1.なぞなぞ
次の目的地である【ローム】の町は、ルクリークの町から北に約半日の場所に位置する、山の小さな麓町であった。
曇り空のせいか、軒を連ねる空き家のせいか……町はまるでゴーストタウンのように、不気味なほど静まりかえっている。元は白い壁であっただろう外壁もくすみ、外界の明るさを奪っているかのようだ。
空き家のあちこちには《ジャイアントスパイダー》の巣がかかり、そこに食い残された《ビードル》の死骸が絡みついている。
出発が昼を回っていたのもあって、ベルグたちがこの町に着いた時には、もうすっかり陽が落ちてしまっていた。
廃墟探索は翌日に回す事にしたため、ベルグとシェイラの二人は、【屋敷】近くにある宿屋に宿泊することにしたようだ……が、ベルグはどこか不満気である。
「夜の廃墟探索とか、正気の沙汰じゃないよっ……」
「むー……。現場にいる死にぞこないたちの話も面白いのだが。ああそうだ、
「やだってばっ!?」
白い光を放つカンテラに照らされながら、ベルグはブフッと口を鳴らした。
地下水路で使っていた物だが、気に入ってテアから“迷惑料”として貰った物だ。
テアの宿屋とは対照的な宿屋には、ベルグとシェイラ以外に宿泊客がいない。
場所が場所であるだけに、オンボロで汚く、いかにも何か出てきそうな雰囲気である。
まるで幽霊屋敷のような佇まいに、シェイラはビビってしまい、安くあげられるからと適当な理由をつけ、ベルグと同じ部屋に泊まる事にしたのだった。
一方――カートは別行動を取っているため、この宿にはいない。
ロームの町の近郊にある“ジム一家”と名乗る、“スキナー一家”の同盟に挨拶に赴いていた。
例え立場が上であれど、相手の本拠地近くまで足を踏み入れ、挨拶すらしない事は“不義理”にあたるようだ。
「――だが、オンボロ宿なりの楽しみ方もある」
ベルグはこの宿の雰囲気を堪能するかのように、スロネットから受け取った報酬――すすけた色になっている“死者の日記”を広げ始めた。
「こう言った場所でこそ、“死者の日記”の文面が際立つんだ」
「も、もう、それはテアさんに解読してもらったんでしょ……?」
「うむ。だが……テアが言うには、【ラッシー山】の遺跡にそれがあるらしいのだ……」
「ラッシー山って……私たちのいる、コッパーの町から目と鼻の所の、あの山?」
「にわかに信じがたいが、そのようだ……。
あんな所に遺跡があるなぞ聞いた事もないが、該当する記述からそこしかないと言うのだ」
ベルグの言葉に、シェイラも頷いた。
ラッシー山は、ハイキングに使われるようなのどかな山だ。そのような場所に、とてつもないお宝があるとは到底思えない。
だが、期待できるのはそこしかない――この宿の中に灯る白い光のように、闇中のシェイラに光明が浮かんだのだ。せっかく見えた一縷の望み、今はやれる事はなんでもしなければならない。
そのために、“弟”を始めとした皆が尽力してくれているのだ。
(……でも、スリーラインも大きくなったな)
熱心に本に目を落とすベルグの姿に、シェイラは思わず胸を熱くした。
昔は字を教えても、絵本の字すら読むのを嫌がったほどであったのだ。
「――うーむ。この半身朽ちた男の、鬼気迫るような生の渇望はなかなか……」
「もっ、もう寝るからねッ!」
下手をすると読みあげかねない、とシェイラは明かりに蓋をしてベッドの中に飛び込んだ。
“弟”は不満そうであったが、渋々それに従いベッドに入って行く。
シングルルームなので、当然この部屋にはベッドは一つしかない。もう一緒に寝る事に慣れたようで、シェイラにも最初のような戸惑いはなく、昔のように普通に受け入れている。
ギシリ……と音をたてるベッドの中で、二人は身を寄せ合った。
「うむ。いい香りがする――」
「こ、こらっ、嗅いじゃダメっ! でもこれ、ホントにいい香りだよね」
ベルグは隙あらば髪に鼻先を突っ込み、髪についた花の香りを嗅ぎにくる。
シェイラの髪型自体は特に大きく変わっていないものの、髪を|梳(す)いた事で、やや重たかったそれはスッキリとした印象に変えていた。
「みんなが行きたがる理由は分かったけど……」
「あの店は特別高いようだぞ? 値段相応の腕でもあるが」
当然ながら、今回はタダでしてもらった。
しかし、通常のヘアサロンの数倍の料金を聞いて、シェイラとレオノーラは思わず目を剥いたのだった。
ベルグの言う通り、確かにその価値に見合う極楽のような時間だろう――。
シェイラやレオノーラ達は『現実に帰りたくない』とすら思ってしまうほどである。
髪を切ってもらうだけなのに……と、特定の者にこだわる女の気持ちが理解できなかったシェイラであるが、その気持ちは今回のそれで少しだけ理解できたようだ。
「三か月頑張って、大体一時間ぐらいの極楽……う、うーん……」
「依頼を受ければ、きっと次もタダだぞ」
「次は剃刀とか依頼されそうだから、それは嫌!」
「今度は、呪われた
「お、おやすみっ!」
うっかりそれを考えてしまい、ベッドの中に顔を埋めるように潜り込んだ。
・
・
・
翌朝――二人はエルフの“なぞなぞ”装置がある、廃墟の近くでカートを待っていた。
日差しはなお強いままであるが、ときおり吹く風は柔らかく、軽くなったシェイラの髪をさらさらと撫でた。
しばらくして、カートが乗った馬車がやってきた。
ベルグが思わず天秤を取り出してしまうほど、物々しい雰囲気を伴った馬車である。
「いらねェって言ったのに、乗ってけって言うもんだからよ……。
――すいやせん、助かりました」
「いえいえ、とんでもない。どうぞ羽根を延ばして行ってください」
深々と頭を下げ、去って行ったのが“ジム一家”の手練れのようだ。
赤と白のバッヂを目立たせたそれは、十五人以上――あまりのVIP待遇にシェイラは言葉を失い、ベルグは『ふぅ……』と息を吐いた。
テアより、シェイラをつけ狙う“ワルツ”話を聞いてから、より神経質になっている。
その組織はもちろんであるが、避けては通れぬ者がいるためだ。
(“ワルツ”に“スポイラー”、そして――“ウルフバスター”か)
前者の二つは、今すぐにでもどうにかなる。
だが、そんな奴がら、シェイラ及び“裁断者”を得たとしても“利”が見合わぬ……。
後者の“ウルフバスター”は、その名の通り、《ウェアウルフ》や《ワーウルフ》などの獣人をメインに“狩猟”を行っている、名の通った冒険者であった。
この存在はベルグの耳にも入っているが、“ワルツ”の関係者である事を聞かされていたのだ。
その者は今現在、“スポイラー”の用心棒であるらしく、借金等々でシェイラの家が苦しめられた場にも居たようだ――と、テアは他人事のように語った。
「スリーライン……?」
「む? ああ、何だ?」
「ううん、何か深刻な顔してたから……」
「うむ、腹が減ってな」
さっき食べたばかりじゃない、と呆れたように息を吐いたシェイラ。
ベルグはその“姉”の顔を見て、それらの“組織”と立ち向かう事を考えると、気が気でなかった。
シェイラの“宣告”があると言えど、それでもやはり限界が存在する。
先ほどのカートが乗った馬車の時も、もしあれが“ワルツ”などであれば、どうなっていたか分からないのだ。
「……しかし、スキナーの子と言うだけで、ここまで徹底するとはな」
「今回は特別だ。何でも下っ端がコレされてんだと」
人差し指と中指を立て、首の前で左右に振る。
首が掻っ切られる仕草――暗殺されているのだと言う。
「え、えぇ……!?」
「ビュート湖近くに根城を持つ、スポイラーの従兄弟がこの一帯から追い出そうとしてんだと」
「む……あまり看過できる内容でも無さそうだな」
「親父も同じらしくてな、その従兄弟――〔タイニー〕の首を取れって、依頼出してんだよ」
「ふむ」
「ふむ、じゃねェよ。俺たちに出して来たんだよ」
「――なんだと?」
「な、なんで!?」
いくら同盟であっても、スポイラーの身内を弾けば、“ワルツ”との全面戦争に陥る危険性もある。
機を伺っている“スキナー一家”からすれば、挑発に乗って、正面からぶつかることは避けたい。
“断罪者”が、“たまたま”その場に足を向け、“罪を裁いた”ことにしたいようだ、とカートは言う。
ベルグにとっては、ただの悪人同士の喧嘩。共に潰し合ってくれれば世話がないと考えているため、受ける理由も、必要もない事であるのだが、
「先
「火の粉を掃う事になる、か」
「親父も小遣いにしては弾んでくれるようだからよ。
ま、手遅れにならない程度に考えておいてくれよ」
大戦争が起こった方が楽しくなるがな、とカートはヘラヘラと笑っている。
それとは対照的に、スポイラーに、その従兄弟のタイニー……と、ベルグは面倒くさそうな顔をした。
難しい話は後だ、とベルグ達はエルフの“なぞなぞ”を解きに、廃墟の中に足を踏み入れてゆく。
今は壁と床、ゴミとホコリがあるだけの空間だが、昔は立派な造りの屋敷だったと思わせる痕跡があちこちに残されている。
「――床ブヨブヨだよ」
「シェイラは……まぁまだ大丈夫だろうが、念のためカートの跡を歩くのだぞ」
「ちょっと、どう言うこと!?」
聞き捨てならない、とシェイラは目くじらを立てた。
ここ最近、若干痩せて喜んでいたシェイラであったが、訓練場にいる時のような運動をしていないので、また少し油断気味なのだ。……とは言っても、醜く肥えたわけでもない。
ほどよい肉付きであるのでベルグは何も言わないが、シェイラにとっては気が気でなく『ちょっと体重計の調子が悪いだけ』と、目に焦りを浮かべている。
(大丈夫、大丈夫……まだ許容範囲だから……)
ギ……ギ……と床を軋ませながら、ホコリの絨毯の上に残されたカートの足跡を頼りに、三人は慎重に歩を進めてゆく。
屋敷の各所には、大きな絵画がかけられていたであろう壁、家具を無理矢理引きずり出したような床の傷、酒盛りと女を楽しんだ後などが見受けられた。
更にその奥――客間に足を踏み入れると、“羽根を広げたコウモリの彫像”が鎮座していた。これだけは持ち去る事ができなかったのか、壁際にポツンと残されたそれは、どこか寂し気にも感じられる。
「……これがテアの言っていた装置、か?」
謎解きに挑戦しに来た者が残したのか、近くの白い壁には考えた痕跡があった。
魔導師、サキュバス、起動しない――などの単語が並べられているが、全てが間違いであったようだ。
大きな×が書かれているそれを見て、ベルグはウォ? っと首をかしげている。
「『起動スイッチは壁にある』、ふむ?」
「じゃあ、これか」
カートが壁のボタンを押しこむと、どこかでカチッと音が鳴り、“コウモリの彫像”がケタケタと笑い声を発し始めた。
{久々のクエスチェン!}
{ある若い魔導師は、悪い女を倒しに行ったヨ}
{その魔導師には婚約者が居て、毎日がラブラブだったヨ}
{その悪い女はサキュバスだったヨ}
{好色な魔導師は、サキュバスの裸に目を奪われたヨ}
{――ここで最初の問題だヨ}
{この時、若い魔導師は何かを失ったヨ。それナーンダ?}
後ろの壁にあるシンボルを取ってネ――と言って、“コウモリの彫像”は静かになった。
ベルグ達がふりむくと、ダイヤや星などの多種多様なそれがズラりと並んでいる。
「む? 目を奪われたのなら、目のシンボルではないのか?」
「でも、『これじゃない』って書いてあるよ……?」
「『エルフが作った』って、テアが言うんだから、そんな単純な答えにしねェだろ。
目……
だが、そこにも『違う』と書かれていた。
床には何か血痕のような跡があり、やはり間違えたら何かありそうな雰囲気を醸し出している。
ただのペイントかもしれないが、“もし”と言可能性が慎重に深く考えさせ、考えれば考えるほどドツボにハマりそうな物であった。
(こう言った問題って、意味のない言葉が重要だったりするよね……。えぇっと、悪い女はサキュバスだったっけ……そうだ!)
シェイラは“コールリング”を使いその悪魔その者を呼ぶ事にした。
赤毛の、女でも嫉妬してしまいそうな艶めかしい身体をしているそれは、あまり人前……特にベルグの前で呼び出したくは無かったが、同族の事ならきっと答えを知っているかもしれない、と踏んだのである。
空間を歪めてやって来た《サキュバス》に、シェイラはかくかくしかじかと説明をする。
初めはふんふんと聞いていた《サキュバス》であったが、次第に呆れ顔となり
「問題の中の存在なのに、ワタシが知ってるワケないじゃない……」
「や、やっぱり……?」
「それに、サキュバスの裸を見ただけで目を奪われるようなスケベ男とか、即死よ即死。答えはきっと命、ね!」
「え、な、なんで?」
「そこの二人は反応しないから分かんないだろうけど、目を奪われた時点で魅了されてるわよ? もうそうなったら、彼女とかどうでも良くなってるわ。
目を奪われて、愛を失う――うんうん、最高のシチュエーションねぇ。 女の前でイキ狂わせたいわ〜」
「ん……今のもう一度言ってくれんか?」
「え? イキ狂いたいの? イイけど、《ワーウルフ》か……うーん、ハゲシ・そ♪」
「す、スリーラインッ、惑わされたらダメっ!?」
「いや違う……目を奪われて愛を、だ。どうしてそう思ったのだ?」
「EYEを奪われて――説明させられると、恥ずかしいわ」
ベルグ達は全員『あぁ……』と微妙な顔をした。
地下水道の時もそうであったが、エルフは駄洒落めいた事が好きだった、と。
それを知らない|《サキュバス》だけが“?”となっている。
ベルグは壁にある“ハート”のシンボルを取ると、
{せーかいっ!}
と、“コウモリの彫像”は大きな声を発した。
{――じゃ次イクヨ}
{愛を奪ったけど、サキュバスはいらないと捨てたヨ}
{でも魔導師は、サキュバスとチュッチュ――}
{メロメロになった魔導師は、口からまた何かを奪われ、オトコになったヨ}
{それなーんだ?}
文字列を押してネ――と言って、再び彫像は黙った。
駄洒落好きなエルフの事であれば、“口”に関係しているはずだ、と考えるが、突然言われても思いつかない物である。
皆は再び、うーん……と考え始めた中、《サキュバス》はニマリと笑って
「資格ね!」
「へ……?」
「魔導師がただのオトコになったんでしょ?
それに、そんな奴が女を愛する“資格” なんてじゃないない」
「で、でもそれで、確定とは……」
「“口”の形が“
「……」
確定であった――。
三人は何だかもう馬鹿馬鹿しさを感じ始め、“Competence”と文字を押すと、
{せーかいっ}
{じゃ、最後イクヨ}
{オトコの時計はチクタクチクタク……}
{サキュバスはある“時間”に、ある“物”を差し出せば、コノ身体を“自由”にしてもイイと言ったヨ}
{その時間は何時?}
いつもの様に壁のボタンを押すように言ったが、数字らしきものは1~12までしかない。
石像が発した『自由』とワードに、シェイラはピンと来たようで、
「……あ、分かった! 一時っ!」
「何でそうなるんだよ?」
「“じゆう”は“じゅう”で、ある物は丸――“指輪”を差し出したんだよ! 1に
「うむ、なるほど……」
シェイラは、ベルグが昔よく『獣人は自由だから十時まで遊ぶ』と夜更かししていたのを思い出したのだった。自信に満ちた目で、“1”のボタンをポチッと押すと――
{せーかいっ!}
{でも、そのオトコは間違った時間に渡し、耳を奪われ、首を切られて死んだヨ}
{サキュバスはオトコの頭を取って、奪った物を順番にセットの中に詰め込んだよ}
{分かるかな?}
“コウモリの彫像”はケタケタと笑い始めると、台座の下からゴロゴロと音を立てた、折れた杖、指輪、そして――
「ひッ!?」
頭蓋骨が転がり、シェイラの足下で止まっている。
ベルグは転がり出てきた指輪をひょいと拾いあげると、指輪の内側に何か刻まれているのに気づく。
「SE……?」
{ S E C R E T !! }
プレゼントした事は秘密にしててね――と告げると、彫像は役目を終えたように、本来の物言わぬ像へと化していた。