2-1-15
酒場の女将が裏手側から、喧騒の最中にイルたちを押し込んだ後。
すぐ側のテーブルでつまみを咀嚼していた若い男が、ほっと安堵した風にその両手を大仰に広げ、出迎える。
「我らが英雄のお戻りだ」
どこか茶化す響きを含んだ彼の声が酒場に響く。
「戻りましたよぃ。ドルニカ。他は変わりないですかぃ?」
イルの問いかけに、ドルニカと呼ばれた男が気まずそうに視線をそらす。
あれ? イルは違和感に首を傾ぐ。
「今日は集まりの奴らだけなんだな」
テオが違和感を代弁すれば、返ってくるのは相槌の『ああ』。
「みんな帰ったよ」
「そうか。いつも長酒して管を巻いてるあの爺様もか?」
「憲兵が入ったんだ」
テオは仮面の下で眉でも上げたのだろう。
やや上擦った声で、何故? と彼に問う。
「この店は脱税なんかしてなかったはずだろ?」
「足りなくなったから、言いがかりをつけに来たんだよ」
「ふざけてるな」
「まったくだ」
ドルニカは疲れたように溜息を吐く。
一悶着どころか、修羅場であったのがよくわかる憔悴っぷりだと、イルは思った。
「散々言いがかりつけて暴れた後、残った客からも搾り取ろうとしてたからな。早々に退散していったよ」
「お前たちは残ったんだな」
「そりゃね。団長が自ら死地に赴いてる中、焚き付けた俺等がのうのうと逃げおおせるわけには、いかないっしょ」
「焚き付けた自覚はあったんですねぃ……」
呆れたようにイルが言えば、ドルニカの可愛くない舌ペロを見せられる。
「やめてくだせぃ、オッサンのその動作キツいっすわぁ」
おえぇ、などと吐き真似をすれば、頭に感じる小突かれた衝撃。
いつものじゃれ合いの傍ら、テオは自らを指さした。
「待ってくれ。……団長?」
「あれ? そうだったと記憶してるけど」
「わたしは聞いてないぞ、そんなこと」
「そうだっけ。ちょっと待って……。おーい、ピンチョスー!!」
「なんだぁ!」
酒場の罵声にも似た喧騒の奥から、ぬっと現れた男、ピンチョス。
はじめにイルの姿を見て、次にウミの姿を見る。
最後にテオの姿を見て、彼は首を傾げた。
「お前……。なんか雰囲気変わったか?」
「そうか?」
「ああ。うまく言葉にはできんが……」
しきりに首をひねるピンチョスに、テオはそんなことより、と問いかける。
「わたしが長とは、いったいどういうことだ?」
「ああ、なんだ、そのことか。俺が推薦した」
しれっと宣うピンチョスに、テオが、は? などという短い怒りの声を出す。
「普段まとめることが多いやつがリーダーになれば、有象無象もまとまりやすいだろ」
「そうだとしても、普通本人に確認取るだろ……!」
「絶対やりたくないって言うだろ、お前は」
テオの性格。それから先を見越したピンチョスの発言に、彼の独断専行だったとは言えど、テオは言葉に詰まる。
「ピンチョスがやればよかっただろ」
「俺ァ無理だ。良く知ってるだろ?」
良く言えば情熱家。悪く言えば向こう見ずなピンチョスの性格を知っているだけに、イルが納得すると同時、テオは尚更、何も言えないように見えた。
「分かりやすい旗頭でもいれば、役目はそっちに移るからなぁ。俺等にはまだ、分かりやすい目印が無いんだよ」
「目印……」
テオは呟く。
民衆が義勇軍と化すためには、掲げる大義と、分かりやすい目印。担ぎ上げられたまとめ役が必要となるだろう。
旗頭と成りうるソレは、分かりやすければ分かりやすいほどいい。
人々が着いていくに足る、説得力が生まれるから。
(今のテオ氏が担ぎ上げられたところで、その説得力は微々たるものですがぃ……)
それでも、他の人がそうなるよりは、まだ存在感がテオにはある。
カリスマ性とも言うそれは、きっとテオが生まれつき備えていたもの。
しかし、それでもまだ、足りないものが説得力。
今のテオは、ただのテオ。
立場としては、ピンチョスやドルニカなどと同じ。
ただし、彼らと違うのは、それを増す、唯一の方法をテオは持っていること。
それをイルは知っている。
知ってはいるが、それを表に出すのは躊躇いが生じてしまう。
少なくとも、人一人の人生を左右してしまう重大ごとであるが故に。
「ところで。守備はどうだ」
ピンチョスが問いかける。
ああ。テオは思い出したように相槌を打つ。
「魔王の協力は手に入った」
「おおっ! やったじゃねぇか!」
「ただし、条件付きだ。成功しないと協力はしないと言われたよ」
魔王から伝えられた伝言を酒場内に広めれば、途端に走るのが緊張の空気。
「どんな無理難題を言われたんだ?」
「無理難題前提ですかぃ」
イルが、端から決めつけた風に言うピンチョスの言葉に、偏見は未だ蔓延っていることを感じ取る。
「なんてことはない。ちょっと王宮の中に入って、王族だか貴族だかが盗んだ魔王の私物を取り返すだけだ」
スカして笑うテオが、簡単だろ? と嘯けば、途端返ってくるのはブーイングの嵐。
「できるかそんなこと!」
「頭おかしいのか!」
「命がいくらあっても足りんわ!」
騒がしくなる酒場。
飛び交うものは、テオに対する罵詈雑言。
「おい、お前ら……」
「だが!!」
見かねたピンチョスが宥めようと口を開いたところで、テオの口から飛び出す鋭い一声が、ざわめきを切り裂く。
「これは、これ以上無いほどのチャンスでもある。我々個人では、一生かけても繋がりなど作ることが叶わない大国の王が、諸手を挙げてバックに付くと公言したのだ! この機会を逃す手はない。そうだろう!」
今までイルでさえ聞いたことのない鋭い声。
それに乗る演説は、聞く者を惹きつけて止まない。そんな力を感じさせる。
(不思議な声をしている)
まるで聞く者を鼓舞するような。
無理だと思っていたことすら、できると勘違いさせてしまうだけの力がこもった、不思議な声が。
酒場はいつの間にか静まり返り、テオの演説が響くのみ。
ブーイングで賑わしていた声も、今はただ、テオの声に聞き入っていた。
「……それでは、作戦の概要と詳細について伝える」
静まり返った今が好機と見たのか、テオは一枚の紙に線を引き出した。
「これは何ですかぃ?」
「大雑把な王宮内部の地図だ」
そんなものをどうやって。
誰かが思っても不思議ではないこの疑問が、その誰かの口から質問として出る前に、テオは地図を見ながら魔王の頼まれごとを伝えていく。
「目的については以上だ。王宮の内部のどこかにあるだろうと魔王は言っていたが、具体的な場所は知らないようだった」
「どうやって当たりをつけていく?」
質問をピンチョスが。
質問に頷くテオは、あまりにも雑な作戦を口にした。
「しらみ潰しで探していく」
「そりゃ、尋常じゃない作戦だ」
茶化すドルニカ。肩をすくめた。
テオが酒場にいる者の顔を、一人一人見て回る。
「リタ。親戚が王家御用達だったか?」
「叔父さんね。お姫さまが贅沢三昧な物だから、今やちょっと派手に目を引く商品を扱えば、漏れ無くみーんな王家御用達商家になれるわ」
皮肉を交えた彼女の顔は真顔。
あるいは、相当に怒りを堪えている、そんな表情。
「ならば、リタと……」
テオがぐるりと見回し、最後に視線を止めたのはこちら側。
「リタと、イル。王族御用達の商人に着いて、入口から移動できる範囲の室内までの捜索」
「わかったわ」
「承知しましたよぃ」
力強く頷くリタを視界に、テオの傍らで頭を下げる。
「ポストマンもいたよな?」
「オレオレー」
ヘラっと手を挙げたのはドルニカ。
キャスケットにそばかす。人懐っこい笑顔の裏では、重税に苦しめられ、自ら命を絶った父がいたという。
「王宮内にいる使用人への手紙は検閲されなかったはずだ。手紙の受け渡しをする流れで、王宮内で先に入り込んでいた仲間と連絡を取ってくれ」
「りょーかい。その後は?」
「臨機応変にと言うしかないが、わたしたちも潜入する。王宮内外の連絡係となってほしい」
「重大だね。やる気出てきた」
続け様、テオはピンチョスに目を留めた。
「ピンチョス。わたしと一緒に隙間から侵入。裏の隠しルートを探る」
「隠しルートだぁ?」
「王族なんてものが住む場所には、逃げ道として知られていない道がいくつもあるもんだ。そこに隠しているかを探す係だ」
「それは俺でいいのか?」
「口が固くて相当に動ける者を選んだつもりだ」
テオの真っ直ぐな視線に射抜かれて、バツが悪そうに頭を掻くピンチョス。
やがて彼は、自身の拳と拳を打ち合わせた。
「しゃぁねぇ、やってやるよ!」
テオの雰囲気がわずかに和らぐ。
「助かるよ」
酒場を、集まった人の顔を見渡す。
それぞれがそれぞれに違う生い立ちや想いを抱えてここにいる。
次かかる号令は、歴史を変える一歩と、臆面もなく言ってのけるだけの面構えをしていると、そう、思った。
「覚悟は、いいか?」
テオの表情、その全容は仮面に隠れて見えないが、その声は不思議な声と、イルが思った響きのまま。
その一言は、それは確かなゴーサインであった。
「作戦を決行する」