Prologue:その卵は野良ドラゴン
浜辺で卵を見つけた。
海辺をぶらぶら理由もなく散歩していた時の事である。
でかい卵だ。一抱えもあるだろう。目玉焼き何個分だろうか。乳白色で、下の三分の一くらいに青の波の模様がある。ノックするように叩くとこんこんと硬い音がした。
一緒に散歩していたカヤがそれを見て感心したような、驚いたような、なんとも言えない声をあげた。
「ああ、ええ!? こ、これ……ドラゴンの卵だよ」
カヤは雑学的知識に富んだ友人であった。その知識の無駄な広さには感心するばかりである。
何しろ家が近所で付き合いが長いので、俺も変な雑学知識が増えてしまう。学校卒業後は実家の雑貨屋を継いだようだが、学校卒業後も付き合いのある数少ない友人だった。
「ドラゴンの卵か……」
「間違いないよ! 図鑑で見た物とそっくりだ。本物は初めて見たけど……」
感動したように手の平で卵を揺すってみせる。
ドラゴン、か。ドラゴンといえば、数ある幻獣の中で最も有名な蜥蜴である。巨大で、鉤爪と硬い鱗を持ち、炎を吐く、そんなイメージ。
ドラゴンが生まれるにしては小さい気もするが、鳥の卵と言うよりは説得力があるかもしれない。
「野生のドラゴンって今あまりいないんじゃなかったのか?」
「そうだよ! 今はもう人の手で育てられた養殖ドラゴンが殆どで、野良ドラゴンなんて人里離れた場所にしかいないはずなのに……」
絶滅危惧種とは呼べないが、相当に数が少ないと言っていたはずだ。
人の手で育てる技術も最近確立されたとかだったはずで、どちらにせよ随分と珍しい話ではある。
「その野良ドラゴンの卵がなんでこんな所に?」
ここは街から徒歩三十分でたどり着ける海岸だ。秘境でもなんでもなく、今は冬だが、夏には海水浴の客が大勢やってくる、そんな場所。国の有する海湾騎士団が定期的に魔物を間引いているので強い水棲の魔物なども滅多に現れない。
適当に投げかけた問いに、おろおろとあからさまに動揺する。
「え……そんなの私に、わかるわけ無いじゃん? ……多分、波で流されてきたんじゃないかなぁ?」
何しろ浜辺である。何が流れ着いてもおかしくない。以前は皇帝イカの死骸が流されて大騒ぎした事もある。俺は無言で頷き、ドラゴンの卵をもう一度観察した。
滑らかな表面。見たこともない巨大な卵。ドラゴンの卵は貴重品だ。特にそれが野良ドラゴンならば価値は養殖よりも遥かに上がる。
ドラゴンの卵は頑丈だと聞くが、果たしてこれは生きているのだろうか。
俺は無言でそれを抱えた。カヤが目を見開き、短い悲鳴をあげる。
「え? それ、持ち帰るつもりなの!? や、やめた方がいいと思うけど……」
「海岸に落ちていた物は見つけた奴の者だろ?」
皇帝イカの死骸も結局拾得者の物となった。発見者は地元の漁師だったが、高位の魔獣の死骸だけあってかなりの金になったらしい。
俺は今の所金には困っていないが、俺の脳裏に過ぎったのは幼体のドラゴンの味は至上だという雑学だった。養殖ドラゴンでもかなりの高級品だが、天然ドラゴンの味はそれを遥かに超えるらしい。それも、ドラゴンはあっという間に成体になるので幼体となるとさらに価値があがる。
今の時代、金を積んでもなかなか手に入らない類のものである。噂では、貴族に雇われ、天然ドラゴンを専門に狩る狩人も存在しているらしい。
是非とも一度味わいたいと思っていた所だったのだ。
持ち上げた卵はかなり重かった。十キロはあるのではないだろうか。だが、成体で数トンの重さを持つドラゴンが生まれるのだからこのくらいの重さはしょうが無いのかもしれない。
「や、やめた方がいいと思うけど……ドラゴン、危険だよ?」
「大丈夫だ」
すぐに食べるから。
「それに……エサ代も凄くかかるっていうし、飼うには許可が必要だったはずだし……」
「大丈夫だ」
すぐに食べるから。
どんな味がするのだろうか。養殖ドラゴンのステーキは学校の卒業パーティで出てきた。早い者勝ちだったので一切れしか食べられなかったが、人生観が変わる味だった。ジューシーでスパイシーで脂肪が殆どないのに噛み切れる。臭みも殆どなく、身体の奥底から力が湧いてくるかのような味。
貴族が専門のハンターを雇って狩らせているのも納得の味である。それが手に入るのならば多少の手間をかけるのは仕方がない。
「クジョ―、君、面倒な事嫌いだっただろ!? 大体、ドラゴンだなんて……無理だよ。種類にもよるけど成体だと五メートルを超える個体もいるっていうのに、君の家じゃ飼えないって! ……聞いてる?」
カヤが必死に説得してくる。俺はそれに一言だけで返した。
「大丈夫だ」
すぐに食べるから。