第二話:海ドラゴンで毒ドラゴン
カヤがよちよちと歩き始めたオーシャンドラゴンを見つめながら、呆れたように言う。
「冷静に考えてさ……浜辺で拾ったんだよ? ブルードラゴンとか、オーシャンドラゴンとか、シードラゴンとか……海ドラゴンの可能性が高いに決まってるよね? この間の卒業パーティで食べたドラゴンステーキは陸ドラゴン……多分レッドドラゴンかなんかの肉だよ」
「海ドラゴンってなんだよ……くそっ、こんなの詐欺だ」
カヤの説明によると、ドラゴンには種類によって食べられるものと食べられないもの、美味しいものと美味しくないものがいるらしい。
オーシャンドラゴンはその中でも毒ドラゴンと呼ばれており、血液に有毒な成分が入っており、人間が食べると腹を壊して死ぬとの事。毒ドラゴンってなんだよ! 毒キノコかよッ!
「拾う前に教えてくれよ、どうするんだよこれ!」
「え……いや、だって……食べようとするとは思わなかったからさ……」
逆に食用以外に何にすると思ってたんだ、こいつは。
俺の性格を家族の次くらいに熟知しているはずなのだが、たまにカヤはこういうミスを犯す。もちろん、文句を言えるような筋合いではないんだけど、もうちょっとなんとかならないのかと思ってしまう。
ドラゴンが尻尾を引きずってこちらに這いよってくる。その仕草には敵意は見えない。いや、むしろその一つ一つの仕草からは信頼に似た何かが見て取れた。
「きっと……親だと思ってるんだよ、クジョ―の事。
「鳥かよッ!」
聞いたことがある。俗に言う『刷り込み』と呼ばれる習性だ。
卵から生まれて最初に見たものを親だと思い込む習性である。よもや種類によっては人に匹敵する知性を持つとされるドラゴンがそんな習性を持っているとは……知ってたらカヤの事を盾にしてたのに。
生まれたばかりなのにそれはちゃんとドラゴンの姿をしていて、犬猫とは違った愛くるしさがある。地味にぬいぐるみ集めが趣味のカヤがちらちらと仕切りにそちらに気にしながら言う。
「どうするのさ?」
「海に帰す。食べられないドラゴンに用はない」
「え? まだ赤ちゃんだよ?」
「俺に飼えるわけがないだろ。大体、ドラゴンだぞ? 大丈夫、一人でも生きていけるさ」
ドラゴンとは生態系の頂点である。今はもう美食家のおすすめになっているが、人を遥かに超えた存在である事は間違いない。そんなドラゴンを飼おうなんておこがましい事、俺には考えられない。
足元まで辿りつき、海ドラゴンが縋り付くかのように短い手を伸ばしてくる。俺は少し迷い、そのまま両腕の下を掴んで抱き上げた。卵から生まれた直後は身体全体を包んでいた粘液は既に乾き、鱗は艷やかだ。
腕にかかるずっしりとした重みと柔らかさ。生まれたばかりのドラゴンが嬉しそうにきぃと鳴いた。
カヤがそわそわと羨ましそうに見ている。
「さて、さっさと海に帰すぞ」
「えええ? い、今? 今日帰すの?」
「このまま置いておいても……別れが辛くなるだけだ」
めんどくせーし。
「クジョ―、絶対そんな事思ってないよね!? 眼がもう面倒臭いって眼をしてるよ!?」
だって、面倒臭い。
何しろ、何度も言うが相手は犬猫ではないのだ。国への申請も面倒臭ければ、食費も馬鹿にならないだろう。下手したら俺の隠居生活が終わってしまうかもしれない。
何が嬉しいのか、遊んでもらっているとでも思っているのか、腕の中のドラゴンが仕切りにきぃきぃと鳴く。殺さないだけマシだと思って欲しいものだ。
「それともなんだ? カヤが飼うか? 俺は別に構わないが」
「え……いや……うちでは……無理だよ……」
知っている。
カヤの家は客商売だし、その親父さんはペットが大嫌いな男である。随分昔の事だが、捨てられていた猫を拾おうとして怒られた記憶は鮮明に残っていた。十年近く昔の事なのでなんと説得されたのかは忘れてしまったが、それ以来カヤは動物を飼う事を諦めたのだ。
「そうだろ。こいつの幸せだけを考えてやろうぜ。本来あるべき自然の中で生きる方が幸せさ」
めんどくせーし。
「……クジョ―……君って奴は……」
「大体、体長が幾つになるのかもわからないドラゴンをどうやって飼うんだよ」
「オーシャンドラゴンは海ドラゴンだから……かなり大きくなるはずだよ」
ドラゴンはただでさえ大きいものなのに、それにかなりとつけるくらいなのだから相当でかくなるのだろう。俺は家と同じくらいの大きさになった海ドラゴンを想像して、ぞくりと肩を震わせた。冗談じゃない。
てか、こいつ本当に無駄な知識持ってるな……。
「クジョ―、そのドラゴン……雄か雌かわかる?」
「雌だな。金玉がない」
「……金玉って……ドラゴンに……金玉はないよ」
じゃーわかんねーよ。
俺が知ってるドラゴン情報は、ドラゴンステーキが美味しいってことだけだよ。
カヤがもぞもぞと動くドラゴンの尾を掴み、持ち上げる。ドラゴンがつぶらな瞳をぱちぱちとさせ、嬉しそうに鳴く。もう完全に野生失ってるんだけど……。
カヤはしばらく真剣な表情で尾の付け根を見ていたが、しばらくすると手を離してこちらを見上げた。
「雌だ……ドラゴンは雌の方が強いんだ。強いし、大きくなる」
「……どうでもいいけど、何? お前、まさかドラゴンマニアなの? なんでそんな情報知ってるの?」
「詳しくはわからないけど……クジョ―の家を更地にしても収まらないかもしれない。海ドラゴンは本当に大きくなるから……」
どんだけでかくなるんだよ。
安かったと言っても、庭付きの一軒家である。更地にしても収まらないとなると、俺のイメージするドラゴンより倍は大きい。もちろん、飼えるわけがないので気にしないが。
それにしても海ドラゴン陸ドラゴンって正式名称じゃないよな?
……なんか今日一日で一生分ドラゴンって言った気がする。
「とりあえず、懐かれる前に海に放すぞ。餌も何くれていいかわからないし」
「海ドラゴンは野生だと魚とか食べてるけど、雑食だから野菜の切れ端とか何でも食べられるよ。もちろん、養殖ドラゴン用のドラゴンフードでもいい」
そうですか。もうお前のドラゴンの知識に驚いて何も言えんわ。
赤ん坊のように抱きかかえたまま、急ぎ足で海に向かう。
カヤも抱きたそうにしていたが、どうやら俺にだけ懐いているようで、渡そうとしたら嫌がって身悶えしたので結局、俺が最後まで抱っこするはめになった。卵の時よりも抱えやすいが重さは殆ど変わらないので、腕が凄く疲れたが我慢した。後少しの辛抱なのだ。
海辺には誰もいなかった。まだ海水浴のシーズンには早いし、船着場は少し離れている所にあるので、この時期の砂浜には散歩する人くらいしか来ない。
「おい、親のドラゴンとかいないよな?」
「んー、多分大丈夫だと思うよ。オーシャンドラゴンは海底に卵を生むはずだから……」
カヤが首を傾げる。砂浜には潮騒の音のみで、ぞくぞくする程人気がない。
くそっ、海底に生むんだったらちゃんと波に流されないように固定しとけよッ!
自分の本来いるべき場所――
大体、卵が放置していた辺りで砂の上に降ろしてやると、未熟な四肢を懸命に動かし、ゆっくりと海に近づいていく。地面についた長い尾が砂をなぞり、細い線を刻む。数歩歩く度にまるで窺うようにこちらを振り返るが、頷いてやるとまたすぐに前に進んでいった。
その小さな身体の足の先が水にはいり、顔が、尾が、完全に海水に浸かる。
何を勘違いしたのか、カヤが潤んだ眼で講釈を入れた。
「大丈夫だよ。オーシャンドラゴンは水中でも呼吸できるから、窒息したりはしない」
そんな事心配してないから。だが、そのままただ黙って立っているのも変な感じなので、返答してやる。
「水中でもって事は陸でもできるのか……」
「オーシャンドラゴンは水陸両用だからね」
何そのお得な感じ。ドラゴンって皆そんなもんなのか? というか、言葉の使い方間違えてない? 水陸両用って……。
若干げんなりしながら、浅瀬でゆうゆうと泳ぐオーシャンドラゴンを眺める。恐らく、遺伝子に刻み込まれているのだろう。海の中のオーシャンドラゴンの移動速度は、さっき生まれたばかりにも拘らずかなり速かった。陸での移動と比べ物にならない速さは、確かにそこがオーシャンドラゴンに取ってあるべき場所だという事を示しているかのようだ。
小さな身体が、少しずつ、大きく円を描きながら沖の方に消えていく。すぐに水面に反射する光でその姿が見えなくなる。
どうやら本来あるべき場所に帰ったようだ。食えないと聞いた時はどうなるかと思ったが、思ったよりも面倒がなくて本当によかった。
ほっと息を吐くと、何を勘違いしたのか、カヤが慰めるかのようにぽんぽんと肩を叩いてくる。
「クジョ―、君はいいことをした。きっと彼女はクジョ―に受けた恩を忘れないよ」
「俺、拉致った卵から生まれたドラゴンを元の場所に戻しただけなんだけど?」
どこに恩を感じるんだよ……餌すらくれてないからな。
別にセンチメンタルな気分になったりもしてないし。
俺が得たものは珍しい体験と、カヤが無駄にドラゴンに詳しいという情報と、そして、ドラゴンの卵を拾う時はちゃんと食べられるドラゴンか確認してから拾いましょうという教訓だけだ。
大きく背筋を伸ばし、深呼吸をする。無駄な時間を使ってしまった。
「……帰るか」
「そうだね」
散歩中、特にやる事はなかったので別に構わないが……。
その時、ふと気づいた。
「そうだ。カヤ、帰ったらなんか作ってくれよ」
すっかり忘れていたが、美味しいドラゴンを食べる気満々だったのだ。十キロ近いドラゴンを持って往復したせいで、胃がオーシャンドラゴンの鳴き声にも似た悲鳴をあげる。
カヤが眉を潜め、呆れたようにため息をついた。
「……仕方ないな……食材はあるの?」
「ねー」
自慢じゃないが、俺は料理ができない。全然出来ない。剣はそこそこ使えるが包丁を使うと指を切る。食事は全て外で適当に買って食べているので、食材を常備して置く必要はないのだ。
逆にカヤは花嫁修業を受けているらしく、かなり料理が上手い。キッチンはあるので、彼女が家に来た時だけ栄養補給させてもらうつもりだった。
「クジョ―、一人暮らしするならちゃんと料理できるようになったほうがいいよ? ……さすがに私も材料がないと何も作れないんだけど」
「レッドドラゴンの卵はどこにあるんだっけ?」
「……ないよ。レッドドラゴンは山脈の深奥とか、火口とかに棲みつくんだよ! まだ諦めてないの?」
「いや、冗談だ、冗談。諦めたよ」
もうドラゴンの卵はこりごりだ。
適当に市場で材料を買って、ちょっと早めの夕食を作ってもらう事にしよう。
§ § §
昼間は晴れていたのに、日が暮れたあたりから雨が降り始めていた。
料理と洗濯と掃除を小言をいいながらやってくれたカヤを家まで送り届け、一人でリビングでだらだらしているとふとドアの外からノックの音が聞こえた。
雨脚はそれほど強くない。しとしとという音に紛れて聞こえた鈍い音。思い当たる節はない。友達はいるが、まだ一人暮らしを始めた事は教えてないし、家の場所も教えていない。新しく買い取った俺の家を知っているのは家族と今日教えたカヤくらいだ。
親父とは半ば喧嘩別れみたいな感じで出てきてしまったので、そちらの線は薄いだろう。
カヤが忘れ物でもしたのだろうか?
首を傾げながら玄関の鍵を開けると、そこには……ちゃんと海に放したはずのオーシャンドラゴンがいた。
つぶらな瞳をくりくりと動かし、まるでただいまでも言うかのようにきゅーきゅーと鳴いている。
一瞬、夢でも見ているのかと思った。呆然としながら、自分の頬を強く抓る。鋭い痛みに、これが夢じゃない事を確信する。
顔を、深夜の予想外の来客に近づけ、それを観察する。夢ではない。目が悪くなったわけでもない。
「……でかく……なってる」
戻ってきただけでも悪夢なのに、昼間と比べて、そこにいたオーシャンドラゴンは明らかに大きかった。それも、一回りか二回り。恐らく、今のサイズだったらあの卵には入らないだろう。このペースで大きくなっていったら、すぐに玄関の幅を超えて家の中に入れなくなる。
しとやかな雨を全身に浴びながら、帰って来たドラゴンが、俺の気持ちも知らず嬉しそうに鳴いた。