03
怒りの熱が、一周まわって冷え切っている。ここまで訳の分からない言動を続けられたのだから、無理もないことだった。
だというのに、御堂は懐から無線機を取り出した。浅間の外に出る──ペストと戦うハイジアへ支給される、戦うための道具だ。
「できれば、そうしてほしい」
一転。冷たさは熱さへ変化した。
厚かましくも甘い口を叩いた御堂に、ヴィオレは初めて血が沸騰するような錯覚を覚える。足を踏み出すと同時に念動力で地面を弾き、距離を詰めた勢いそのまま白衣の胸元を掴んでさらに前進。鉄の扉の向こうにある階段の手すりへ御堂の背中を叩きつけた。
「──っ!」
「本気で言ってるの?」
さらに腕を伸ばし、御堂の上体を手すりの外へ押し出す。もしヴィオレが手を離したら、重さに引きずられて頭から落下するだろう。たったワンフロア分の高さとはいえ、死ぬ確率の方が高い。
「私のことだけじゃない。他の命も蔑ろにしてるのに、そんなことが言えるの?」
背中を強打して一瞬呼吸の止まった御堂に対し、ヴィオレはさらに言いつのる。
「念動力のペストが殺した四人のハイジア、知ってる?」
返事は苦しげな咳が二回。
「一番年上がベール。みんなのことを気遣って、細かいことにすぐ気づける優しい人」
ヴィオレが一瞥すると、驚いたことに御堂はまだ左手に無線機を持ったままだった。
「次がジョーヌ。言いたいことをすぐ言っちゃうから、科学者から嫌われてた」
喘鳴を繰り返していた御堂の目が、ヴィオレへ向けられる。
「三番目がアンディゴ。すごい怖がりで、ちょっと脅かされただけですぐ泣いちゃう子」
ヴィオレの手は、少し気を抜けば開いてしまいそうなほどに震えていた。
「最後が」
「ブラン」
小さな咳を挟み、御堂が後を継ぐ。
「人見知りでいつも誰かの後ろに隠れてるくせに、変なところで勇敢だった」
ヴィオレは息をのんだ。
ありえない。御堂がそれを知っているはずがない。
名前ならばまだ分かる。これまで作られてきたハイジアの情報程度、科学者ならばアクセスしようとすればいくらでも見ることができる。念動力のペストに殺されたハイジアならなおさらだ。
けれど、ヴィオレは意図的に科学者の知らないハイジアの姿を羅列していたのだ。
御堂がいくら優秀であっても、十年前ならまだ十代後半。研究職につけるはずがない。
「なんで……」
「知ってるよ。僕の妹だ」
言って、御堂は口元だけで笑った。
ヴィオレの腕に自分の命がかかっていることを感じさせない、穏やかな笑みだった。
ふと、ヴィオレは自分の右足首に意識がいった。
科学者とは、専門分野を狭くすることで特異性を研ぎ澄ましていくものだ。ハイジアを作る──すなわちペストの遺伝子を扱う科学者に、人体医学の知識はいらない。
──人見知りでいつも誰かの後ろに隠れてるくせに、変なところで勇敢。
ヴィオレの知るブランは、確かにそういう少女だった。ハイジアになる前は、怪我の絶えない子供だったかもしれない。
御堂の医学的知識は、妹の怪我がきっかけだったのだろうか。