第一話:野良ドラゴンは海ドラゴン
王国では大体、学校を卒業すると同時に身の振り方を決める事になる。
家業がある者は家業を継ぎ、成績の優秀なものは国を始めとした各機関からオファーが来る。無謀な者は狩人になり、魔物を狩って生計を立てる事になる(余談だが、そいつらを冒険者と呼んだりする。確かに、凶悪な魔物を狩って人生を過ごすというのは一種の冒険と呼べるだろう)
周辺諸国と比べて、比較的裕福で住みやすい国だが基本的によほど実家が金持ちでなければ無職となる事は許されない。
それでも、父親が王国の騎士であるとは言え、財産と呼べる物がほとんどない中流家庭に生まれ育った俺が学校を卒業後もぷらぷらと無職をして過ごせているのは、学校を卒業する直前に買った宝くじが当たったからだ。
一等だった。まとまった額は贅沢しなければ十年二十年生活できるだけの金額であり、俺はその瞬間就職活動をやめたのである。親のコネで騎士団に入れたはずだったのに、俺の方がそこらの冒険者よりもよほど冒険しているかもしれない。
大きな卵を抱えながら街道を歩く俺たちは凄く目立っているようで、ちらちらと視線を向けられながらも歩みを進める。カヤはしばらく恥ずかしそうにしていたがすぐに慣れたようで、ここに至っても説得しようというのか、仕切りに声を荒げた。
だから大丈夫だって。生まれたらすぐに食べるから。
「だ、大体どうやって飼うつもりさ。君の部屋、狭かったじゃないか?」
「あ、俺、引越したから」
「はぁぁぁぁぁああああ?」
親の視線が痛かったからである。
父親は騎士団の一員だけあって、真面目な男であり、母親もそれに惚れた真面目な女であった。無職という選択肢を取った俺に小言こそ言わなかったものの、何も言わないというその事実が柔らかい俺のメンタルを傷つけていたのだ。
幸いな事に金はある。田舎だけあって、そこそこの広さの家を土地込で購入する事ができた。
「……私、初めて聞いたんだけど?」
「なんでお前にいちいち言う必要があるんだよ」
「え……いや……だって、私たち……友達……だよね?」
カヤは女である。長く背中まで伸ばされた金髪に海の底を思わせる青い眼。実家が結構大きな商家である事もあり、学生時代はとても人気が高かった。
頻繁に告白されていた彼女が誰とも付き合わなかったのは、恐らくずっと俺とつるんでいたためだろう。彼女の両親と俺の両親は幼なじみらしく、頻繁に互いの家を行き来していたのも悪かった。要するに、勘違いされていたのだ。
昔は何度かその件で嫌がらせを受けたが、片っ端からぼこぼこにしてやったら手を出す者はいなくなった。突出しているわけではないが、親父由来の腕っ節の強さだけは昔から変わらないのだ。
問いに答えず、さっさと歩いて行く。カヤはあわあわしていたが付き合いが長いだけあってすぐに復活し、後をついてくる。
すぐに寂れた一軒家が見えてきた。くすんだ赤の屋根に小さな窓のこじんまりとした家だ。築云十年で古びているが住むのに支障はない。家具も大体揃えたし、小さな庭もある。慎ましく生きるのは十分だろう。
「これ、持ってろ」
「わわッ!?」
卵を一端手渡し、鍵を開ける。ぎぎぃっと軋んだ音を立て、扉が開く。軋んだ音は嫌いだ。この音だけが現状の不満点だ。是非とも直したいが、金が勿体無いのでしばらくは我慢する予定だ。
カヤが卵の重さでよろよろと敷居をまたぐ。またぐと同時に、緊張した様子で小声で呟いたのが聞こえた。
「お……お邪魔します……」
「お邪魔しろ。卵はその辺に置いてくれ」
部屋は狭い。リビングに寝室にキッチン。収納と本棚。トイレ風呂つき。一人暮らしならばけっこう余裕で、二人暮らしならばぎりぎりなスペース。どうでもいいが、前の住人は老夫婦の二人暮らしだったらしい。
室内はそれなりに汚れているが、それなりに汚れているだけで済んでいるのは引越した直後だからである。多分数ヶ月もすればゴミの山が出来上がるだろう。掃除苦手。
「女の子にこんな重い物持たせるなんて……」
ぶつぶつ言っているカヤを無視して、慣れない手つきでお湯を沸かす。家と土地と生活に便利な道具を一通り揃えたら宝くじの賞金が半分になってしまった。
お茶を入れると、きょろきょろと忙しげに辺りを観察しているカヤに席を勧めた。
テーブルに椅子が二つ。これはもともとついていた家具である。ベッドも二個あったが流石にベッドは買い換えた。
「あ……ありがとう……けっこう広い家だね……」
「古いけどな」
両手で抱えるようにしてカップに口をつけるカヤを他所に、床に置かれた卵を眺める。
見れば見る程、これで目玉焼きを作ったら何人前になるのか気になってくる。ドラゴン肉が美味しいのは周知の事実だが、ドラゴン卵焼きの味は果たしていかなるものなのか、興味は付きない。
「で、どーすんのさ……卵なんて持って帰っちゃって。世話なんてできるの?」
「いや、すぐに食べるから」
「食べる!? クジョ―、君、まさか食べるために持って帰ったの!?」
大げさに驚くカヤ。まさか、本当に気づいていなかったのか。
俺がドラゴンなんて飼うわけがないじゃないか。大体、飼ってどうするというのだ。犬猫じゃねーんだぞ。
ドラゴンを飼育するなんて、ぱっと思いつくのは動物園とか、あるいは竜騎士が騎乗するために飼育するとは聞いたことがあるが、あれはああいう種類であって多分この卵から生まれてくるドラゴンではないだろう。
大体、ペットの世話なんて俺ができるわけがねーじゃねーか。自分の世話さえ出来てないのに。
「天然ドラゴンって美味いらしいからな……大丈夫、カヤにも少しだけ分けてやるよ」
さすがに、生まれたてとはいえ、竜一匹まるごと食べるのは一人ではきついだろう。
どの部位が美味しいのだろうか。いや、そもそも俺は料理ができない。金がもったいないがプロに頼むべきか……。カヤも料理はうまいがさすがにドラゴンを調理したことはないだろう。
いろいろと考えていると、カヤがおずおずと手を上げた。
「あの……クジョ―。多分……食べられないと思うよ、これ」
「? なんでだ?」
食べられないなら持って帰った意味がない。カヤの方をまじまじと見つめると、眉間にシワを寄せて説明を始めた。
「まず第一に……調理の方法がわからない」
「カヤ、お前、料理得意だったよな?」
「い、いや。やらないよ!? ドラゴンとか料理したことないよ!? 大体、殺す所からやらなきゃならないんだよね!?」
やっぱり経験はないか。
「殺すのは俺、やるわ」
「だから料理しないってッ!」
立ち上がりかけ、カヤが肩で息をしながら叫ぶ。
とかなんとか言って、多分頼み込めばやってくれるだろう。カヤは押しに弱い所があるのを、俺は長年の付き合いから知っていた。
もしもやってくれなくても、プロに頼めばいいだけの事だ。
やがて、呼吸を落ち着けると、椅子に座り直した。
「はぁはぁ……まぁ、いいよ。第二にね……ドラゴンってのは生まれたばかりでもすっごく強いんだよ。腕でカバーするのは至難の業だし、強い魔法の力の宿った剣でもないと……殺せないよ?」
「まぁ、殺す方法なんていくらでもあるだろ」
俺の住む街はそれほど大きくない港町だが、多分探せば生まれたての竜を殺せる程度の実力の持ち主はいるはずだ。なんなら、親父に頼めばいい。騎士団の一員として、ある程度のコネはあるはずだ。
俺の表情を見て諦める気配がないと知ったのか、カヤが深い溜息を突いた。
「後、三つ目なんだけど――」
「まだあるのか」
もうどうでもいいから。そんなくだらない話をしてる時間があるんだったら料理する方法を考えたい。
料理はできないが、調理器具は買ってある。包丁はある。まだ一度も使ったことがないので新品だ。カヤの話が本当ならば歯がたたないのだろうけど……。
うきうきしながら調理手段について思いを巡らせる俺に、カヤは言った。
「その卵……まだ生きているのかどうかもわかんないけど、きっと食べられないドラゴンの卵だよ」
「……はい? 悪い、ちょっとよく聞こえなかったんだが?」
今、こいつ、食べられないドラゴンって言った?
カヤは無意味な嘘をつくような人間ではない。捨て猫などいたらなかなか見捨てられないような人間だが、拾ったばかりの卵に情をかけたりはしないだろう。
「……食べられないドラゴンなんているのか?」
「いやいやいや、むしろドラゴンを食用としか考えていない君がおかしいんだからッ! 幻想種だよ! 幻想種!」
力とやる気が抜けてくるのを感じる。食べられない可能性があると知ったからだ。
拾ってくる前に言えよ。ここから海岸までは歩いて三十分程だが、十キロ近くある重い卵をもう一度捨てに行くのは凄いかったるい。
理由を聞くべく口を開きかけたその瞬間、ふとピシピシという何かが割れる音が聞こえた。
視線が自ずと床に置かれた卵に吸い寄せられる。カヤも何かを察したかのように、ほぼ同時にそちらに視線を向けていた。顔が引きつっている。
果たして、卵には罅が入っていた。
一本だった罅が二本になり三本になり、卵の殻が内側からノックされ、小さな破片がぱらぱらと落ちる。まじか。このタイミングで生まれるのか。てか生きていたのか。
カヤの腕を引っ張り、背中に庇う。壁に立てかけてあった、学校の卒業祝いに親父から貰った鋼の剣を抜く。まさか、多分抜くことはないと思っていた剣を抜く機会がこようとは。
「ク、クジョ―……」
「……大丈夫だ。さすがにあんなに小さな生まれたての竜に負けないだろ……多分」
殺せなくても追い出すくらいならできるだろう。カヤを傷つけたら親父にぶっ殺されるし、その時はドラゴン肉は諦めるしかない。
片付を飲んで見守る中、欠片が飛び散り、小さな青の鉤爪が卵の中から僅かに覗く。粘液でぬめぬめと輝くそれは如何にも未発達で柔らかそうだ。全長は五十センチ、小型犬くらいか。
そして、欠片が弾け、中身が這い出るようにして床に転がり落ちる。その全身が露わになった。
それは、濃い蒼のドラゴンだった。丸まっているが、小さな尻尾に翼が藻掻くように動いているのがわかる。俺の知っているドラゴンとは異なり、その頭には小さな白の角があった。四脚の脚、その先に突いた鉤爪がくしゅくしゅと木製の床を引っ掻く。
「どう見ても強そうに見えないが……」
そして、閉じられていたその瞼がゆっくりとあがった。
ドラゴンという凶悪な名前からは想像もつかないようなつぶらな瞳がゆっくりと宙を泳ぎ、俺の方に向けられる。小さな口が僅かに開き、ピキーという笛の音にも似た小さな音が響いた。いや、これは……鳴き声か。随分と愛らしい鳴き声してるんだな、ドラゴンって。
緊張が解け、深くため息をつく。赤ん坊のドラゴンはどこからどう見ても愛玩動物だった。まともに動けず、鱗は柔らかそうでそして、体表が蒼とは予想外だったが、とても美味しそうだ。
俺の背中に縋り付くようにして様子を伺っていたカヤを振り返る。
「で、この美味しそうなドラゴンがなんだって?」
「……オーシャンドラゴンだ……初めて見たよ」
「……種類なんて知らねーけど、どのドラゴンだって初見だわ、俺」
あまり詳しくないが、色や産地で種類がわけられているという話は聞いたことがある。
俺がドラゴンについて知っているのは、高級食材であり、特に養殖よりも天然が美味しいという事だけだ。
それで、その何が問題だって?
危害を加えてくる様子もなく、覚束ない挙動でよろよろと立ち上がる幼竜を眺めながら、どうやってぶっ殺すか考え始めた俺に、カヤが信じられない事を言った。
「……クジョ―、オーシャンドラゴンは食べられないよ。あれには……毒があるんだ」