6.防腐の地下水路
翌朝――。
ベルグ・シェイラ・カートの三人は、【地下水道】に向けて歩を進めていた。
空には久方ぶりにぶ厚い雲がかかり、湿り気を帯びた風が草木を撫でつけてゆく。
(やはり、妙に胸騒ぎがする……)
それは、ベルグの心に渦まく不安そのもののようでもあった。
昨晩……いや、地下水道の話を聞いてから、何かよからぬ事が起きそうな気がしてならない。
その夜は、シェイラと馬小屋で眠っていたのだが、寝藁の上で――無意識の内に、彼女に抱きついてしまうほどであった。
幼い頃のベルグは、不安な夜はシェイラに抱きついて眠っていたため、それがつい出てしまったようだ。
しかし……“弟”は眠れたのに対し、当の“姉”はあまり良く眠れていない。
(ま、まま、まぁっ、いざと言う時は、やっぱり“お姉ちゃん”だよねっ!)
事情を知らぬ“姉”は、真っ暗闇に“女”を煽られてしまった。
初めての迷宮探索を終え、興奮状態が続いていたのもあったが、闇で“姉”と“女”が葛藤していたのだ。
しかし、ベルグがどこか不安を感じている事も、何となくであるが気づいていた。
普段は生意気で、大人ぶっているな“弟”であるが、いざという時は“姉”を頼ってくれる――シェイラにはそれが嬉しくなった。
昔のようにすうすうと寝息を立てる、可愛い“弟”の頭を撫でながら、
(ふふふ、レオノーラさんより、やっぱり私の方が上じゃないの!)
と、妙な優越感と多幸感を持っていた。
その自信が、今度はベルグにも伝わり、彼の不安を和らげていたのかもしれない。
おかげで、ベルグは昨晩ほどの胸騒ぎはしていないものの、完全に払しょくされたわけではなかった。
引き返すべきだ――と、獣の第六感が告げている。
(しかし、ここで引き返せば、シェイラの借金返済のメドが立たなくなってしまう。
あのカジノに居た女たち……絶対に、シェイラを、あのような目に合わせるわけにはいかん)
と、ぐっと奥歯を噛みしめ、グルル……と喉を鳴らす。
かつて、シェイラの一家は《ワーウルフ》の存亡の危機を救った――。
実際は、人間に集落を追われ、落ち延びた先が、たまたまシェイラの一家が治める村だっただけである。
ただそれだけであるのだが、《ワーウルフ》にとって、その恩は何があっても忘れえぬ物であり、群れにいる全ての者が、シェイラの家族に感謝の念を抱いているのだ。
(もし、シェイラが金貸しに連れ去られようものなら――。
まず、【裁きの間】での斬首は免れんな……まぁ最後なら、そこの石像を四つぐらい壊してやるか。
カートもレオノーラも居るし、どちらかがシェイラを保護してくれるだろうしな)
――“断罪者”のルールなぞクソ喰らえ。
そう思えば、気持ちも楽になる。
一体何を弱気になっていたのか、と硬く握られた手の甲に、何やら温かく柔らかい物が感じられた。
「……ん?」
「何か、昔もこーやって歩いたなーって」
ベルグの握り拳の上に、シェイラの手がそっと重ねられている。
柔らかい風が草を揺らす広い平原――言われれば確かに、とベルグは思い出した。
握った手を緩め、その手を重ね合わせる。
マメだらけであるが、その温もりは思い出のままであった。
「うむ。確かに」
「……戻るのかな。あの頃みたいに……」
「戻るのか、ではない、戻すのだ」
それは、己に言い聞かす言葉でもあった。
うむ、良い事いった、とベルグはワフワフ笑うと、シェイラも物憂げな表情から顔をほころばせている。
(やっぱり、スリーラインはこうでなくっちゃっ!)
昨晩の自信が蘇る。
その姿は、背伸びした“姉”ではなく、自然な“姉”としてのシェイラである事に、本人はおろか誰も気づいていない。
(やっぱり、レオノーラさんじゃこうはいかないよね。うんうんっ)
ベルグが絡んだ場合のレオノーラは、教官ではなく“ライバル”だった。
“泥棒猫 vs 姉”のような、不毛な争いは昨日のカジノでも行われ、若返ると言われている石を賭けたルーレットに敗北したのもあってか、シェイラは余計に躍起になっていた。
一方、そのレオノーラは妹に捕まり、強制的に宿の手伝いをさせられているようだ。
そんな二人の後ろ姿を眺めなから、ザッザッ……と、草木を踏み歩いているカートが口を開いた。
「――で、犬っころ。本当に大丈夫なのか?」
「うむ。聞けば、ほぼ一本道であるようだし、問題はなかろう」
テアも同じく宿屋に残るため、入口で待機、および非常事態の閉鎖の役目はカートが担う事となった。
シェイラだけは、何がなんでも帰すつもりであるが、その後の……“水路の再閉鎖”を行えるのは、カートしか居ないのである。
完全に外部であるテアが行えば、全員からの遺恨を買ってしまう。
レオノーラやローズは、重い責任に耐えられぬ――。
非常事態においての冷徹さ、犠牲を“利”と見い出せられるのは、“悪の道”を歩む者だけだ、と。
「――“選択”を迫ってしまうかもしれんが」
「俺はシェイラほど甘ちゃんじゃねェぞ?」
ベルグにとって、この言葉は非常に力づけられる物である。
三時間経過して戻らねば、否応なく門を閉じる――と、告げた。
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・
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目的の“ハサミ”が眠っていると言われる、【防腐の地下水路】――。
そこの重厚で強固な扉は、地下水路に設けるような代物ではなかった。
何やら“口のない人間”の絵が刻みこまれている窪みがあり、そこにテアの母親から貰った、“ハンマー”の絵のレリーフをはめ込み、開錠する魔法扉――。
そこまでする必要がある場所なのか、とベルグは疑問に感じていた。
中は真っ暗であったが、テアから貰ったエルフのランタンのような物が、その周囲を明るく照らしていた。頭上から照らす魔法の明かりとは違い、手持ち式である。
そのため、多少面倒ではあるものの、縦長の石が真っ白に輝くそれは昼間のように眩い。
迷宮に
それに、迷宮内を漂う腐臭と排泄物混じりのような、独特の悪臭も一切しない。分かるのは、どこかツンとした消毒液の臭いが薄くするだけだ。
「何か、昨日の迷宮とは全然違うね。普通のトンネル、みたい」
「うむ。水の流れのおかげであろうか」
川と呼ぶには狭く、水路と呼ぶには大きな水の通り道は、さらさらと音をたててどこかに流れてゆく。
澄んだコバルトブルーのそれに目を奪われ、シェイラは『綺麗な水』と言いながら、その水を覗き込むと――
「キャアァァァッッ――!?」
「どうした!」
「み、みみ水の中に、し、死体っ……」
へなり……と、腰を抜かしたように倒れたシェイラが指差した先には、水底に沈む多くの死者が水面を見つめていた。どこも朽ちていない遺体が、より恐怖を掻き立ててくる。
ベルグでもゾっとするようなのを、シェイラはまともに見・死者と目を合わせたのだろう、腰を抜かしたように水路脇にへたり込み、わなわなと震えてが止まらないようだ。
“弟”はそれに、心配そうな顔からイタズラな顔へと変わる。
「――“チビシェイラ”になってないか?」
「な、ない……よっ! 何でそんな事まで覚えてるのっ!?」
先ほど、シェイラが故郷を思い出す、と言ったためであった。
イノシシか何かの死骸を見て、シェイラは驚いてチビった――と、ベルグは思い出していたのである。
当然、流れ出た物を知っていたベルグであったが、わざと『それは何だ?』と聞けば、『水をこぼしたの!』と必死になって隠していたのだ。
シェイラは、気づかれないように股に手をやったが、その心配は無かったようだ。
その時ふと、当時を懐かしんでいるであろうベルグの耳が、左右に広がりピクピクと動き始めた。
「ど、どうしたの?」
「向こうの方で何やら音がする……」
「ひッ……!? も、もう怖がらせないでよ……」
「……」
狼の耳には、水路の奥からヒタ……ヒタ……と歩く音が、確かに聞こえていた。
水のせせらぐ音以外はしないため、それ以外の音がすればそれは目立つ。
いくら清潔とは言え、裸足で石畳の上を歩いていれば、なおさらである。
「シェイラ――念のため、いつでも“宣言”できるようにしておけ」
「ほ、本当なの……?」
「あの母親は何かを隠している、と思っていたが――これの事か。
裸足で徘徊しており、足取りは……ゾンビのようなそれではないが、ややバランスが悪いようだ。
警戒を怠らないようにしておけ」
「う、うん……」
ベルグは背中から斧を構え、左手にはエルフのカンテラを持った。
“天秤”はシェイラが持ち、いざとなれば“裁量”も行う態勢でいる。
ベルグは耳に集中しながら、ゆっくりと歩を進め、シェイラも周りに神経をとがらせながら、その後ろを追いかける。
「……足音が遠のいた、が……」
ふぅ、と一つ息を吐いた。
水路の奥に行けば行くほど、空気がより一層冷たくなる。
形状はアーチ状のそれであるが、脇にあった進入路の中は広い建物内のようであるらしい。
各所にベッドが並ぶ――病室のようなそれは、先ほどまで誰かが使っていたような、毛布が持ちあがった状態が保たれている。
「な、何かここ……病院?」
「恐らくそうだろう。患者の日記もある。
なになに……『先生は左脚を褒めてくれた。微妙だけど褒めてくれるのは嬉しかった』?」
「退院して忘れていったのかな?」
ベルグは、他の日記のページを読んでみたが、どうしても退院できるようなそれではない。
治らぬ病に、悲壮感と諦めの記述がズラズラと書き並べられており、シェイラも同じのを見つけ読み上げた。
「えっと、こっちは……『先生は右肩を褒めてくれた。剛球を投げる自慢の肩だから当然だろう』……?」
「医者は、人間の部分フェチ……か?」
「男女問わず、って色んな意味で怖いよ……」
「フェチとはそのようなものだが、うーむ……?」
「その……す、スリーラインは、どこが好き?」
「――シェイラのおっぱいと尻」
「え、え、えぇぇぇぇっ!?」
「嘘だ」
「も、もうッ、ばかッ!」
顔を赤くしたシェイラを見て、ベルグはワフワフと笑った。
病室のいくらかを回ったのだが、残された日記を読むだけでも、必ずどこかの部位を褒める記述が残されている。
部屋から部屋へ……診察室のような部屋に行き着いた二人は、その部屋の異様さに眉をしかめた。
部屋の四隅にそれぞれ、目・口・手・頭の無い像が一つずつ置かれていたからだ。
「どれも、どこかの部位が欠損しているのか」
「あっちは目が、こっちは口、こっちは手、あれは頭がない――」
「む、これは……?」
擦り切れたノートが置かれ、その中をパラりとめくったベルグは思わず目を見開いてしまった。
「患者の部位リスト……?」
「もしかして、お医者さんは変態さん……だったの?」
「かもしれんが、しかし何だこの設計図のような物は? 解剖図とは違うし、これはまるで――」
各所に何度も書き直してあるが、それぞれが人の名前が書かれている。
“とんでもない事”がベルグの頭をよぎり、顔をブルブルと振った。
その後ろで、室内を調べていたシェイラが声にならない小さな悲鳴をあげた。
「す、スリーラインッ……こ、ここ、これ……」
シェイラが、キィ……と開いた扉の向こうに、赤い床の上に多数の死体が転がっている。
その脇には、剣や槍――床に足を踏み入れれば、ぴちゃっ……と水音が鳴った。