12.淫欲の悪夢(始末)
店の中は暑く、ずっと動きっぱなしのウェイトレス達は汗だくになっていた。
僅かな休憩の後に“夜の営業”が再開されたが、その間も水浴びをする事おろか、汗を拭うことすら許されていない。
そのせいで、時間と共に食堂の中は次第にムワリとした熱気、女たち臭気と強いメスの臭いで満たされてゆく。
汗などの有機的な匂いが好きなベルグも、これには顔をしかめた。そもそもあれは、レオノーラやシェイラの匂いだから好きなのである。
「何ともうざったらしい豚小屋よ――」
“夜の営業”に関しては、まず受付けにいる女に“オーダー”をする。
メニュー表には昼間見た“ウェイトレス”の名が記され、そこから番号か直接指名をして“代金”を支払う。そのまま奥の個室に案内され、注文を受けた“ウェイトレス”がその部屋に“水浴び”に行く……と言うシステムであった。
店に来た客の多くが、シェイラの名を口にしているようにも見える。
《ウェアウルフ》の老犬も、この
「ま、領主が領主だからのう……。代わりとなりそうな良い奴はおらんか?
もっとこう、大っぴらに男と女が乳繰り合える場にしてくれる奴とか」
「そんな奴は、真っ先にブチのめしてきたが――これよりマシな統治を行えそうな者なら、一人知っている」
昼夜問わず忙しく働く女たちに、ベルグは改めて『職業に貴賤はない』と認識していた。
好きでやっていようが、嫌々でやっていようが、彼女たちは“商売女”として嬌態を演じている。
あまり好ましき世情ではないものの、それはいつの時代だってあるものだ。
そんな彼女たちをちゃんと保護してくれる者であれば、別に構わないと考えている。
それを聞いた《ウェアウルフ》の老犬は、大きく頷き相好を崩した。
「そうかそうか! ――なら、そろそろ“戦争”になるかの?」
「貴公ならどうする? 俺の目に狂いが無ければ、懸命な判断が出来ると思うが」
「判断を誤った、負け犬のジジイに再び選択させると言うのか。
ほっほ……だが、儂は再び、大きな過ちを犯すかもしれんぞ?」
「構わんさ。“罰を与えるべき者”が一人増えるだけだ」
老犬は、ハッ――と一笑いし、店の女から何かを渡されたシェイラを見た。
そして、共に奥へと消える……老いても妖艶な女の尻を眺める目だけは、盛んであるようだ。
「――明日は満月。男も女も、獣もみんな狂い始める日よ。
ここの〔ミラ〕って女は馬面でイマイチだが、鏡に映すと中々イイ女での。
仕事はそろそろ終わりだし、
「ふむ、なるほど……」
ベルグはいくら任務で必要とは言え、女を抱く事に少し躊躇してしまう。
しかし、この老犬の言葉通り満月が近い。“姉”の一件もあって、腹立たしい気持ちは増すばかりであった。
目的は果たすつもりではあるが、その時の状況次第では、この鬱憤を全部“商売女”にぶつけてやろうかとも考えている
その横で、老犬はこれまでとは打って変わった神妙な面持ちになりながら、ベルグに問うた。
「……せがれの罪は、ワシに来るか?」
「“罪”であれば、もう心臓えぐり出しているが――“償い”は酌量の余地があるぞ」
「“償い”、か……ふむ……」
コッパーの町を襲ったのは、この老犬の息子であった。
残された時間はそれに充てるかの――と、呟いた老犬の言葉を背に、ベルグはミラと言う女に声をかけにゆく。
それは、のっぺりとした、お世辞にも可愛いと言えぬ顔の女だった。胸は大きいが、腹はだらしがない。“女”と言うよりは、気楽に甘えられるような“母”――と、言った類に近い女である。
「え? 私はタイニーさん……あ、そっか今晩は新人の……はい、お願いします」
やはりタイニーはシェイラの身体を狙っていた、とベルグは奥歯を噛みしめた。
だが、ここまで来るともう後戻りはできないので、そちらはシェイラの案に任せ、ベルグは耐えるしかないと腹を括った。
◆ ◆ ◆
一方で、その《シェイラ》は、食堂の女将と共にある一室へと向かっていた。
緊張した面持ちで身体をブルりと震わせ、女将の後ろを歩く足を止めてしまう。
「――もうトイレはダメだよ」
「……はい」
一度トイレに行ったが、もう躊躇わず行けと言う。
俯き、ときおり足をもつれさせるようにしながら、ゆっくりと歩いて行く――。
女将は、直々の指名を受けた《シェイラ》にチラりと目をやった。
(顔は凡だけど、女でも羨ましくなる身体だねぇ……。
タイニーの“お坊ちゃん”には、うーん……だけど、今日の客が固執するのも分かる気がするよ)
女将が嫉妬すら覚えてしまうほどの、細くスラリと伸びた若々しい身体である。
何も知らない客は《シェイラ》を指名し、彼女が今日の指名のナンバーワンとなっていたのだ。
しかし女将は『明日からは分からないよ……』と、陰湿な笑みを浮かべ、“オトコノコ”が待つ部屋の前で足を止めた。
「ここだよ。粗相のないようにね」
「は、はい……」
立ち止まった部屋の扉をノックし、招き入れたタイニーが何かを言う。
その指示に従い、恥じらいながら胸をはだけた女は、部屋に中へと消えた――。
(あの人の趣味では無さそうなのに……趣向が変わったのかね?
ま、せいぜい可愛がってもらうだね。せいぜいね……ふふふっ)
最高の女を見つけた――そんな様子を見せた、ここの領主に対し怪訝な表情を見せる。
たまには“普通”も味わいたくなったのだろう、とさほど気にもしない様子であった。
それよりも、女将は《シェイラ》に刺激されたのか、久々の夜の相手を探したくてたまらないようだ。
◆ ◆ ◆
その部屋の中では、ベッドの上で女の胸を
男のその姿に、女は母親のように優しく微笑みかけているが、内心ドン引きしている。
「ママッ、ママッ――」
「もっ、もっとしてもいいわ、よ……?」
名は体を表す、との言葉通りか、タイニーはちっぽけな男である。
部屋に足を踏み入れると同時に、男は“幼子”になりきり、“母”の言葉通りに従った。
赤ん坊用の帽子とよだれかけ、オムツを装備した姿のまま、目の前の《シェイラ》と言う“母”に甘え続ける。
タイニーは、完全に“幼子に成りきっているため、《シェイラ》自身の目的もあっさりと達成してしまっていた。
「――じゃ、ママがちゅってしてあげるね」
《シェイラ》もプロ根性を見せ、何とか役になりきろうとしている。
その首に女の唇が運ばれたのを感じると、タイニーは身体をぞくぞくと震わせ始めた。
重度のマザーコンプレックス。母親を失い、母に甘えたくともそれが出来ない想いが、彼を倒錯した
これがスポイラーに“捨て駒”された、理由の一つでもあった。
これに理解を示す者は誰一人としていない。唯一、血のつながりがある従兄弟・スポイラーでさえも、このような男と関わりたくないと、従兄弟にこの町を与え“隔離”と言う形で遠ざけたのだ。
このタイニーの“欲望”を受け入れ、その役に徹してくれたのは、今ベルグが嫌々相手にしている〔ミラ〕と言う女だった。
しかし、人間の“欲望”は常に新しい物を求め、今現在あるものに“飽き”がやって来るもの。
そのミラにも飽きを感じていた時に現れた“最高の理解者”はまるで、“天の使者”であった。
そんな“天使”の愛撫を受けたタイニーは、絶頂を迎えるように、ガクガクと身体を震わせて始めていた。
「……がッ……あ゛ッ……ァ……ァ――」
「ふぁらふぁら、ふぉうしたのぉ――ふぉうや?」
だが、今晩で彼の
“女”の尖った歯がタイニーの首に小さな穴を開け、そこから男の精気が吸い取られてゆく――。
干からびてゆく男が最期に見たのは、“天使”ではなく、背からコウモリのような羽が生えた“悪魔”の姿であった。
◆ ◆ ◆
しばらくして、ビュート湖のほとりで待つ《ワーウルフ》の下に、一人の“商売女”がやって来た。
痩せこけた……いつぞやの《バンシー》のような顔をしている。
「チェンジ――」
「ちぇ、チェンジってなに……?」
「“女の恥”だ。人を待ってるからあっちに行け、シッシッ!!」
「――ちょ、ちょっと私だってば!?」
そんな、娼婦ごっこを楽しむ“姉”なんて知らない、とベルグは突っぱねる。
シェイラは、ある程度はベルグにも話していたのだが、いつどのタイミングで《サキュバス》と入れ替わるかまでは話していなかったのだ。
これは《サキュバス》の入れ知恵でもあるが、わざと本人に見せつけるようにする……と、言われるまま従ったのがアダとなり、今のベルグはとても機嫌が悪い。
「で、でもさ……“お姉ちゃん”、モテモテだったでしょ?」
「……てーんびーん。今日ならグーで女の顔殴れそう」
「ご、ごめんっ、ごめんなさいっ……ちょ、ちょっとイタズラしたかったの!」
バンシーのような顔で懇願するそれは異様であった。
ローズにも事情を話し、脱出時に使う変身薬……ハロウィン用のそれを飲んで逃げ出して来たのだ。
これで〔シェイラ〕と言う女が、初めからビュートの町から居なかった事となった。
「……全く、妙な物まで着て。一体どこでそんなおかしな物を……」
「あ、あはは……エルフの道具って凄いよね?」
シェイラはテアの母親が作った、“皇帝の新しい服”を着用している。
《サキュバス》は人に化けられるのだが、体型は男の理想のそれになってしまう。そのため、『自分の理想とする体型』になれるそれを身につけ、彼女たちは男を“騙して”いた。
だが、一応は下着――その上に、更に下着を付けていたせいでおろう、全身がもう汗だくとなってしまっている。
「臭いからあっち行って」
「え、えぇ!? た、確かに汗の臭いはするけど、そんなに……」
「そうじゃなくて、“商売女”臭い。以前のシェイラは、もっと綺麗な匂いだった」
「だ、だからもう許してってばぁっ……」
シェイラは舞い上がっていた自分を反省していた。
いくら万全の手を打っていると言えど、受け付けで『シェイルちゃんで』と、自分の名前が呼ばれるたびに、全身が凍りつくような恐怖を感じたのだ。
“弟”に思わず『助けて』と言おうとしたほどであったのだが、彼女はここでようやく『背伸びした子リス』の意味を理解した。
そして、その“弟”の耳は左右に伸び、後ろに引いている。
「ほ、本当に……ごめん、なさいっ……」
これは、“怒りと不安”を覚えているサインであった。
口調は普段のように穏やかではあるものの、内心は本気で怒っておりそれを堪えているのだ。
これに気づいたシェイラは、心の底から申し訳なくなり、涙を浮かべながらベルグに謝った。
「……もうしない?」
「し、しないっ」
「……じゃあ、一週間分のご飯」
「ちょっ!? 多いよっ!?」
「天秤にメダルを一枚――いきなり“人のメダル”でいいか」
「わ、分かったわよっ、もうーーっ」
その言葉に、ようやくベルグがワフワフと笑う。
犬は一時的に勘定が爆発しても、あまり尾を引かないのである。
“弟”の笑顔に、ようやく安堵の表情を浮かべたシェイラは、
(やっぱり私には、大人の“お姉ちゃん”は向いていないかもね……)
と、少し重いため息を吐いた。
その時、ふと月明かりに照らし出された、“弟”の顔の異変に気づいた。
「……何で、鼻先がそんなカピカピなの?」
「“商売女”の股ぐらは、大変美味しゅうございましたよ、はい」
「……え?」
シェイラとは別に、ベルグにも“ある物”を探す目的があった。
意を決し、それを見つけ出したのは良いのだが――。
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この謎を解くのに、酷く時間がかかってしまったのである。