第172話 人でなしの所業
同盟司法局本局ビルの地下駐車場に車を停めたカウラがそのままエレベータへ向かうと、入り口近くの喫煙所でタバコを吸う嵯峨の姿をカウラ達三人は見つけた。
「おう、やってるか?順調かね」
そう言って軽く左手を上げた嵯峨の表情に誠は目を引かれた。明らかにその視線は疲労の色を帯びている。いつものようによれよれのトレンチコートにハンチング帽をかぶり、面倒くさそうに火のついたタバコを備え付けの灰皿に押し付けていた。
「隊長、お疲れのようですが。何かあったんですか?」
カウラのその声には若干の震えがあった。退職願提出済みの自分達の為に嵯峨が動いていてくれていることに、カウラは感動を覚えていた。
「おい、ベルガー。それは俺の台詞だよ。俺はいつも通り月三万円の小遣いじゃ足りないの。それなりの苦労を毎日している訳だよ。分かるかな?退職願提出済みとは言え、俺はお前さん達の退職願を受理した覚えは無いからね。あれを俺が受理するまではお前さん達は『特殊な部隊』の隊員だ。そこまで面倒を見るのが上司ってもんじゃないの?」
そこまで言って嵯峨が大きくため息をついた。そしてそのまま誠に向ける瞳にはいつものにごった嵯峨の視線が戻っていた。
「茜のとこの会議。俺も出ていいかな?邪魔はしないよ。約束する。むしろ役に立つ話ができるかもしれない」
それでも明らかに余裕を感じさせる嵯峨の態度に誠は苦笑いで答えた。それを見ていつもなら噛み付いてみせるかなめも苦笑いを浮かべながらカウラを見上げた。
「私達にそれを拒否する権限はありません。茜さんに聞いてください。たぶん許可は出ると私は思うのですが」
そう言って敬礼をしてそのまま横を通り過ぎようとするカウラを見て呆然と口を開けていた嵯峨が慌てたように三人の後についてきた。エレベータが開き乗り込むときも妙に卑近な笑みを浮かべながら嵯峨はおとなしく付き従っていた。
「今回はマジでごめんな。今回の三件の襲撃は俺も読めなかった。こりゃあ同盟厚生局の手の者じゃないよね。例の三人の切れ者の方の法術師の飼い主の手の者のはずだ。連中は厚生局と縁を切るにあたって、厚生局の法術研究開発能力そのものを潰しにかかっている。ライバルは早めに消しておけってことなんだろうな」
そう言って帽子を手にして嵯峨は苦笑いを浮かべる。その弱弱しい笑みを見て誠は嵯峨が珍しく本音を吐いたと直感した。
「今回相手を読み切れなかったのはいつも人の裏ばかりかいているからじゃないですか?商売敵を徹底的に叩きのめすと言うのはあまりに普通の考え方ですよ。ひねくれた隊長からはわいてこないアイデアかもしれませんが」
振り返って嵯峨を見つめるカウラの鋭い視線に嵯峨は目をそらした。エレベータが減速を始め、止まり、そして扉が開いた。すでに定時を過ぎたとは言え、法術犯罪の発生により同盟司法局本局のフロアーには煌々と明かりがともされていた。端末に向かい怒鳴りつけるオペレータ。防弾チョッキを着込んで出動を待つ機動隊の隊員が見えた。
「あちらさんも大変みたいだ。あの化け物騒動以来機動隊の警護の依頼は山ほど来てるらしい。まああんな化け物そう簡単に出て来るとは思えないけど、偉いさんは念には念を入れたいんだろ。もうあんな化け物が出てくることは無いと思うんだけどね。厚生局はライバルに負けた。もし再戦する機会が来るとすればそれは研究が次の段階に進んだだいぶ先の話……お前さん達がその前に真実にたどり着いてしまえば厚生局に明日は無いんだから」
嵯峨が指差す先では遼帝国軍の制服の兵士達がついたてに沿ってずらりと並べられた端末の前で囁きあっていた。そこには遼帝国山岳レンジャー部隊の仮設指揮所があった。そこはすでに法術特捜への権限移譲を終えあと片付けと機動隊の増援業務に当たっているようだった。
「裏をかかれたのはライラの姉貴のところも同じだってことだろ?あの化け物をやっつけた三人の法術師の存在は誰も予想してなかったからな。あの三人の飼い主と北川公平の飼い主は同じって訳か……ああ、考えると頭が痛くなる!」
黙っていたかなめはそう言いながら先を振り向かずに司法局長室に続く廊下へと向かった。次第に背後の喧騒から解放された誠達の前に調整本部長でもある明石が自室から出てきた姿が目に入った。
「あれ?おやっさん」
不思議そうな表情で嵯峨に敬礼する明石を見て、部屋の奥から茜が顔を出した。