伴奏曲 10
シェフが肉汁たっぷりのステーキ肉などを焼いてくれる。が、そうも食べてばかりもいかない。
「少し疲れました」
置かれたベンチに神父が腰掛けた。年齢を聞くのもどうかと安藤は躊躇う。もう70歳を軽く過ぎていても可笑しくないように安藤は感じられる。日本語は流暢だ。
神父の世話をするものがいる。ターニャと呼ばれている。日本語は多少たどたどしいが神父の影響か、日本語はそれなりに話せる。神父が倒れたときターニャがこの島の主となる。
日本のように敢えて終戦記念日を作る必要はない。あずさのことは、この島では子供に読み聞かせる絵本のようになっていた。自転車でぐるりとこの島を周って思ったが、ジクソーパズルのようにあずさを散りばめた逸話がたくさんあった。
挙式の時、新婦がウエディングアーチをくぐった。正しくいうのなら柳のように垂れた亜熱帯独自の房のようなカーテンをくぐった。
安藤ならそう描き表現する。潮風に揺れる房に散りばめられた花が悲しくも煌いてみえるから不思議だ。
今にも「あのね」と、話しかけてきそうな気がして安藤はならない。
ハワイにあるようなハイビスカスの木立のなかに後から植えられただろう木立がウエディングアーチの変わりになっている。
添え木をしたのだろうか、どこかここには風変わりな木立に見える。
なにかが語りかけてきそうでこない。ターニャは名前が可愛らしく感じるが、元傭兵だ。女性コマンドが本当に実在していたとは安藤はとても信じられないでいた。
もう一人のあずさと呼ばれている。小麦色に焼かれた肌が瑞々しい。戦争孤児の世話をターニャは率先している。顔に大きな切り傷が残っている。安藤が推測する年齢は40代半ばだ。
ターニャはこれからを祈り捧げて生きていくと言う。戦争孤児達に惜しみない母性をターニャは与え続ける。戦争孤児達も本当の母親にようにターニャに懐ききっている。
ここには、いつ勃発してもおかしくない内戦に怯え慄いた日々などない。生まれ過ごした日から内戦の日々であったターニャにとって戦うことは当たり前の出来事であった。傭兵を生業としている日本人がいると聞いて安藤は驚いた。驚く安藤にそんなことで驚いていたらバウンティハンターですら有名な日本人がいる。