ホテルからの生還
ドアがノックされる音で目が覚めた。
最初に見えた物は、シャンデリア風の照明器具とアイボリー色の天井であった。
頭がクラクラするので、それだけでは何処にいるのか見当も付かない。
音のする方を見ると、紺色の制服を着たホテルの従業員のような若い女性が立っていた。
「お目覚めですか?」
俺はまだ全身が
「ええ。……それより、ここは何処ですか?」
「駅前のビジネスホテルです」
「俺、何故ここで寝てるんですか?」
「お疲れで起きられないから、とのことでしたが」
「そう言いましたっけ?」
「お連れの人から聞きました」
『お疲れ』の訳がない。
麻酔のような薬で眠らされていたのは間違いないが、それをこの従業員に説明してもしょうがないだろう。
「今、何時ですか?」
「13時30分です」
「ええええっ!」
14時集合だったことを思い出した。遅刻は絶対にマズイ。
「なんでもっと早く起こしてくれなかったんですか!?」
上体がなかなか起きない。
体で弾みを付けたり、もがきながら、やっとの思いで両肘を付ける高さまで起き上がった。
「13時30分になったら起こしに来るように言われましたので」
「言っていない」
「こちらのお部屋を予約されたお連れの方からです」
体に弾みを付けて上半身を起こした。下を見ると少し固めのシングルベッドの上にいることが分かった。シーツはそれほど乱れていないので、身動き出来ないほどグッタリしていたのであろう。
「お帰りですか?」
「ええ」
「お代は済んでいますので」
「ありがとう」
何としてでも、時間までに集合場所へ辿り着かないといけない。
車の外から見えていた風景の記憶を頼りに、ガードレールを
(20分で辿り着けるか? ヤバいかな?)
人が歩く速さが時速4キロだとして、おそらく今の歩きだとその半分の速度しか出ていないだろう。車の速度が時速50キロだとして25倍。通り過ぎて1分くらいでホテルに着いたから、ここから25分。
(無理かも……)
算数の計算をしていたら、体力まで消耗した気分になった。余計に足が鈍くなる。
厳罰を覚悟で歩いていると、歩道の向こうから誰かが右手を高く上げて大きく振りながら走ってくるのが見えた。
濃い緑の服を着た関係者だ。
(知り合いか? 誰だろう?)
頭がボーッとしているので、顔が判別できないのだ。
その人物が口の周りに手でメガホンを作り、大声を出す。
「マモルさ~ん!」
ミキの声だった。
その声に安堵して、足が止まった。
彼女が走り寄ってきて、「急いで!」と言いながら肩を組み歩き始める。
足の紐が外れた二人三脚状態だったが、ミキの力で前より速く歩けるようになった。
「ゴメンな。12時に間に合わなかった」
「最初は無視されてヒドイなと思ったけど、きっと何か理由があると思って」
「大ありだよ」
「どうしたの?」
「途中でリクに会った」
彼女がビクッとしたのが肩を通じて分かった。
「駅まで送る、と言うので車に乗ったら、お守りをくれて、その後……おそらく麻酔を打たれた」
「麻酔?」
「そして、そこのビジネスホテルに、連れ込まれた」
「何されたか覚えている?」
「今から言うことに怒らないでくれ」
「内容によるけど」
ミキは眉を八の字にした。そして、何かを覚悟しているかのようだった。
「たぶん、そんなんじゃない」
「どんなのよ?」
「高校生にはまだ早いことを思っているだろ」
「思ってないわよ」
「俺は、あれはまだ早いと思う」
ミキは足を止めてこちらを心配そうに見た。
急に止まったので
「何ですって!? 『まだ早いこと』をしたの!?」
「そう怒るなって」
「されたことによっては怒るわよ!」
「実は……リクは結婚式と言っていた」
「はあ!?」
「それで麻酔って、意味が分からんだろ?」
「……」
ミキは渋い顔をして少し考えていたが、意を決したように駅の方向を見て再び歩き出した。
俺も従った。
「麻酔は、逃げられないようにするためね」
「やっぱりそうだよな」
「それだけならいいけど」
「何心配している?」
「失敗したぁ! 悔しい! あの人形女!」
(人形ちゃんに人形女か……)
「マモルさんみたいに、未来人に時間を巻き戻してもらいたいわ」
「巻き戻す? 誰に??」
「それより、お守りもらったって?」
「ああ」
「そんな物、捨てて。麻酔打った人のでしょう?」
「前に、お守りのおかげで生きて帰れたからなぁ」
「いいから捨てなさい」
(うーん、縁起物だからなぁ……。粗末に扱って罰当たるのもイヤだし……)
「あ! もう見えてきたから急ごう! 早く早く!」
駅前に2台のトラックが止まっているので、俺達は急いだ。
時計は13時58分。
助かった。