妹の死
電車に乗って
同じ国でありながら遠い異国のような土地で1ヶ月もいると、見慣れたはずの駅の光景に懐かしさが込み上げてくる。
北口を出て時計を見ると、17時10分前である。
待ち合わせには少し早い。
すぐに待ち合わせ場所のパン屋へ行っても良かったのだが、妹にはずっと家を空けていて一人にさせて悪かったと思い、お土産を買うことにした。
(そうだ。妹だけでなく、ミキにも何か買ってあげよう)
北口の前は、3車線の道路が左右に伸びていて、ガードレールが車道と歩道を分けている。
北口から歩道へ行くまでは、少し空間がある。
駅前広場と言える代物ではなく、具体的に広さを言うなら、商店街の建物の4件分くらいあるだろう。
このせいで歩道に出て左を見ないと横断歩道が見えない。
広場もどきの空間を渡って歩道に近寄ってみた。
そこから左向け左をして歩くと横断歩道があるのだが、そこまでの距離は40メートルくらいだ。
その近くのパン屋が待ち合わせ場所である。
今、そこをチラッと見ると、近くに妹らしい女の子が立っている。
駅周辺は、車の往来は10秒に1台程度あるが、人となるとこの時間帯はまだあまり歩いていない。だから、遠くまで見通せるのだ。
あの方向にお土産店を探しに行くと妹に見つかる可能性がある。
(反対方向に店を探すことにしよう)
そう思って視線を右に移動した時、女の子の位置から見て右斜め前の反対車線に、立派な黒塗りの高級車が止まっていることに気づいた。
もちろん、横断歩道のそばに車を止められないので、少し駅側に移動している。
(珍しいな、あんな車を見るのは)
この並行世界に来てからは、高級車そのものを見ていない。
誰が乗っているのだろうと気にはなったが、それはさておき、今立っている位置から見て右側へ土産店を探すことにした。
すると、10メートルほど向こうのシャッターが閉まった店先で、紺の風呂敷を広げてアクセサリーを売っている女が
アクセサリーから、ミキの髪飾りを連想した。それもあって、アクセサリーが気になり、女が広げている風呂敷の前に近づいて行った。
女はヒドく痩せていて、面長で顔は浅黒く目はギョロッとしている。
唇は真っ赤に塗られているが、顔の色に負けているため、自己主張がない。
髪は長いがボサボサで、いくつか派手な髪飾りを付けている。
自分自身でアクセサリーのサンプル品を付けることで、マネキン代わりなのだろう。
細い腕にはブレスレットと言うより何か腕輪のような物をたくさん付けてジャラジャラさせている。あまりに数が多くて風呂敷に載らないからだろうか。
服は原色のラテン系で実に派手だ。
女は客が来ないせいか大きな
「おや、男の兵隊さんかい。これはこれは珍しいね」
女はそれまで
「彼女用?」
「そう」
「いいねいいね。お兄さん、イケメンだからモテてしょうがないでしょう?」
「それほどでも」
「謙遜しちゃってぇ。両手に花なら、一杯必要だろう? さあ、どれでも安いから買っておくれ」
女はそう言って両手を目一杯広げる。
値札を見ると、大体5千円から2万円の間だ。元の世界の感覚では5百円から2千円の間ということになる。
1万円のを2個買うことにした。
「たったの2個かい。10個ぐらい要らないの? まけとくからさ」
「いや、これでいい」
財布を開き、支給された手当から2万円を取り出した。
「分厚い財布だね。手当がタンマリ出たとか?……って、なんだ軍票かい」
「ぐんぴょう?」
「軍用手票。兵隊さんのお金だよ。外では使えないことないが、特殊なお金だから後1万もらわないと。割が合わないよ」
「なんで?」
「こっちの通貨と両替するのに手数料がかかるからさ」
「5割も?」
「う~ん……じゃ、サービスするわ。男の兵隊さんに免じて大負けに負けて2千円でいいや」
(たぶん、これが交換手数料プラス自分のマージンだろう)
「じゃ、これ」
「毎度あり」
アクセサリーを1つずつ入れた袋を2つもらうと、突然ポケットの中の携帯電話が鳴った。
(妹か?)
俺は携帯電話の画面を見た。
発信者はイヨと表示されている。妹が設定したのだ。
俺は電話に出た。
「もしもし」
「マモルさん!? 戻ってきたの?」
「ああ」
「ちょっと大事な話があるの。今どこ?」
「北口の-」
浅黒い顔の女がこちらを見てニヤニヤしている。
「アクセサリー売り場の前」
「ああ、もうそこにいるの」
「そうだ。アクセサリー付ける?」
女は右耳の後ろに右手を当て、耳の穴をこちらに向ける。
「うん。マモルさんがくれるなら何でもいい。お守り代わりにする」
「じゃ」
それからまたアクセサリーを探し始めた。
迷っていると、女がニヤニヤしながら花柄の髪飾りを薦める。
値段が高いので値引き交渉をしているちょうどその時だった。
待ち合わせ場所の方角から大音響の爆発音が轟いた。
続けてドカンと重く響く音がして、バリバリとガラスの割れる音が聞こえる。
「キャーー!!!」
複数の女性の叫び声がした。
声の方向を向くと、高級車が黒煙を上げて燃えている。
斜め向かいのパン屋の前に人が集まり始めた。
俺はイヤな予感がした。女兵士も集まって来た。恐る恐るそこに近づく。
パン屋のガラスがメチャメチャに壊れているのが見えたが、野次馬が集まってきたので、後ろからでは何が起こっているのか見えない。
連中の肩越しに覗くと、バイクが店に突っ込んでいるらしい。
「バイクをどけろ!」
女兵士達が4人がかりでバイクをどけているようだ。
「すぐに病院だ! 車を持ってこい」
病院という言葉に背筋が寒くなった。
(人が怪我している!? もしかして、妹!?)
さらに増えた野次馬の輪をかき分けて一番前に出た。
飛び散ったガラスが大量に散乱する道路。
そこには、しゃがんだ女兵士が血まみれになった女の子を抱きかかえていた。
(妹だ!!)「マユリ!!」
女兵士がこちらを見た。
「ご家族の方?」
「はい! 兄です!」
野次馬達が一斉に同情の目を向ける。
「一緒に来て! 病院まで」
女兵士達に連れられて病院へ行った。
妹は緊急治療室に運ばれたが、程なく医師が出てきた。
「お気の毒です……」
俺は泣き崩れた。
女兵士が現場の証人達の話をまとめたので教えてくれた。
高級車が爆発し、たまたま近くを通っていた大型バイクが吹き飛び、パン屋に突っ込んだ。
その時、パン屋の前に立っていた妹が巻き込まれたとのこと。
(なぜこんなことに……なぜ……どうして)
俺は運命を呪った。
一度家に戻った。
ところが妹は家に鍵をしていて、妹に鍵を預けていたため家の中には入れない。
仕方なく、玄関の前に膝を抱えて座り込んだ。
すっかり暗くなっている。
何もする気がなくなった。ここで一夜を明かすつもりでいた。
しばらくすると、突然、左手中指の指輪がブルブルと震えだした。
未来人と交信する電話が鳴ったのである。
指輪に口を近づけた。
「もしもし」
泣き疲れたので、小声しか出なかった。
「あら、元気ないわネ~? どうしたノ?」
未来人は優しく声をかけてきた。
俺は指輪の電話を通して妹の顛末をかいつまんで説明した。
未来人はすぐに返事をした。
「話を聞いていると、アクセなんか買わないで、待っている妹さんのところにサッサと行けば良かったのヨ」
「でも、長く家で待っていてくれた妹に何かお礼をしたいから」
「アクセより命が大事よ」
「でも……」
「じゃ、さっき誰かと電話して遅くなったみたいな話をしてなかった?」
「ああ、……イヨとかな?」
「それそれ。イヨちゃんの電話を取らなければ、少し何とかなったんじゃない?」
「でもイヨの電話を無視できなかったし」
「あれも駄目、これも駄目じゃん」
そうは言われても、そうするしかなかったのであるから、仕方がない。
「これからどうしたいノ?」
「このまま終わりたくない」
「じゃ、時間を戻してあげるから、やり直したら?」
「時間を戻す?」
「あら、覚えてないのネ。……ま、いいワ。とにかく、やり直すために時間を戻すから、行動を変えなさいヨ」
「そんな簡単にできる?」
「時間は簡単に戻せるけど、あんたの行動を変えることまでは、こちらからでは無理。それはあんた次第なノ」
「そんなこと出来るかな……」
「やらなきゃ駄目。時間を戻しても何もしないと同じことを繰り返すわヨ。またこうして同じことを嘆いて後悔することになるけど、それでもいいノ?」
「……なら、どうすれば?」
「だ・か・ら、行動を変えるしかないノ」
「どういう風に?」
「あらあら、自分で考えられなくなったのネ。……えっと、アクセは大事なんでしょう? なら、アクセを買う前の時間まで戻してあげるから、イヨちゃんの電話を無視したら? 無視すれば妹さんに早く会えて、その事故の現場から遠ざかれるわヨ」
「なるほど。……出来るかもしれない」
未来人は、一呼吸置いて言う。
「一応言っておくネ。そっちの世界であんたの時間を戻すと、あんたの記憶もその時点に戻るノ。と言うことは、何かしないともう一度同じことを繰り返すのヨ。だから頑張ってイヨちゃんの電話に出ないこと。強烈な印象があれば今回のことが過去に戻っても微妙に記憶に残るから、それを頼りに行動を変えられる。出来るわネ?」
「大丈夫……だと思う」
「ちょっと頼りないわヨ」
「大丈夫!」
「ヨシヨシ」
未来人は俺の決心を確認すると「じゃ、時間を戻すわヨ」と言う。
俺は、イヨの電話に出ないこと、と頭の中で何度も繰り返した。
そうしているうちに、フッと意識が遠のいた。