隙間
「ママー?」
リビングにいる娘が私に呼びかける。
「どうしたの?」
夕食を作る手を止めることなく私は答える。トントントンとキャベツを小刻みに切る音が聞こえた。
「ママー?」
私の背中に向かって娘は再び声をかける。一人遊びが得意なこの子にしては珍しい。
私がいま手を離せないことはわかっているはずなのに。普段なら静かに人形遊びや、絵本を読んでいることが多い子だ。
「なぁに?」
「誰かいるよー」
私は手を止めると、振り返る。しかしリビングの絨毯の上には娘しかいなかった。
「誰もいないじゃない。」
私は夕食作りを再開した。
「いるんだって、ほら。」
「どこにいるの?」
振り返らずに私は娘と会話を続けた。
「隙間。」
「隙間?」
「あそこの隙間に誰かいるよ。」
私は再び作業を止める。
水道の蛇口をひねって手を洗い、エプロンで拭きながら娘のそばへと歩み寄った。
娘は部屋の一点をじっと見つめている。
「誰がいるの?」
私は優しく話しかける。
「ほら、あそこ。」
腕を地面と平行にピンとあげ、人差し指がある一点を示している。私はその先を目線で追った。そこには壁を背にして本棚とクローゼットが置かれている。
どうやらその隙間を指しているようであった。
私は目を凝らした。真っ暗な空間。
徐々に目が慣れると、確かにそこには人間の目があった。しかもこちらを見ている。
冷水をかぶせられたような悪寒が身体中に走る。
私は慌てて娘の手を握り、逃げようとした。
だが、遅かった。
次の瞬間、その隙間か伸びてきた人間の手が、いとも簡単に私たちは掴まえてしまったのである。