8.エルフは駄洒落がお好き
それから数時間後――掃除が行き届いた宿のロビーは今、物々しい雰囲気に包まれていた。
痛々しく腫れた頬に氷袋をあて、うーっと唸りをあげる獣のせいだ。
上唇をせりあげ牙を剥き出す姿は、モンスターかと見まがうほどの恐ろしさであった。
受付カウンターには、宿の主・テアが能面顔のまま静かに佇んでいる。
「ベルグ殿、本当にその……だ、大丈夫ですか?」
そんな痛々しいベルグの姿を見かね、レオノーラは心配そうな声をあげた。
いつものメンバーのに囲まれながら、ローズの傷薬を片手に持ち、ベルグの肩の傷の手当てを行ってゆく。
消毒液だけ、酒でいいとベルグは言ったのだが、
「“断罪”の力が効かない、“人でない者”を殴っただけでどうして、俺だけが罰を受けなければならないのだ……不服を申し立てる」
「で、却下されてぶん殴られたんだろ?」
地下水に潜む闇を祓い、依頼されていた銀色の“ハサミ”も得た。
……にも関わらず、ベルグは理不尽とも言える“懲罰”を受けた事に、不満を隠せない。
同じ目に逢わされた事のあるカートは、顔を腫らして戻って来た“断罪者”の姿に、『因果応報だ』と笑いを堪えながら言った。
悔しいが、その時のベルグは何も言い返せなかった。
“裁きを下す側”と言えど、優遇される事は無い。道を誤れば当然、然るべき“罰”を受けねばならないのだ。
しかしそれでも、我儘さが残る獣には、どこか納得がいかないようだった。
「私……スリーラインが連れて行かれた時、もう帰って来ないのかと思ったよ……」
“弟”が罰を受けた原因が自分にある――。
それに、シェイラはずっと申し訳なさげな表情を浮かべていた。
そして同時に、幼き頃のベルグとの別れを思い出したのである。
《ワーウルフ》の群れとの、ベルグとの別れ――ずっと泣き続けたその時を。
「――安心しろ。もし仮に死刑を喰らっても、肉体が残っていれば帰してくれると言っていた。あっても邪魔であるらしい」
「それ、どこが安心できるの……」
と、ボヤくシェイラの横で、ベルグは顔をしかめながら、罰を受けた場所を冷やし続けた。
笑いたいが顎が痛い。口を開くたびに、鈍い痛みが顎から頭頂部に向かってゆく。
【裁きの間】と呼ばれる場所に連行されたベルグは、すぐにルール違反をした罰を受けて帰って来た。
罰を与える側も、ここのとこ仕事が無く暇なのか『拘留中、三十分読書無料サービス』――など、違反者を歓迎していた。と言う。
「――で、もちろん罰は与える」
「罠じゃない!?」
本をあまり読まない上に、さっさと帰りたかったベルグは、その手の歓迎を無視して、さっさと罰を受けて帰って来たのだった。
(しかし、あいつらは、罪人して処罰できれば、もう何でもいい状態なのではないか?
もし、あの《ジェーン》を俺そっくりにすれば、“
と、どうにか“奴ら”に、ひと泡吹かせられないか思案を続けている。
そこに佇む石像の一体ぐらいはぶち壊したいのだ。
(だが、そのためには――)
テーブルの上に置かれた、キラリと輝く銀のそれに目をやった。
人造人間の核となっていた“ハサミ”――己の私欲のためだけに、あんな極悪非道な真似は出来ぬ、身をぶるりと震わせた。
「で、テアよ。次は、お前たちが“罰”を受ける番だが――弁明はあるか?」
「……弁明と申されましても」
美しい宝石のような瞳を向け、小さく息を吐いた。
あんな地下水路の奥に、あんな人造人間を錬成しているなぞ、誰の想像にもつかないだろう。
その地下水路に潜んでいた“闇”を、目の前にいるエルフ・テア親子は陰に隠しており、足を踏み入れた二人の命を危険に晒してしまったのだ。
“断罪者”は、それを糾弾し始めたのだが、被告人となったテアは――
「聞かなかったじゃありませんか」
と、あっけらかんとして答えたのである。
あまりの罪の意識の無さに、ベルグは呆れ果てて何も言えなくなってしまった。
エルフは大体そんな種族であり、面倒事や答えたくない事は、聞かれるまで答えないのだ。
「ならば問おう。“その理由”を、我々に、納得がゆく、ようにな」
と、ベルグが荒々しく口を開けば、テアはため息を吐きながら淡々と事の起こりを語り始めた。
◇ ◇ ◇
水路の奥にいた《ジェーン》を作ったのは、腕のいいエルフの細工師であった――。
人間達と交流を深めてゆくにつれ、次第に人間に不満を抱くようになる。
『エルフにはない、美しく優れた物も持っているのに、どうして他は醜いのだ?』
折角の“美”が台無しではないか、と。
するとその時、どこからか己に語りかける声が聞こえた。
(もし――美しい部分だけを繋げれば、最高の“美”の集合体が出来るではないか)
それは、己の中に潜む“悪魔”の囁きであった。
耳を傾けた男はまず、どれだけ人体を切り刻んでも、その切れ味が落ちない“ハサミ”を作った。そして、人間に医者に見せかける自分を作り、妻と子を捨て、死体を、材料を集めて始めたのだ。
エルフの求める“美”は、いわゆる“フェチ”であることが多い。
なので、他人の“美意識”に口を出すのは野暮な上に、悪趣味なそれに関わりたくなく、エルフの者たちは見て見ぬフリをしていたのだ。
そのせいで、男は底知れぬ“欲”を見せた事に、全く気づかなかったのである。
禁忌となる術を行おうとしていた所で初めて気づき、大慌てで“始末”に向かった、と――。
◇ ◇ ◇
「――時既に遅し。追い込まれた医師は、踏み込まれる直前に、“ハサミ”を媒体にして“悪魔”を呼び起こしたのです。しかも、わざわざ対エルフに魔法封じの結界まで設けるあるほどの徹底ぶり」
エルフは魔法頼りの者も多く、それによって突入隊は全滅。
討伐するには人間の手を借りねばならないが、そのプライドが邪魔をした――。
最終的に彼らが取ったのは、“
それを聞いたカートは、ハサミを手に取ってしげしげと眺めながら口を開いた。
「こんな“ハサミ”が、そんなおっかない奴を動すとはねェ……。エルフってのは、どれだけ恐ろしい技術を持ってんだか」
「うむ……。さて、テアよ――他にあるか?」
ベルグは天秤を用意して、そう尋ねた。
本題でもあった。断罪の力が通用せぬを言わず、二人を放り込んだのである。
返答次第では、例えテアであっても、問答無用で“罰”を与えるつもりだ。
「申し開きと言われても、まさか“契りの短刀”なんか持ってて、結合を“千切る”ような力技で倒すなんて、誰も思いやしませんよ。
あれは、火遊びや行き遅れた年増女が作り、使う代物……ましてや、エルフが他人に渡すなぞ考えられぬ短刀です。一体どこであれを得たのですか?」
「えっ? いや、その……何かその、成り行きで貰って――」
シェイラは口をモゴモゴとさせながら、得た経緯を話さなかった。
「――ならば、他に方法があったと言うのか?」
「色々ありますが……そこに“口の無い像”があったはずですよ?」
「あ、あったかも!」
「あれが【防腐】の結界の起動装置なので、壊せば三日ぐらいで身が朽ちますのに……」
「何でそれが【防腐】の結界になるのだ?」
「“
「……」
「……」
「……何か?」
呪文の詠唱が出来ねば魔法は撃てぬ。と言いたいようだ。
周りの冷たい目線に、テアはやや不貞腐れた様子を見せ、横で聞いていたローズが口を開いた。
「そう言えば、エルフはそんな仕掛けが好きなんだよね……」
ローズの呆れた声と呆れる人間&犬の目に、テアは『私に言うな』と言った目をして黙っている。特に犬は、もう怒る気力もないようだ。
エルフは迷宮の罠のように、踏み入れられたくない場所などにそのような仕掛けを施し、人を遠ざけるようであった。
毒ガスや爆弾などを設置しているため、一度でも間違えば終わり――もし、エルフの仕掛けを操作する機会があれば、慎重に行え、とテアは言う。
「ああ、そう言えば……ルクリークの北にある、ローム近郊の廃墟にもそれがありましたね。
しょうもない“なぞなぞ”のようでしたが、解けたら何かくれるようですし、金策中であれば、やってみてはいかがでしょうか?」
「なぞなぞ……うーむ、俺はあの手の問題は苦手だが……」
「何かって、何くれんだ?」
「さぁ? 確か、指輪かネックレスか……装飾品の類だったはずです。
なにぶん私は興味がないので、確証はありませんが」
「装飾品か……ま、売れんなら何でもいいか。
距離的にあんま変わんねェし、ちょっと寄ってみようぜ」
「で、でも、解けなかった場合って……」
「その仕掛けは何もないので、大丈夫ですよ」
シェイラは、それなら行ってみたいと言い、ベルグも特に拒否する理由もない。
三人は満場一致でローム行きが決定したのだが、レオノーラとローズは、訓練場の業務があるので真っ直ぐ帰ると言った。
既に御者を手配してしまっているので、予定の変更が出来ないようだ。
「あーあ……タダ酒とはお別れかぁ」
「ああ、ロゼワイン多めに仕入れたって言ってたから、土産に貰って帰れよ」
「マジッ? 行く行くー!」
「ま、これでうちも落ち着くでしょう。
久しぶりの千客万来でしたが、しばらく……百年ぐらいは暇がいいですね。
では、さっさと報告して、うちの客を追い出してくださいな」
「うむ。依頼報告はシェイラが行って、報酬の受け取りついでに優先的にカットしてもらうといい。
レオノーラはシェイラに同伴し、依頼完了の手続きを頼めるか?」
「う、うんっ!」
「はい。分かりました!」
ここルクリークの町が賑わいを見せたのは、当初の目的であったスロネットのヘアサロンが原因である。
テアもそれに安堵の表情を浮かべ、いつもの閑古鳥のなく店名とルームサービスがウリの宿に戻る、と言っていた。宿にある、“避妊具”に穴を空けていたのはテア自身であり、宿名【OOPS!】はその名の通り、『おっと』にさせるカップルのためのサービスだったのだ。
◆ ◆ ◆
シェイラは、ベルグからスロネットの店の名刺を受取り、責任者であるレオノーラと共に店があるであろう場所に向かった。
カートは酒でも飲んでくると、テアの宿を後にしたので、そこにはベルグと二人っきりとなっている。
「……で、だ」
「まだ何か? 誰も居なくなってから裁く、いけない事するつもりでしたか?」
「――シェイラに関してだ。お前たちエルフは、他に何か知っているな?」
「……お気づきになられてましたか」
「借金を負わせるにしても額が額であるし、あの子の村……ルガリーの村を奪ってまで追い詰めるなぞ規模が大きすぎる。追っ手は、シェイラが“裁断者”、もしくはその候補だと知っていたのか?」
「知っていたでしょうね。その力を欲しているようですから」
「やはりそうか……。もしもの時は、お前たち“エルフの組織”で保護を頼めるか?」
「あら、それまでご存知でしたか」
エルフは完全に人間に迎合したわけではなく、“その時”に備え地下で“種”を育んでいたのである。
「まぁ、必要とあれば強力致しましょう。“ワルツ”に渡られると我々も面倒ですし。
万が一に備え、人並みの暮らしが出来るぐらいの、“レディ”にしておきましょう。
それよりも……そんな結果にならないよう、手を打つべきですが」
「何だ?」
「“裁きを下す者”の本来の関係と、そのプロセスに戻すのですよ――」
そう言うと、テアはカウンターの真下にあった隠し棚より、一冊の本を取り出した。
表紙には、天秤と羽と本が描かれている。
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一方で、初めてのヘアサロンに入った女二人は――。
「す、すっごい綺麗な場所……」
「我々の、場違い感が半端ない気がするのだが……」
これでもか、と言うほどのスタッフに、明るくきらびやかな世界。
鼻腔をくすぐる、花の香りがその清潔感をより際立たせていた。
そんな場所に足を踏み入れた田舎者二人は、完全に浮いている。
スロネットに任務報告を済ませた二人は、彼からの“サービス”を甘んじて受けた。
店での扱いに、どこかの姫になったような錯覚すら起こすほどで、『女が来たがるはずだ』と納得した様子である。
「これで私も、私の“美”を追求する事ができますよ」
「あ、その……“ハサミ”はできたら、普通ので……」
「おや、心配ですか? それとも、死体の中に入ってたそれは気分がよくない?」
「ど、どっちもです……」
シェイラは『是が非でも普通ので』と顔は引きつらせている。
それを見たレオノーラは、スロネットに向かい、強く諭すような口調で語りかけた。
「ベルグ殿が『その“ハサミ”は、人体を切り刻む渇望に襲われるかもしれない』と危惧していました。剣にもそのような物があるので……できれば、我を失わぬ内に、思いとどまって頂きたいのですが……」
“ハサミ”と、ベルグから『これも渡しておけ』と持たされた、地下水路で得た元凶の手帳を預かっていた。
最後のページに覚えのない文字を見つけ、報酬とそれを天秤にかけるぐらい、渡すのを思案するほどの一文が綴られていたのだ。
【せきにんは とれんぞ?】
それを読んだスロネットは、片方の口角をあげ鼻を鳴らした。
「無責任の塊が何を言うのですかね――」
「え……?」
「いえ、こちらの話です。あの“ハサミ”はご心配いりませんよ。髪の毛もいわゆる人体の一つ――私にはもってこいな、私でこそ扱える一品です。二つ目の授かり物を、私は喜んで受け取りますよ、ええ」
「あ、あの一体何の話を……?」
スロネットは薄く微笑み
『カエルの子はカエルなのですよ』
と呟いた。