ミキの言い分
イヨの部屋を出てミキが待っているはずの脱衣所に足を向けると、3メートルくらい先に人影が見えた。
誰もいないと思っていただけに、廊下で幽霊に遭遇したかのような恐怖を覚えて、思わず足を止めた。
体重を前に移動しているのに下半身が止まったので、上半身が前のめりになり
幽霊の正体はルイだった。
彼女は客人の
「ミキさんがこちらのお部屋でお待ちよ」
(立ち聞きされたか?)
彼女ならやりかねない。
案内された部屋は、イヨの部屋から見て部屋一つ挟んだ先にあった。
脱衣所に向かっていたら、この屋敷で迷子になっていただろう。
「何故ミキに会うことが分かった?」
彼女はニヤッとする。
「何となく」
「また何でもお見通しか?」
「家の中でゲストの皆様が言い争っていらっしゃるのは、ホストとしても気を揉みますし」
「やっぱり、聞いていたな?」
「他の方々が待っていらっしゃるので、手短にお願いしますわ」
(はぐらかされた)「……分かっている」
ドアをノックする。
中から走り寄る足音がして、すぐにドアが開いた。
ミキが少し緊張した顔をしている。
「中に入って」
促されて部屋の中に入ると、後ろでドアが閉まり、彼女が俺の前に回り込んできた。
彼女の肩越しに部屋の中をよく見ると、イヨの部屋と同じ家具が同じ位置に置かれている。
違うのは丸いテーブルに花がないこと、机の上に原稿用紙がないことくらいである。
視界に入ってきた彼女の顔から熱い視線が向けられている。目から表情を読み取ろうとしていることは明白だ。こちらも視線を合わせた。
「カノジョと決着着いたの?」
視線を逸らさずに答える。
「ああ」
彼女は俺の胸に頭を押しつける。
額を通じて息遣いや鼓動まで感じ取っているようだ。
「なんて言ったの?」
「タイプだけど<好き>までは行かない、と」
「タイプなんだ。あの眼鏡ブスが」
「嘘は言えない」
「正直ね」
彼女は両腕を俺の脇から背中に向かって回す。そのまま体を密着させる。
「私は?」
「……好きさ」
彼女が顔を上げて悪戯っぽく笑う。
「あ、今ちょっと考えたぁ」
俺も両腕で彼女に同じことをした。
「いや、ちょっと
「二度目なんだから
「え? 二度目だっけ?」
「あ、忘れてるぅ。お仕置きしちゃうぞぉ」
そう言って彼女は背伸びをし、キスをした。俺も彼女を抱きしめた。
とその時、突然ドアがノックされたのでギョッとした。
ミキもビクッとしたようで、体に振動が伝わる。
「そろそろよろしいかしら? 皆様がお待ちかねですの」
ドア越しにルイの声が聞こえる。
「早すぎないか?」
「お二人の結論はすでに出ていらっしゃいますでしょう?」
彼女は本当に勘が鋭い。
「10秒も経っていないぞ」
「30秒は過ぎていますわ。さ、応接室までご案内いたします」
ミキが俺の左肩越しに小声で言う。
「ケチ」
ミキが俺の手を引いて、ベッドの方へ向かう。
引かれるままについて行くと、意図が分かった気がしたので、押し倒されるのかと身構えた。
しかし、彼女の足は止まった。
単にルイには聞こえないようにドアから遠ざかっただけのようだ。考えすぎた俺が情けない。
彼女は小声で言う。
「今言っておきたいことがあるの」
「何を?」
「実は、小学一年生の時に病気で入院したことがあって。
その時、見舞いに来てくれた同級生の
『大きくなったら僕と結婚する約束をしてください』と言われたの。
私、『うん』て答えたらしいのだけど、それからすっかり忘れていて。
前にタケシという男とその仲間に絡まれて怪我した時、マモルさんに助けてもらって。それだけじゃなくて、後で入院先までお見舞いに来てくれたの。花束を持って。
そうしたら、小学生の時に同じシチュエーションで男の子に花束をもらったこと、さらに結婚の約束をしたことを思い出したの。
マモルさんは、
そして昔の話をしたら、マモルさん、そのことを覚えていてくれて。
凄く嬉しかったの
……」
(昔から、偽の俺は二股だったのか……)
「ああ、スッキリした。今までなかなか言い出せなくてモヤモヤしていたの」
「悪い。今は覚えていない」
「記憶喪失だから、でしょう?」
「ああ」
彼女が余韻に浸っている一方で、俺には気がかりなことが一つあった。
「ちょっと聞いていい?」
「何?」
「スッキリしたところに悪いんだけど、もしかすると気分悪くなるようなことかも知れないけど-」
「イヤ」
「ゴメン。どうしても確認したいことがあるんだ」
「……仕方ないわ」
「昔、タケシって奴が絡んで怪我させた時に、もしかして『お前は平和主義者だろ』とか何とか言ってなかった?」
「え? もしかして……記憶が戻って思い出したの?」
(やっぱりそうか。これで繋がった)「いや、もしかしたらそう言っていたのかな、と」
「当たりよ。あいつ、それで
とその時、またドアがノックされた。
「2分過ぎましたわよ」
ミキがドアに向かって叫ぶ
「走れば挽回できる時間よ!」
「廊下は走らない、ですわ」
彼女は小声で苦々しく言う。
「ホント、あの縦ロール頭-」
「『いけ好かない』って? それ、みんな口揃えて言う」