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自分が死ぬことを悲しむ存在がいたからかもしれないし、あるいは名前も知らない誰かに背中を任されたからかもしれない。恨まれていることを知っているのにまっすぐ説得しに来た人のおかげかもしれないし、もうすぐ帰ってくるはずのハイジアを待たない判断が下されたからかもしれない。
死ぬかもしれなかったあの一瞬。
ヴィオレは生きたいとも、死にたくないとも思わなかった。
──ペストに負ける。それだけは駄目だ。
ハイジアとしての存在意義や、勝ち続けてきた矜持など関係ない。背負った四人のハイジアの死も、その瞬間だけは意識から抜けていた。
まだ誰の期待にも応えていない。ヴィオレという個人を指してかけられた期待にひとつも応えないまま死ぬことだけは、耐えられなかった。
ヴィオレはペストの背を駆け上がる。姿勢を整えようと、ペストが上半身を地面へ下ろす前に頭部へ到達。頭骨を踏み抜くように靴底を叩きつけ、その内部へ可能な限りの圧力をかける。
短い断末魔が、ペストの口からこぼれ出た。肺から絞り出された空気が声帯を震わせたような、力ない声を最期に巨大ネズミは沈黙する。
倒れる速度は緩慢だった。ヴィオレも重力に掴まれるまま、辛うじて着地姿勢をとりながら地面へ向かう。黙り込んでいたイヤフォンから、弱い風のようなノイズが聞こえる。
「ヴィオレ」
合成音声に名を呼ばれながら、ヴィオレはアスファルトへ着地した。
遅れて、ペストが完全に倒れる。揺さぶられ続けた家屋から、ぱらぱらと外壁の塗装が剥がれ落ちる音がする。
無線の呼びかけに応える余裕はない。肩で呼吸をしながら、意識を繋げているので精一杯だ。緩めればすぐにでも気を失うだろう、という妙な自信もある。
地面に膝をつき、座りこんで言葉が継がれるのを待つ。
「──よくやった」
ノイズ混じりのレゾンの声を聞いて、ヴィオレは薄く笑う。全身の傷に響くような気がしたが、それでも応えようとして深く息を吸い、そのまま何も言わずに意識を手放した。