13
後ろ足を引きずる足音が近づくたび、地面の揺れはわずかに強くなっていく。
「わかった」
ペストに位置を教えるのも構わず、ヴィオレはレゾンに声を送った。
震える腕に力を入れる。靴底で荒れ果てた床を噛む。やっとのことで立ちあがったときには、思わず深く息を吐いていた。
背後にペストの気配を感じる。こちらの様子をうかがっているのか、それとも体力を温存するつもりなのか、強引に頭をねじこむことも、叫び声をあげることもしない。
好都合だった。ヴィオレは傍らにあった椅子の背もたれを掴み、言葉を継ぐ。
「……私が死ななければいいのね?」
ざぁ、とノイズが引いた。
それを合図にして、ヴィオレは掴んだ椅子を思いきり背後に投げつける。鼻に強烈な打撃を受けたペストが甲高い悲鳴をあげて怯んでいる隙に、ヴィオレは裏口らしい扉に体当たりして細い路地に出た。
直後、室内を破壊する大音声が響き渡る。ヴィオレはあらかじめ耳を塞いでおき、肌で感じる「振動」が弱まるのを待って腕を下ろした。
傷を気にする暇も、捻挫した右足首をかばう余裕もない。
元々、ヴィオレがペストに持久戦を挑んでも勝ち目などない。負傷しても勝とうとするのなら、危険を冒してでも早期決戦に持ち込むべきだ。
そのまま、地面を蹴って建物の外壁に足をつける。足裏に集中した念動力で壁を掴み、弾く。三角飛びの要領で一気に屋根の上まで登ると、箱のような建物の上にひしめく大量の緑があった。
芝や土に足をとられるのを嫌い、ヴィオレは柵の上に立って移動すると、広い道を横断するペストの尾が見える。どうやら無事な左後ろ足と尾を支えにして立とうとしているようで、数瞬後、ヴィオレが足場にしている建物が大きく揺れた。
すかさず念動力で柵を掴む。目前にはペストの鼻先が現れている。
「私を置いて消えるなんて許さないからね、レゾン」
届いてるかも分からない言葉を吐いて、ヴィオレは柵を蹴った。
前へ。しかし突進ではない。大きく放物線を描く角度をつけた跳躍で、ペストの頭上を飛び越える。
ヴィオレを追って真上を向いたペストが口を開けるのを目に留め、ヴィオレは大きく息を吸った。
再度の咆哮。合わせて、ヴィオレは体表から五センチの範囲にある空気の流れを完全に停止させた。繰り返される激しい運動に呼吸を求める体が、ぎちりと軋むのもいとわない。
歯を食いしばって三秒数え、無風状態を解除すると、息を吸うのもそこそこにヴィオレは着地体勢に入る。酸素を求めて咳き込もうとする肺腑をねじ伏せ、立ちあがったペストの背へ狙いを定めて足を振った。
ブーツの靴底が毛皮を捉える。摩擦で落下速度を削り、両手も使って念動力でペストの背を掴む。暴れようにも、本来四足歩行であるべきネズミが立ったまま、しかも後肢の半分は使い物にならないとなれば、ヴィオレを振り落とすには至らなかった。
ここまで無茶な動きをする理由を、ヴィオレは考えなかった。