1.株を守りて兎を待つ
この日のセラフィーナは、片手にボウガンを握り締め、森の中でじっと息をひそめていた。
ざわざわと木々を撫でた
(はぁ……この時間が退屈なのよねぇ……)
息を殺し気配を断つこと数刻――頭はぼうっとし始め、今にも悟りがひらけそうなほどだ。
彼女のとび色の瞳の先には、枝がアーチ状に組まれ、その正面には輪状になった小さなツルが土の上を這っている。
野兎を捕える罠――地を這うツルは、蛇のように|撓(たわ)んでいるが、組まれた枝をストッパーに、そこからピンと空に向かってピンとツルがのびる。獲物がここを通過すると、ストッパーが外れ、跳ね上がった縄が兎の足を捕える、と言った罠である。
しかし、切り株にぶつかる兎を待つのと同じ気分だった。いくら待てども獲物は来ず、蝶々がそこで羽を休めるほど、その周囲一帯は穏やかである。
本来は、仕掛けた翌朝に確認しに来るような罠であるが、今の彼女には、獲物が掛かろうが掛かるまいがどちらでも良い。
ゆっくりと今後の事を考えられるので、返ってこちらの方が好都合である。
(五人の死体が消え、五枚のメダルが出て来た――)
あれからセラフィーナは、しばらく頭を悩ませた。
問題が山積みである。ミラリアはそれ以上言わなかったが、メダルを発見した時、『
それは、他に不安要素があると言う事――彼女には思い当たるフシがあるのだ。
(……やっぱあの男、か。まさか、ここまで意地になって来るとはね。
金持ってるかどうかで決めたらダメだなぁ……不潔なのは中身も薄汚いわ。
いくら私と姉さんでも、一斉に来られたら難しいし、どうしても館内が荒らされちゃうし……)
何かを壊されでもしたら大変だ、と考えていた。
城館の“謎”に対する恐怖はない。それよりも、その“報酬”に興味が向いているようだ。
ミラリアの言葉通り、彼女は金に関する嗅覚は鋭く、城館のどこかに“お宝”があると感じ取っていたからだ。
(“城館”が
となれば、中を荒らされないようにしつつ、敷地内で全て仕留めなきゃならなきゃいけないのよね……)
難しい注文だった。ここで重要なのは『いかに効率よく相手を仕留めるか』である。
多少の侵入を許しても構わないものの、数が増えれば増えるほど、こちらが不利になってしまう。
森の中で死んだ盗賊がカウントされていない事から、“死体を喰らう”のは格子門の辺りまでだろう。
出来るだけ庭で食い止めねばならない中で、次々とやって来る敵を撃退するには、それこそ戦争に近い規模で戦わなければならない。
“魔法”を使えば可能だ。しかし、“魔法”は回数制限がある上に、使いすぎれば動くことすらままならなくなる。“魔法”で対処する事は、あくまで一時しのぎでしかないのだ。
姉・ミラリアの“魔法”は強力であるものの、彼女の“魔法は”
(はぁ……。せいぜい十人ぐらい、順番にやって来てくれたら私一人で……ん?)
重いため息を吐いた直後だった。茂みがガサガサと小さく揺れたと思うと、野兎がピョコッと顔を覗かせたのである。
セラフィーナは、鼻をピクピクと揺らすそれをじっと見つめている。茶色の毛をしたそれは何とも可愛らしいものだが、彼女は姉とは違い、“食糧”を愛でるような殊勝な心なぞ持ち得ていない。彼女の目の前にいるのは、ただの “獲物”である。
狩りでは“魔法”を使わない。むやみやたらと使いたくないのもあるが、自分の思惑通りに相手を動かし、慌てふためく姿を見る事が醍醐味だからだ。
(よしよし、可愛い兎ちゃん。そこから右に向かって走りなさいな。
ああ、違うわよ、右よ右……んもう、しょうがないわね。
お姉さんが場所を指示したげるわ――)
“魔法”の代わりに近くにあった小石を握ると、ヒュッ……と野兎の後ろに投げた。
野兎はセラフィーナが投げた石に驚きし、野兎が脱兎のごとく駆ける。彼女の
それは、一瞬だった――。くくり罠に設けられたストッパーが、パチンッと弾け飛ぶと同時に、野兎が小さく鳴き声をあげた。
「やりぃっ!!」
セラフィーナは胸を躍らせながら、暴れる野兎に近づいてゆく。
ぶらぶらと揺れる野兎は、必死で宙を蹴る。しかし、いくらその俊敏な脚を持っていても、空気は足掛かりにはならない。
彼女にとって、“狩り”と“恋”は同じであった。彼女の罠にかかったこの野兎のように、身動きが取れなくなった“オス”を弄ぶ。
「ふふんっ! やっぱ、罠っていいわね。
向こうからやって来るのを待つだけで、獲物が手に入るんだもん。
それに――ん?」
野兎の骨が折れる音と鳴ったかと思うと、彼女はそのままの恰好で固まってしまった。
言いかけようとした言葉に、彼女の中で何か閃くものがあった。
「そ、そそそ、そうよっ! この手があるじゃないっ!
これなら……これなら、私と姉さんの二人でもやれるはずよっ!!」
だらり……と既に息絶えた兎の首を握り締めたまま、セラフィーナはそう叫んだ。
彼女に『検討』と言う言葉はない。案が出れば、あとは実行に移すだけである。
帰りに木の実も採ろうかと考えていたのは忘れ、大急ぎで森を駆け始めた。
◆ ◆ ◆
一方、賊の根城のある廃坑では――。
「ふ……ふざけやがってっ、あのアマァ――ッ!!」
それらを統べる頭領・ランバーの怒声が、坑道中に響き渡っていた。
部下の全滅の報と、魔女からの“贈り物”にランバーは怒り心頭であるようだ。
目の前に置かれたのは、男の頭部と腰部が置かれている。それは魔女を捕えに行けと指示し、帰って来なかったた部下の
その腰の後ろ……臀部には、魔女が使用する呪いの印と共に――
【これで慰めていなさい】
と、メッセージが掘られていたのである。
「お前ッ、これをどこで見つけたッ!」
「ひッ……!?」
抑えきれぬ怒りが、それを見つけ運び込んだ部下にぶつけられる。
「かか、街道の脇の坑道に、お……置かれてありましたっ……!
ま、周りには誰もお、おらずっ……女と思わしき足跡があっただけで……!」
「ぐぬうううううッ――!」
「ひぃぃっ……」
「表の奴らに、こいつが連れて行った数の倍――いや、三倍の兵隊を連れてあの女を捕えて来いと伝えろッ!
もう、手足の一本や二本ぐらいは構わねえッ! 許しを請う口さえあれば良いッ!」
「へ、へいっ……い、今すぐにっ!」
部下は逃げるように部屋を後にしてゆく。
ランバーは部屋に残された、部下の末路を忌々しい眼で睨みつけている。
魔女の“魔法”によって腐敗しないのだろう。新鮮なままの遺体から発せられる血と汚臭が、彼の怒りを増長させた。
ドッ――と、音と共に転がったそれは、別の配下の者が回収にやってくるまで静かに坑道に転がり続けていた。
「くそっ――」
ランバーは、もさもさの髪を荒々しく掻きながら玉座に腰をかけた。
良質な鉄が取れたため、ここには廃坑が多い。この一帯は、かつて『ドワーフの住む山』と呼ばれていおり、毛むくじゃらの彼の風貌は、まさに“ドワーフ”その者である。
強欲ゆえにその身を滅ぼした逸話と同じく、このレゴン国も“欲”によって滅びた国だった。
豊富な資源を活かし、戦争に明け暮れた時期がある。
最初は己の国を守るため、民を守るためであった。しかし、攻め滅ぼした国から金銀財宝を得るようになった頃には、その想いもすっかり失われてしまっていた。
鉄は“金”となる。己はまさに
しかし、盛者必衰――皮肉にも、“金”に憑りつかれた王は、ドワーフと同じ末路を辿る事となる。
己の力を過信した愚かな王は、家臣の声に耳を貸さなくなった。
鉄の採掘量が減り始めているとの諫言を聞き入れず、金に溺れた王の国は衰退の一途をたどり、ついには国も命を失う事となったのである。
(確か、あと残っているのは“金の盾”だったか――?
捕えて、自我が残ってりゃ聞き出してやるか、くくくっ……)
滅んだ国がどうしてまだ残っているのか? それは、“愚かな王”の“
“金”は亡者も呼ぶ。レゴンが滅んだあとは、ここから北部にある【シントン国】が治めることになったのだが、“愚かな王”があちこちに隠した“遺産”を巡り、争いが頻発したのだ。
人間同士・賊同士の争いが続き、ついに統治すらままならなくなった頃、“愚かな王”の子孫が立ち上がった。財産の一つである“金の具足”を差し出しながら、『レゴン一帯を管理させて欲しい』と――。
“財宝”だけが欲しかったシントン国には、願ってもない申し出だった。
それから歳月を経て、再びレゴン国が復活した――。
<愚王の遺産>はまだまだ遺されていると言われ、どうにか金と権力にありつこうとした亡者の末裔が、このランバーなのであった。
しかし、彼に先祖のような情熱はない。
彼にとって、夢物語よりも目先の金と女――先日、その最高の女をついに見つけた。
……が、その女・セラフィーナによって、彼は