最終日⑧ お姫様からのご褒美を
ハッピーエンドのお話には、最後に必ず良い事が待っている。
ヒーローとヒロインが付き合ったり。
異世界に飛ばされた主人公が、世界を救って元の世界に帰って来たり。
消滅した主人公が、何らかの力で元に戻ったり。
そして魔王を倒した勇者が、お姫様からご褒美を貰ったり。
おそらく校内を走り回って、ようやく太郎を見付けたのだろう。
ゼーゼーと肩で呼吸を繰り返しながらやって来たお姫様こと妃奈子は、太郎のその姿にホッと安堵の息を吐いた。
「太郎君、良かった、やっと見付けた!」
「え、妃奈子ちゃん? え、どうしてここに?」
「どうしてじゃないよ! 太郎君が清野のところに行くなんて言い出して、放っておけるわけがないでしょ!」
「え、でも今授業中……」
「そんなのウカウカ受けてらんないよ!」
「あ、はい……」
妃奈子がこんなに怒っているのを、これまでに見た事があっただろうか。
初めて見る彼女の怒りの表情に、太郎が呆気に取られていると、彼女と一緒に来ていた土田が、ハハッと笑い声を上げた。
「マジで大変だったんだぜ、太郎。お前が清野ントコに行ってから妃奈子のヤツ、スゲー取り乱してさ。太郎君が酷い目に遭わされちゃうーとか、太郎君に何かあったらどうしようーとか言ってさ。手に負えねぇの何のって。だから急いで枯野会長ントコに連れて行ったんだぜ。なあ、妃奈子?」
「な……っ、なあ、じゃないよ! もうっ、土田君ったら、何で喋っちゃうのーッ!?」
どうやら土田の言っている事は、本当の事らしい。
妃奈子は顔を真っ赤に染めると、ギロリと土田を睨み付けた。
「しかし良かったではないか、タロー。ヒナコがこんなにもキミを心配してくれている事が分かって。これはとっても愛されている証拠ではないか!」
「えっ、ちょ、ちょっとタロ……ッ!?」
妃奈子の前で、愛とか何とか言うなよ!
はっはっは、と楽しそうに笑うタロを、太郎が真っ赤になりながらも睨み付ければ、タロに視線を向けた土田が、当然抱く疑問を口にした。
「つーかさ、さっきから気になっていたんだけど、それ何?」
人の姿ではあるが、何故かデフォルメされたような、ちんちくりん二頭身体型をしているタロだ。
これ何だろう、と思わぬ者はおそらくいない。
土田も例外ではなく、ずっと気になっていたその疑問に首を傾げれば、太郎は困ったようにして苦笑を浮かべた。
「あ、うん、話すと長くなるんだけど……」
「初めまして。パラレルワールドから来ました大天才魔法使い、タロ・ヤマーダと申します。以後、お見知りおきを」
「へえ、タロ君って言うんだ。私は水城妃奈子。よろしくね」
「?」
ニコリと微笑む妃奈子に、タロが不思議そうに首を傾げたのが気になるが。
とにかく妃奈子は、タロの一言自己紹介で納得してしまったらしい。
土田としては、もっと詳しく聞きたい事が沢山あったのだが……まあ、良いか。
「タロー。それ、ヒナコに返してやってはどうだ?」
「え? あ、うん、そうだね!」
何だかんだ色々あって忘れていたが。
そう言えば妃奈子のスマホを取り返したんだったと思い出すと、太郎は苦労して取り返したピンク色のスマホを、妃奈子へと差し出した。
「妃奈子ちゃん、これ」
「え? え、これ私のスマホ!? 太郎君、本当に取り返してくれたの!?」
「うん、あ、まだ大丈夫だと思うよ! あの後授業もあったし、すぐに取り返せたから、清野も中は見ていないと思う!」
「そっか……。ありがとう、太郎君。本当に大切なデータが中に入っていたから、清野に見られなくて、安心した」
よっぽど大切なモノなのだろう。
ようやく返って来たスマホを両手で大切そうに握り締めながら、妃奈子はホッとしたような安堵の笑みを浮かべた。
「でも!」
「っ!?」
しかしその表情はすぐに一変。
妃奈子はムッと眉を顰めると、怒ったようにして太郎を睨み付けた。
「もう無茶な事はしないで! 私、すごく、すごく心配したんだよ! 頼んでもいないのに、勝手に飛び出して行ったりなんかして! 相手は清野なんだよ!? 太郎君がスマホなんか取り返しに行ったら、何をするか分からなかったんだよ!? 清野は太郎君の担任なんだから、内申弄ったり何だったり出来るんだよ! それなのに飛び出して行くなんて、何を考えているの!? 土田君の言う通り、太郎君に何かあったらどうしようって、本当に心配だったんだよ! 確かに取り乱して泣いた私も悪いし、スマホだって大切なモノだけど……、でもでも、太郎君の方がもっと大切なんだから! 太郎君に何かあったら、もっともっと困るんだから! だからもう無茶しないでっ!」
本当に、本当に妃奈子は太郎を心配してくれていたのだ。
だからこんなにも怒って、そしてキツイ言い方をしてしまったのだ。
「……」
今までに、彼女がこんなにも怒っているのを見た事があっただろうか。
他人にこんなにも文句を言っているのを、見た事があっただろうか。
いや、ない。
初めて見る妃奈子だからこそ、何も言えずにポカンと眺めている事しか出来ないでいるのだ。
もちろんそれは太郎だけではない。
樹も、土田も、そしてタロでさえも。
「妃奈子ちゃん……」
いつもは穏やかで優しい彼女が、まさかこんなに怒るなんて、と。
もし、ここにいるのが『今まで』の彼であったのなら、「あわわわ、ご、ごめんなさい、妃奈子ちゃんっ!」と慌てて謝っていたのだろう。
しかし、『今』の彼は違う。
彼は地面に転がっている壊れたペロキャンステッキを一瞥してから、ゆっくりと、そして静かに彼女に向き直った。
「嫌だよ」
「えっ!?」
静かに響いたその言葉。
それが意外なモノだったのだろう。
妃奈子も……そして樹も土田もタロも、驚いたようにして目を見開いた。
「僕だって、妃奈子ちゃんが悲しそうにしているのは嫌だよ。目の前でキミがあんなにも悲しそうにしていたら、僕だって少しくらい無茶するよ。僕だって……僕だって、キミの事が大切なんだから」
「け、けど……」
「好きです」
「え……?」
「僕、妃奈子ちゃんが好きです」
一瞬、時が止まったような気がした。
それは妃奈子だけではない。
傍らで様子を見守っていた樹や土田、タロもそれを感じていた。
一瞬だけ止まる時の流れの中、自由に動ける暖かな風だけが、サアッと全員の頬を撫でて行った。
「あ、わ、私……っ!」
そんな中、風の次に動き出したのは妃奈子であった。
彼女は顔を真っ赤に染めると、恥ずかしそうに口籠った。
「私、は……っ!」
彼の『好き』の一言は、彼女を混乱させるには十分なモノだったのだろう。
しかし、
「妃奈子!」
後ろから、彼女の名を呼ぶ声が聞えた。
振り返れば、そこには真剣に自分を見つめる土田の姿あった。
「行け!」
「……」
正直、妃奈子にとって太郎の言葉は嬉しかった。
けれども嬉し過ぎて、どうしたら良いのかが分からなくなって、結果的に彼女は混乱してしまったのだ。
何だか頭がポーッとして、熱くないのに耳が赤くなっているのが分かって、そして幸せすぎて彼の言葉が素直に信じられなくって……。
「う、うん……っ!」
しかし土田の声にハッとした。
きっと太郎は勇気を出して言ってくれたのだ。
それなのに自分が、それに応えなくてどうする?
いつまでも狼狽えていては、彼にとって大変失礼ではないか。
彼の言葉の重さを理解し、次第にドキドキと高鳴って来た胸を押さえながら土田に頷くと、妃奈子はその答えを待つ太郎へと改めて向き直った。
「あのね、太郎君。あなたが取り返してくれたスマホにね、大事な写真が入っていたの」
「……?」
YES or NOの返事が返って来るかと思いきや、妃奈子から返って来たのは、何故かスマホの中に入っている写真についての話。
何で今その話なんかするのだろう眉を顰めれば、妃奈子はスマホを操作してから、それを太郎に手渡した。
「見て」
「え? あ、うん……」
一体何だろうと思いつつも、太郎はそれを見つめ……そして目を見開いた。
「え、これって……僕!?」
そこに写っていたモノ。
それはスマホのカメラ機能で撮影した、太郎の写真。
妃奈子に促されるままに操作すれば、次々と出て来る自分の顔。
ピースで写っているモノもあれば、知らぬ間に撮られた盗撮写真なんかもある。
「って! 何で着替えている写真があるの!? 何で僕、パンツなの!? え、いつの間に撮ったの!?」
「あ、それ、私じゃなくって、土田君にお願いして撮ってもらったの」
「パンツを!?」
「ううん。隠し撮りしてってお願いしたら、パンツの写真が来たの」
「土田ーッ!!」
「良いだろ、別に。全裸じゃねぇんだから」
「そう言う問題じゃないよ!」
「パンツは良いとして……。ヒナコ、ならばキミの言う大切なデータとは……」
「うん……」
まさか、まさか……!
「太郎君の写真の事」
「ッ!!」
トクン、と太郎の胸が大きく高鳴った。
そして次いで沸き上がるのは、大きな期待感。
トクトクと心臓が早く鳴るのを感じながら、太郎は、恥ずかしげに俯く妃奈子の次の言葉を、ただ静かに待っていた。
「こんな写真持っていて、気持ち悪いって、引かれたかもしれないし、幻滅されたかもしれない。でも、でもね、言い訳にしか聞こえないかもしれないけど……。どの写真も、私にとっては大切な宝物なの」
「……」
「それを聴いてくれた上で、聴いて欲しい」
俯いていた彼女の視線。
真剣なそれが、改めてスッと太郎へと向けられた。
「私も、太郎君が好きです」
ザアッと、再び暖かな風が吹いた。
それは木や草の葉を揺らし、彼らの髪を揺らし、そしてどこかへと吹き抜けて行く。
そしてその暖かな風が完全に立ち去った時、太郎はその口元に優しい笑みを浮かべていた。
「僕は……そう言う部分も全部含めて、妃奈子ちゃんが好きなんだ」
「太郎君……ッ!」
その瞬間、妃奈子が太郎の胸に飛び込んで来た。
ギュッと抱き着く彼女の背に静かに腕を回し、そして優しく彼女を抱き締め返す。
腕から伝わる温もりと、トクトクと体に伝わる相手の鼓動。
そして、じんわりと温かくなる胸の内。
ようやく伝わった互いの想いに、二人はただ幸せそうに微笑んだ。
「ありがとう、太郎君。大好き!」
「こちらこそありがとう。僕も大好きだよ、妃奈子ちゃん」
どちらからともなくそっと体を離した二人は、互いに顔を見合わせながら、これまた幸せそうに微笑んだ。
しかし、
「でかした! でかしたぞ、タロー! あっぱれだっ!」
「ッ!?」
その時、第三者の歓喜の声が上がった。
ハッとして声のした方を見れば、泣いて喜ぶタロと、瞳をキラキラと輝かせている樹、そしてガッツポーズで喜ぶ土田の姿かあった。
「公開告白なんて、なんてロマンティックなの、太郎ちゃん!」
「やったな、妃奈子! おめでとう!」
「チューしろ! チュー!」
「あ、そうね。あ、私達の事はどうぞお構いなく」
「そうだな。録画しておいてやるから、結婚式に流せ」
「……」
そう言えばすっかり忘れていたが、タロ達もいたのだった。
そしてすっかり忘れていたせいで、全て見られてしまっていた。
思い返せば、恥ずかしい事しかしていない思い出に、二人は顔を真っ赤にしながら、バッと勢いよく離れてしまったのである。
「む? どうした? チューはまだか?」
「私達の事は空気だと思ってくれて良いのよ」
「ああ。撮っているだけだし」
「チューなんか出来るか! 空気にしては存在感がありすぎるよ! 録画するな!」
能天気な彼らに、一人ずつ順番にツッコミを入れてやる。
すると存在感ありまくりの空気三人は、つまんなーいと頬を膨らませた。
「しかしタロー、よくやってくれた! まさか最後の最後で告白してくれるとは! ありがとう、タロー! キミのおかげで留年は免れた!」
「え? 免れたって……?」
免れたって……タロは追試は中止にしてくれと、魔法学校に頼みに行ったんじゃなかったけ?
だから太郎が告白しようがしまいが、タロにとっては関係ないハズじゃ……。
しかし、そんな疑問符を浮かべる太郎に構う事なく、タロはどこからか一枚の紙キレを取り出すと、嬉々としながらそれを差し出した。
「あ、じゃあここにサインをお願いします」
「え、サイン?『僕達は付き合っている事をここに証明します』? え、何これ?」
「ここに二人のサインを貰えば、正式に追試クリアなのだよ。別に嘘を吐いているわけではないのだし、サインくらいしてくれても良いではないか。な、ヒナコ?」
「うん? 私は別に構わないけど?」
「まあ、妃奈子ちゃんがそう言うんなら別に良いけど……」
「そうやって自分の意志なく、彼女の意見に流されてばかりなのは、正直どうかと思う」
「じゃあ、サインはいらないんだね」
「いります。すみませんでした」
どうやらタロの追試には、太郎を幸せに出来たと言う証として、書類に本人からのサインが必要らしい。
太郎と妃奈子のサインがあって、初めて追試が合格になるらしいのだが、しかし……、
(だったら、何だかんだ適当な事言って二人を言い包められれば、もっと簡単に追試が終わったんじゃ……)
そう思った樹であったが、嘘は良くないと、敢えてそれは言わない事にした。
「あ、あのさ、タロ。ちょっと聞いても良い?」
「む、何だ、タロー? ボクは今、すこぶる機嫌が良い。何でもジャンジャン聞いてくれて構わないぞ!」
サインを終え、その書類をタロに返してから。
その疑問を尋ねようとする太郎に、タロはエヘンと踏ん反り返りながら、大きく首を縦に振った。
「タロって、追試中止にしたんじゃなかったっけ?」
さっきから気になっていたその疑問。
もしかしてタロは、追試を中止にしたと嘘を吐く事で、太郎からプレッシャーをなくし、そして告白まで導こうと計算して来たのでは……、と考えた太郎であったが、意外にもタロは、その疑問に不思議そうに首を傾げた。
「は? 追試中止? 誰がそんな事を言ったのだ?」
「え? 誰って、キミが言ったんじゃないか」
「ボクが? ボクはただ、追試を中止するためにパラレルワールドに戻った、と言っただけだぞ?」
「???」
「だからだな、ボクは追試を中止しようとしてパラレルワールドに戻った、とは言ったが、追試を中止して来た、とは一言も言っていないのだよ」
「え? えーと……?」
それは、つまり……?
「実際、パラレルワールドには追試中止を申請しに行ったのだが、教務室に行く途中で止められたのだよ。『まだ何があるか分からない。もしかしたら奇跡が起こってタローが告白するかもしれない。だから最後まで諦めるな』と言われてな。だからギリギリのところで申請はしていない。追試は続行中だったのだ」
まったく、ボクは中止しに行ったとは言ったが、中止して来たとは言っていないだろう。言葉の意味を取り違えるとは、相変わらず詰めが甘いな。キミはもう少し注意深くなった方が良いんじゃないか……。
などと、偉そうに言い始めたタロに、太郎は少なからずの怒りを覚えた。
「……途中で止められたって、誰に? 友達? 先輩?」
「ふっ、これだ」
そう答えつつ、タロは自慢げに小指を立てた。
どうやら彼女が余計な事をしてくれたらしい。
それにしても、いちいち小指を立てるな。何かムカつく!
「あ、あのさ、幸せムードの中悪いんだけど、ちょっと良いか?」
ふとその時、土田がおずおずと声を上げた。
心なしか彼の顔色が悪い。
どうしたのだろうか。
「パラレルワールドとか、追試とかってよく分かんねぇんだけど……あれ、大丈夫なのか?」
「え?」
引き攣った表情を浮かべる土田が差す指の先。
そこにあったのは、タロがぶん殴って倒した……否、忘却魔法の影響により気を失って倒れている、清野の姿であった。
あ、忘れていた。
「そ、そう言えば、いたね。ねぇ、タロ。清野って大丈夫なの?」
「む。そりゃ大丈夫に決まっているだろう! ボクの忘却魔法が発動し、ちょこっと気を失っているだけだからな! もちろん、キミ達だって問題はないぞ。ヤツが目を覚ました時には、ボクの魔法のおかげで全てを忘れているハズだからな!」
「……って! ンなワケねぇだろ!」
「っ!?」
と、そこに聞き慣れない低い声が響いた。
この声は、太郎のモノでもタロのモノでも、土田のモノでもないし、ましてや、妃奈子や樹のモノでもない。
ならば誰だ……?
と、疑問に思いながらも振り向けば、そこにはいつの間にか小さな少年が立っていた。
ちんちくりんのデフォルメ二頭身体型で……つまり、タロと同じ体型をした、目つきの悪い、金のリーゼントを持った少年が、呆れた表情を浮かべながらそこに立っていたのである。