最終日⑥ 魔王到来、迎撃せよ!
スマホの歩く音に、スマホが喋る音。
タロの推測に嫌な予感はしていたのだが。
やって来たのは、当然妃奈子のスマホなんかではない。
やって来たのは、困惑した表情の一人の中年男性。
お情け程度に生えた薄い髪の毛と、髪の毛の代わりと言わんばかりに生えている、ほっぺのホクロの一本毛。
この事件の諸悪の根源にしてラスボスこと、音楽教諭兼担任教師、清野京介その人である。
「うわっ、清野!?」
「うげぇっ、ホクロ毛!」
「む……? 貴様、山田! ……と、何だ、その小さいのは!?」
妃奈子のスマホを呼び寄せるつもりが、まさか一番呼び寄せてはいけない人を呼び寄せてしまうなんて。
これじゃあコッソリ忍び込んだ意味が全くない上に、余計に怒られるじゃないか!
清野の登場に一瞬頭が真っ白になった太郎であったが、彼はすぐに我に返ると、キッと涙目でタロを睨み付けた。
「やっぱりロクでもない魔法じゃないか!」
「ロクでもない!? やっぱり!? タロ! まさかキミは、ボクの魔法をそんな風に思っていたのか!?」
「現にそうじゃないか! そうじゃないんだったら、何でスマホじゃなくって、清野……先生が来るんだよ!」
「そ、それはきっと……そう、きっと、ホクロ毛がスマホを所持していると言う事だ! スマホを呼び寄せたせいで、近くにいたホクロ毛までもが来てしまったのだよ!」
「じゃあ、やっぱり失敗じゃないか!」
「何をう!? スマホは来ているのだから、成功であろうが!」
「清野が来た時点で失敗だよッ!」
成功だとか、失敗だとか。
清野登場の事態に言い争いを始めた二人であったが、そこに中年男性の怒りの声が響き渡った。
言わずもがな、清野である。
「山田あっ! これは貴様の悪戯か! そして何だ、その小さいヤツは! ペットは学校に持ち込み禁止だと言う事も知らんのか!」
「ペット!? 違います! 僕、こんなに趣味悪くないです! せめて弟にして下さい!」
「なんと! それはどう言う意味だ、タロー!」
「こんなの飼う程悪趣味だなんて、絶対に思われたくないからね! 弟なら選べないから、例え趣味の悪い弟がいたとしても、僕の趣味が悪いわけじゃないし!」
「なんと失礼な! キミはボクの事をそんな風に思っていたのか!」
「はっ、しまった! 困惑してつい本音が!」
「なにをーッ!」
「黙れーッ!」
ぎゃあぎゃあと再び始まった醜い言い争いに、再び怒りの声が響き渡る。
延髄反射でビクッと肩を震わせながら視線を向ければ、そこには見た事もないくらいの怒りの形相を浮かべた、清野の姿があった。
「山田! 貴様、こんなところで何をしている! どうやって入った!?」
「うっ、そ、それは……っ!」
授業をサボっている事には一切触れず、自分のテリトリーに侵入した目的ばかりを追求したり、生徒を貴様呼ばわりするなど、教師として問題な面は多々あるが。
しかし今はそれを指摘している場合ではない。
何とかしてこの危機を乗り越えねばならないのだから。
でも、どうやって乗り越えたら良い?
駄目だ、良い言い訳が見付からない!
「どうした、何を黙っている! 黙っていれば済むとでも思っているのか!」
そう怒鳴られても返す言葉が見付からなくて。
しかし沈黙を守る太郎を見兼ねたのか、タロが仕方がなさそうに溜め息を吐いた。
「ふん、仕方があるまいな」
「?」
何故、彼はいつもこんなに自信満々なのだろうか。
何を言い出すんだと太郎が不思議そうに見つめれば、タロは偉そうに腕を組みながら、太郎より一歩前へと歩み出た。
「バレてしまったのならば仕方があるめぇ。そうさ、ボク達はお前がヒナコから取り上げたスマホを、奪い返しに来たのさ!」
(えっ、急に何キャラ!?)
何で突然、冒険ファンタジーの盗賊の頭みたいな口調になっているのかは知らないが。
しかし、今重要なのはそこではない。
重要なのは……。
「……って、何で全部バラしちゃうんだよーッ!?」
重要なのは、何故タロが清野にバカ正直に全部話してしまったのか、と言う事である。
「む。見付かってしまったのなら、仕方がないだろう。キミも、言い訳の言葉が見付からなかったようだしな」
「そ、そうだけど……」
「だったら包み隠さず、バカ正直に話すしかあるまい。何、心配する事はない。キミにはこのボクが付いているのだ。安心して泥船に乗ったつもりでいたまえ!」
「……」
本当に泥船に乗った気分だ。
そう思った太郎であったが、ここは敢えて黙っておく事にした。
「スマホ……。そうか、貴様ら、私があの女から没収した携帯を盗みに来たのか。そしてこの教室にあると思い、どうにかして侵入して来たのだな」
タロの発した『スマホ』と言う単語からそう判断したらしい清野は、蔑むような笑いで二人を見下ろした。
「あの女生徒に頼まれてここに来たのだろう? ふん、自分の力でどうこうするのではなく、男の力に頼って物事を解決させようとするとは、ありきたりな女だな。男の尻に隠れるしか能のない、下等な女の代表格だ!」
「な……っ、そんなんじゃ……っ」
「ガーッ! 許せんッ、許せんッッ! もう怒ったぞ!」
「へっ、タ、タロ!?」
あまりにも許しがたい清野の言葉と態度。
それに黙っている事など出来るハズもないタロは、怒りの雄叫びを上げると、どこからともなく魔法の杖を取り出した。
いつものペロペロキャンディのステッキではない。
赤いコアに金色の装飾。
何らかの力が付加されたような、魔法の何かが先端に付いた、どこかのRPGに出て来そうな本格的な魔法の杖である。
「えっ!? ちょっ、待ってタロ、何その杖!?」
「その名の通り、魔法の杖に決まっているだろう!」
「は!? え、いつものペロペロキャンディは!?」
「こっちが本物だ!」
「ほ、本物!? 本物って何ッ!?」
「とにかく離れていろ、タロー! ボクは今からコイツをぶちのめす!」
「ぶっ、ぶぶぶぶぶちのめす!?」
「炎の化身イフリート、汝、我が呼びかけに応え……」
「いや、待て! 待って! ちょっと待って! 本当に待って! 待ってタロッ!!」
いつものペケポンじゃなくて、何だか本格的なその呪文。これはもうヤバイ予感しかしない。
炎の化身とか言っていたし、もしかしたら清野ごと学校を燃やし尽くしてしまうかもしれない、と最悪の未来を見た気がした太郎は、顔面を真っ青にしながら慌ててタロを止めた。
「む、何を止めるか、タロー! 燃やさせろ!」
「駄目駄目駄目駄目絶対駄目! 燃やしたい気持ちはわかるけど、ここはお願いだから落ち着いてッ!」
燃やさせろ、せめて殴らせろ、と喚くタロを太郎は必死に取り押さえる。
しかしそんな二人を眺めていた清野は、再び蔑むような目で二人を見下した。
「玩具を持ち出してゲームの真似事とは、飼い主に似てくだらんペットだな」
「なっ!?」
「何をーッ!?」
顔を上げれば、そこにあるのは、下等生物を見下すような蔑んだ瞳、人をバカにするように吊り上がる口角。
目下の者の気持ちなど考えた事もないのだろう、他人を嘲るようなその態度……。
気に入らない。
「ふん、山田。貴様は女に頼まれたは良いものの、私と直接話をする勇気がないから、こうやってコソコソと取りに来たのだろう。クラスでもいつもオドオドしていて、自分で意見もハッキリ言えないような人間だもんな。あの女生徒も見る目がない。使うのならもっと使えそうな男を選べば良いものを。まあ、お前達カスはカス同士お似合いだけどな」
「き、きさまぁぁああああッ!」
「待って、タロ!」
「タロー! キミもこんな言われっ放しで……」
「良いからッ!」
教師……否、人間とは思えない、最低な男の言葉。
その男に怒りの反論を試みたタロであったが、それを太郎が遮った。
何故止めるのかと声を荒げるタロと、とにかく黙っていてと制する太郎になど構わずに、清野は薄ら笑いを浮かべたまま、更に言葉を続けた。
「山田、あのバカ女に言っておけ。男を使う知恵があるのなら、男を見る目も養っておけとな」
「こ……っ、んのクソや……」
「タロ、良いから」
「い、良いとは何だ、タロー! キミがそんなんだから、こんなうつけ……」
「良いから黙って」
ムカつく態度。
ムカつく言葉。
ムカつく男。
もちろんそう思っているのは、タロだけじゃない。
腸が煮えくり返ってしょうがないのは、タロだけじゃないんだ。
他人を傷付ける事など何とも思わない男の言葉に、憤りを露わにするタロを静めると、太郎は浮かべた事もないような冷たい瞳を、静かに清野へと向けた。
「僕から見れば、あなたの方がよっぽどバカ男です」
「はあっ!? 何だと、貴様っ!」
クラスでも目立たない方で、どちらかと言えば大人しい方に入る太郎が、まさか反論をして来るとは思わなかったのだろう。
驚きに目を見開いた清野であったが、彼はすぐに我に返ると、ギロリと鋭く太郎を睨み付けた。
「貴様っ、先生に向かって何なんだ、その態度はッ!」
「先生? 僕はあなたを先生と思った事なんて一度もないです。あなたから教わる事なんて、何一つとしてありません」
「な……ッ!?」
しかし、太郎は怯む事なく言葉を続けた。
出した事もないくらいの低い声で。
しかし、太郎はそれでも尚言葉を続ける。
怒りに肩を震わせる清野を前にしたまま。
「じゃあ聞きますけど、僕が面と向かってスマホを返してくれるように頼んだり、彼女が直接取り返しに来たとして、あなたは素直に返しましたか? 返さないでしょう? 返すハズがないんです。だってあなたは、あなたより偉い立場である先生か、アホなモンペ以外の話は聞こうともしないんですから。だから僕は、最初からコソコソと取り返しに来ました。バカに面と向かって頼んだところで、無駄な時間を過ごすだけなんですから」
「や、山田っ、貴様……ッ!」
「それから訂正して下さい。僕は彼女のスマホを、僕の勝手な判断で勝手に取り返しに来たんです。彼女はあなたにスマホを盗られたと、僕に話しただけです。だからこの件に関して、彼女は全く関係ありません。それなのにその真実を知ろうともせず、憶測だけで話を進めるなんて、脳内お花畑ですか? 妄想なら夜な夜な布団の中で一人でやって下さい。この耄碌ホクロ毛おやじ」
「き……ッ、さまあ……ッ!!」
他人を蔑むような目つきと嘲るような態度で、はっきりとそう言ってのけた太郎であったが、当然清野とて、言われっ放しで黙っているわけがない。
ブチッと何かが切れるのを感じた清野は、物凄い怒りの形相を浮かべながら、怒鳴り声を張り上げた。
「貴様ッ、この私にそんな事を言ってただで済むと……」
「ははっ、あはははははははッ!」
「!?」
と、その時であった。
清野の怒鳴り声を、第三者の笑い声が遮ったのは。
「何だ、意外と言うではないか、タロー! いやはや、見直したぞ! それでこそ漢と言うモノだ!」
太郎らしからぬ、冷たくもはっきりとしたもの言いに、しばらく呆然としていたタロであったが、清野の怒鳴り声に我に返ったのだろう。
頼もしい太郎の言葉に、タロは満足そうに微笑んだ。
「ずっと言われっ放しでいるかと思ったが、しっかり反撃出来るではないか。本当にしばらく見ないうちに成長したようだ。惚れ直したぞ、タロー! さすがこの世界のボク!」
「そ、そりゃ僕だって……その、お、怒る時もあるよ!」
「怒りに身を任せての発言か。うむ、それも結構な事だ。いや、優しいキミには、それくらいが逆に丁度良い」
突然、タロに誉められて照れてしまったのだろう。
恥ずかしげに顔を真っ赤に染める太郎に不敵な笑みを見せると、タロは手にペロペロキャンディのステッキを握った。
「よし、ここからはボクに任せろタロー。キミがセイノに立ち向かったその勇気、決して無駄にはせん。ヒナコのスマホは、このボクが取り返してみせる!」
「え、タロ……?」
一体どうする気なんだと、不安そうな太郎に口角を吊り上げる事で応えると、タロはそのステッキをブンッと振りながら清野に向き直った。
「やいやいやいやいやい、やいやいのやい!」
「やい多くない?」
「とにかく、やいやいセイノ、このホクロ毛! このボクの魔法を見下すとは、正に愚の骨頂! 貴様のその愚劣なるその行為、身を持って後悔させてやる!」
「さっきから、きゃんきゃんと小煩い犬だな。魔法がどうのこうのとバカげている。正にバカな飼い主にピッタリだ」
「フンッ、バカしか言葉の知らぬ学力低レベルの典型的なクソ野郎め。その言葉、このボクの華麗なる魔法を目にしても同じ事が言えるのか、試してやろう」
そう言うや否や、タロはステッキを高々と掲げた。
「とくと見よ! ペケポンペケポン、来たれ……ヒナコのスマホ!」
「えっ、ちょっと待ってタロ! それってさっき失敗したヤツじゃ……っ!?」
そうだ、この呪文はさっき失敗してしまった魔法の呪文だ。
そのせいでヒナコのスマホを取り返せなかったばかりか、この清野京介を呼び寄せてしまったんじゃないか。
それなのに何故彼はまた、この呪文を唱えてしまったのか。
今度こそ失敗しない、不明確な自信でもあったのだろうか。
しかし太郎が焦ったようにして声を上げた時であった。
「なっ、何だッ!?」
「うわっ!?」
瞬間、清野の背広の内ポケットから、何かが勢いよく飛び出して来た。
掌に乗るであろうコンパクトな大きさに、薄いピンク色のボディ。そしてキラリと鈍く輝く黒い画面。
見た事のあるそれは、まさしく妃奈子のスマートフォン……。
「受け取れ、タロー!」
「え……っ、うわあっ!?」
まるで羽でも生えたかのように勢いよく飛び込んで来るスマートフォン。
タロの声にハッとすると、太郎は咄嗟にそれを両手で受け止めた。
「ナイスキャッチだ、タロー!」
「う、うん……っ!」
ずっしりと何かが手に収まる感覚。
そっと手を開けば、そこにあるのはピンク色のスマートフォン。
どうやら上手くスマホをキャッチする事が出来たらしい。
やった、遂にスマホを取り戻したぞ!
「やったよ、タロ! 今度は魔法も成功だね!」
「ふふん、当然だ。この魔法は対象物が近くにあった方が成功しやすいのだからな。遠ければ遠い程、不必要なモノまで連れて来てしまうのだ」
「え? って事は、失敗するって分かっていて、さっきもこの魔法を使ったの?」
「む、細かい事まで煩いな、タローは。天才に失敗は付き物だろう? だからこれで良いのだ!」
「失敗って言っても、大失敗だったけどね。って言うか、初めて見たよ、タロの魔法が失敗しなかったところ」
「な、何だ、その言い方は!? それではまるでボクがいつも失敗しているみたいではないか!」
「えー、だって……」
成功の喜びから、いつの間にか言い争いになっているその会話。
その言い争いの喧嘩が、更にエスカレートしようとしたその時だった。
「貴様らあっ!」
「あ」
お宝を取り戻された大魔王の沸点が、遂に限界突破した。