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作劇屋のルール

 演劇なら、下手(しもて)から退場した私はすぐに上手に回って、「買ってきたぞ」などと説明くさい台詞を吐きながら再登場するのだろう。しかし現実はちょっと面倒で、お使いに出たのならお使いを済ませなければいけない。不慣れな道でちゃんと帰れるかという不安と、女物のカーディガンとつば広帽で外を歩くいたたまれなさをお供に連れて、無事ampmに着くと禮音(れいね)の言うとおり店員は無言でお米サンドを温めて渡してくれた。それを冷めないよう少し早足で持って帰り、ようやくあの素っ気ないスチール製のドアに戻ってきたのである。
 ドアノブを回して中に入ると、意外な光景が広がっていた。部屋の主の代わりに、大柄な男がパソコンをいじっていたのである。しかもよく見れば、その男には見覚えがあった。
郷原(ごうはら)強右衛門(ごうえもん)……」
 郷原は私を見て、明らかに戸惑っているようだった。
「ち、違うんだこれは。物語を売ってもらおうとやってきたら、君が留守だったものだから、パソコンから適当な物語を見繕って、お代を置いて帰ろうと……。
 本当に金は払うつもりだったんだ」
 ここで私は、彼には私が築垣(つきがき)禮音に見えていることを理解した。そのままでは話がしづらいので、私はカーディガンとつば広帽を取った。
「君は……、なぜここにいるんだ?」
 私が答えるより早く、物陰から本物の築垣禮音が現れた。
「つまり、こういう結末なわけさ」
 禮音は私からカーディガンとつば広帽を受け取ると、郷原の方へと歩きながら着込んだ。
「郷原強右衛門があたしから物語を買ってたのは最初の頃だけ。いつからか、こうやってあたしの留守中に忍び込んではパソコンを盗み見るようになった。あたしのパソコンには、世界各地で生成消滅している物語の数々がリアルタイムにダウンロードされてきている。そうして蓄積された物語の中から、こいつはめぼしいものを選別して盗んでいたのさ。今日も今日とてあたしが外出したと勘違いした彼は、この部屋に忍び込んだ。あたしが本当に外出したんなら、ただコンビニでお米サンドを買って終わりじゃない。あちこち寄ってしばらく帰ってこないからね。ところが出かけたのはあたしになりすました客人で、あたしは物陰に隠れて一部始終見ていたわけだ」
 作劇屋が質も内容もランダムな物語しか売ってくれないのに、郷原が高品質で依頼者の要望に沿った物語を常に提供し続けられるのには、そう言うからくりがあったのか。納得しかけて、一つおかしな事に気付いた。
「待てよ。そんな選り好みができるほど色々な物語がパソコンの中に蓄積されているのなら、そもそも君が客の依頼通りの物語を選別して売ってくれればいいんじゃないか?」
「作劇屋のルールで、それは出来ねーのよ」
 禮音はパソコンの前に座ったままの郷原を押しのけるようにキーボードの前に身を割り込ませると、パソコンをいじりながら言った。
「あらゆる物語は、誰に語られるべきか最初から決まっている。作劇屋は客に語られるべき物語しか売っちゃいけないんだ。だがこいつは、本来他人のもののはずの物語も平気で盗んでいく。ちなみに、例の十万部売れた作品なんか、本当は君のための物語だったのだよ」
「何だって?」
 十万部の人気作が、本当は私が書くはずだったものだって?
「パソコンに蓄積されているのはプロットに過ぎないから、同じプロットでも君が書いたら十万部もの人気作にはならなかったろうがね。そう言う意味では、あのプロットの魅力を最大限に引き出してみせた郷原氏の筆力はやはり偉大だよ。君が書いたとしたらさしずめ……そうだな、新人賞に応募して最終選考落ち、その後編集者から連絡が来て、『文章が下手すぎて出版に値しないが、プロットは素晴らしいから直せば使えるすぐに直せ』とか言われて、微に入り細に渡ってダメ出しされて泣きながら修正することになったろうね」
 歯に衣着せぬ禮音の言葉に軽く傷ついたが、多分そのとおりだろう。あの作品は私の書きたかったテーマを、私の書きたい世界観で書いていながら、決して私には書けないと私は読んだとき感じた。そう言う作品を書けることに対する嫉妬が、そもそも郷原強右衛門に興味を持つきっかけになったのだ。
「だが、物語を管理する作劇屋として言わせてもらえば、あの物語はそれでも、すでに人気と実力のある作家がさらさらっと書いて上梓するよりも、未熟な作家のたまごが苦労して世に出した方がしっくりくる。
 読者は往々にして、作品に作者を投影することがあるからね。夢を掴もうとして現実の奔流にもがき苦しむ主人公に、息をするように人気作を生み出せる郷原氏を投影するのは無理がある。やはりあれは、君が書くべきだったんだよ」
 フォローなのか何なのかわからない言葉を言うと、禮音は電話機から音響カプラを外し、受話器を耳に当てた。
「さて、これから物語の管理局に郷原氏を通報する。彼には一生物語が書けなくなるペナルティが課せられると思うが、それだけでは被害者の君は救われまい。盗まれた物語の代わりに、彼が書くはずだった物語を一つさしあげることもできるがどうするね? 他の被害者にも同様の措置をしなきゃならないが、君から盗まれたやつが一番売れてたし、一番面白い物語をあげるよ。近未来のアゼルバイジャンが舞台の長編SFだ」
 私はずいぶんと迷った。長編なら、新人賞の長編部門に応募できる。プロットさえ浮かばなくなっていた私にはありがたい。しかも郷原氏が書くはずだった物語の中で一番面白いのならば、未熟な私が書いてもそれなりに良いものになるかもしれない。
「いや、やめておこう」
 悩んだ末に、私はそう結論した。書くべき人でない人が書いて、禮音のいう「しっくりこない」作品にしてしまうのは、物語に対して失礼な気がした。
 その時、机の上の古いパソコンが「ピポッ」っと音を鳴らした。
「今の君の台詞で、この物語は終劇のようだ。長編でなくて気の毒だが、これは正真正銘、君の物語だ。持って帰りたまえ。お代はそのお米サンドでいいよ。あたしにはこいつを管理局に引き渡す仕事が残っている」
 すでに冷めつつあるお米サンドを禮音に渡すと、私は作劇屋をあとにした。ハチミツ色の夕焼けだった世界はもう薄墨色に変わっていた。私はたった今買った物語をどう書こうか、構想を練りながら帰路についた。

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