07
レゾンの声に応えるように、黒い装備の男たちが大楯を持ったまま文字通り人垣を割った。悲鳴と怒号。重なる音の中に泣き声が含まれているような気がして、ヴィオレははっと顔を上げた。
「捨て置け!」
レゾンの声が遠い。けれどもそれは正しい言葉で、ヴィオレは泣き声を意識から振り払って黒い背中を追った。大楯で壁を作りながら直進し、さらにヴィオレを隙間なく囲む手際は、いっそ彼らがひとつの生命体であるかのように思わせる。
背後からは大きな怒号が聞こえた。開けろと怒鳴り散らしているのを聞くに、おそらくレゾンがエレベーターのドアを閉めたのだろう。
人波を割るのは思ったより時間がかかった。それだけ分厚い人の層ができていたということで、ようやく黒装備の包囲から解放されたときには鼓膜に喧騒が刻み込まれているような気さえした。
ヒトの営みのごく一部さえ知らなかったことを、ヴィオレは痛感する。ペストと戦っているときと同様の命の危険を、あのとき確かにヴィオレは感じていた。あれだけのエネルギーがあってさえ、ヒトはペストに勝てなかったのだろうか。
人混みを抜け、さらに距離を取るまで、黒装備はヴィオレの先導を続けた。ようやく足が止まったころには、ざわめきはかなり遠くなっている。
他人のペースに合わせて走ったとはいえ、実際の距離は大したことはない。しかし、人ひとりくらいなら簡単に圧殺できてしまいそうな人数が、ヴィオレに精神的な疲労を強いていた。
ヒトに気圧される、というレゾンの言葉を適当に聞き流したことを、今更ながら後悔する。
思わず膝に手をついて息をするヴィオレに、前を走っていた男が体ごと振り向いた。
「ご迷惑をおかけしました!」
右手の五指をそろえ、人差し指の先を眉につける敬礼と共に、男はヴィオレへ謝罪した。つられるように、周囲の黒装備たちも敬礼。呆気にとられるヴィオレに対し、なお男は述べる。
「避難誘導の際、不手際がありこのような事態に陥ってしまいました。我々の行動が不安を煽り、一部市民が暴徒化した模様であります」
「ペスト出現の情報が、こちらが思ったより広まってしまったんだ。大方誰かが漏らしたんだろうが──ともかく、それであれだけ多くの人間が邪魔になった。申し訳ない。というようなことを言っている」
レゾンのフォローがあってもなお、ヴィオレの思考は混迷を極める。
下層と中層で、これほどの違いがあってもいいのだろうか。
下層において、ハイジアは実験対象であり戦略兵器である。人間扱いされないのは当然のことで、たった一人の例外を除けば下層はそういう常識で動いている。
では下層と中層で住んでいる人間が全く違うかと言えば、そんなことはない。そもそも下層には居住地と呼べるようなものがほとんど存在しないからだ。
ヒトは全て、中層か上層で産まれる。であれば、下層と中層でのハイジアへの対応の違いなど、本来あるはずもない。
「集まった市民は我々が責任を持って対処いたします」
「……あの」
半ば無意識に、ヴィオレは口を開いていた。同時にフードを下ろし、ハイジアの証である紫の髪と瞳を晒す。
「なんで私にそこまで?」
「ヴィオレ」