
 いつもの露出の高い姿をしたセラフィーナは、朝から庭の噴水の縁に腰かけ、保存食作りに精を出していた。露わにされている腹や腰からは汗の珠が浮かび、つっ……とハリのある肌を滑り落ちる。

 城館をくまなく探索したところ、最も陽だまりの良い場所は噴水の辺りのようだ。
 彼女は額にも汗を浮かばせながら、昨日大量に採って来た木苺を等間隔で並べてゆく。
 よく乾くよう、木苺は半分にカットしてある。そのままでも良かったが、あまり大きすぎると中がそのままのセミドライ状態になり、日持ちさせづらい。それに、殆どはミラリアの紅茶とそのアテにされるため、完全乾燥させた方が扱いやすいのである。
 備えあれば憂いなし――食糧の心配はまだいらないものの、彼女はこう言った所は堅実であった。

「ふぅ……これでひとまず完成ね」

 ドライフルーツの作り方は至って簡単である。ただ切って天日干しにするだけだ。
 表面が乾いたら、次は反対側……これを二、三日続ければ完全に乾燥する。

「んんー……。次が大変なのよねぇ……」

 目を閉じ、ぐーっと身体を伸ばしながらそう独り言を口にした。
 噴水を離れ、ゆっくりと玄関扉の方へ向かってゆくと、そこには彼女が湯沸しや調理に使うグリルよりも、まだ更に大き目の缶が置かれている。
 横扉を開き、中のチェックを終えると、今度は玄関扉から中を覗き込みながら、大きな声で姉を呼んだ。

「姉さん、準備できてるーーっ?」

 まるで娘が母を呼ぶようなそれに、ミラリアはパタパタを音を立てながら、肉の塊が入った容器を手にしてやって来た。

「――はいはい、出来ていますよ」

 それらの肉は、先日ブラードやセラフィーナが獲って来た、野兎の肉だった。
 ミラリアは塩漬けにしていたそれを、セラフィーナがドライフルーツを作成している間に、塩抜き・乾燥させていた。
 セラフィーナはそれを受け取ると、手際よく金串を通し、缶の中に次々と吊るしてゆく。

「――ん、よし! じゃあ作っていくね。クルミでいいよね?」
「はい。()()()でなければ何でも構いませんよ」
「うっ……あれは、凄かったね……」
「ええ……さすがの私でも、燻製が嫌いになりそうでした……」

 ミラリアの言葉通り、彼女たちは燻製を作ろうとしていた。
 以前、燻製用のチップがなかったため、あちこちで拾い集めた枝でそれを行ったのだが……何とも言えない複雑な風味が口内に広まったのだ。今回はそのような事がないよう、ちゃんとした燻製用チップを事前に用意してある。
 串に刺した肉と、チップを入れた皿をセットする。そして、セラフィーナは<マジックスフィア>を取り出し、じっとそれに“魔法”を唱え始め――湯を沸かした時と同じ、ごうごうと橙火を灯し始めた。

「よし。これなら二、三時間ぐらいでいけるかな。
 その間、何を――ああそうだ」

 セラフィーナはふと何かを思いつき、姉の方をチラりと見やった。

 ・
 ・
 ・

「はぁ、やっぱりお茶は美味しいですね~」

 燻製が出来上がるまでの間、二人はもくもくと煙が上がる缶を眺めがながら、お茶を楽しんでいた。
 どこかをほっつき歩いていたブラードも戻って来たようで、テーブルの横で神妙な面持ちで控えている。

「ふふっ、フィーちゃんの口から、“ミッドデイ”のお茶をしよう、と言ってくれるとは思いませんでした」
「あ、あはは……ちょっと喉が渇いてね……」

 ミラリアは声を弾ませながら、紅茶の入った茶筒とお気に入りのティーポッドを取り出し、いそいそと準備を始めている。
 “ミッドデイ”は午後三時頃に飲むそれであり、ティータイム狂のミラリア曰く、

 ・アーリー・モーニング(寝起き)
 ・ブレック・ファースト(朝食)
 ・イレブンシズ(昼食前、十一頃)
 ・ミッドデイ(三時頃)
 ・アフタヌーン(おやつ、四時から五時頃)
 ・ハイ(夜六時頃)
 ・アフター・ディナー(夕食後)
 ・ナイト(寝る前)

 主に八種類のティータイムがあり、セラフィーナは度々それに付き合わされてきた。
 全てに付き合うと発狂しそうになるため、主に朝食やおやつの時間に共に過ごすぐらいであるが、今回はセラフィーナから『お茶をしよう』と持ちかけたのだった。

 これには、彼女の盗賊を呼び寄せた事から始まる、数多くの“失敗”もある。
 しかし、野兎をくくり罠で捕えた時、セラフィーナは『これだ!』と閃いた事が大きく関係していた。

 ――罠を仕掛けよう

 彼女は狩りから帰ってくるなり、姉にそう提案した。何もこちらから仕掛ける必要はない。こちらは向こうがやって来るのを、ただ待てばいいのだ――と。
 難しい顔を浮かべた姉であったが、確証を持ったセラフィーナが取る行動は一つだった。彼女は<マジックスフィア>だけを手に、すぐに部屋に籠り始めたのである。

 セラフィーナは何かを思いつくと、“そぞろ神”に憑かれたように、心ここに非ず、他の事にはまるで手につかなくなるのだ。
 その様子に、ミラリアは『またか……』と息を吐いた。
 これは、“灰の魔女団”特有の気質でもある。彼女たち“灰の魔女団”は、“白の魔女団”や“黒の魔女団”と比べ、あまり多く・強力な魔法が使用できない。それを補うべく発明されたのが、姉妹が使う“魔法道具(マジック・アイテム)”なのだ。
 次第に“灰の魔女団”は、魔法研究よりも道具開発に時間を割くようになり始めた。
 多くの道具の中でも、セラフィーナが持つ<マジックスフィア>は特に優れた道具である。込められた魔法の力を何十倍にも増幅させられるだけでなく、それを維持させられる代物だった。

 しかし、許容量を超えると魔力を維持する事が出来ず、破裂する恐れがある――。
 セラフィーナはそこに目をつけた。<スフィア>の改良作業は五日に渡り、試作品が出来上がると、すぐにその実験を行うのが日課となっていた。

 だが、すぐに結果が出るはずもない。実験を重ねる度に野兎やイノシシ、破損した<スフィア>ばかりが増えてゆく……。
 食糧が増えるのは喜ばしいが、<スフィア>に関してはそうはいかない。熟練した高位の魔女でなければ作れないため、それらの単価がめちゃくちゃ高いのだ。
 一つで数年持つ物が、この五日で既に七つほど破損……このまま何も成果を得られなければ、ミラリアに大目玉を喰らうどころではない。
 今の所、目を瞑ってもらっている。……が、一個破損させるごとにとんでもなく大きなため息を吐かれ、<パワーグラブ>をはめたその手で、残骸を粉々に砕き始めるのであるのだ。
 ――失敗作は九個。姉の機嫌を取るには、共にお茶するしかない。

(紆余曲折あったけど……ついに出来上がったわ!)

 二桁に到達した時がこの世の別れ――そんなプレッシャーの中、ようやくそれが完成した。
 しかし、これはまだ準備段階を終えたにすぎない。大事なのは結果であり、思った以上の成果が出せなければ意味がないのだ。

 期待と不安を感じていた時……セラフィーナは、ふっと甘い香りが漂っていることに気づいた。
 気が付けば、目の前に紅茶が置かれていた。その中には、先ほど干していた木苺が三つほど沈んでいる。
 ラズベリーティーにしたようだ。彼女は慌ててそのカップを手に取り、啜り始めた。

「熱ちちっ――」
「ふふっ、ゆっくりでいいんですよ。お茶はのーんびり、楽しく飲むのが一番です。
 フィーちゃんといる時は、ずっとお茶会をしているようなもの――例えフィーちゃんが勝手な事をして、問題を起こしてもそれは変わりません。
 失敗は成功の母なのですから。お姉さんは別に、怒ってなぞいませんよ――」
「あ、あはは……な、何のことかなぁ……」
「あらあら。ふふっ、何のことでしょうね」

 目を閉じて優しく微笑む姉を前に、セラフィーナは目を逸らしながら、匂いも味も分からぬ紅茶を静かに啜り続けるしかできなかった。

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