電話
次の日。
学校を終え、帰宅し、筋トレなり晩飯なり済ませて部屋でゴロゴロしていると、スマホにメッセージが届いた。
桜からだった。
昨日の夜は疲れてるだろうと思い、こちらからは連絡しなかった。
向こうからも連絡は来なかった。
試験の感触がどうだったかについてかな、と思いながらメッセージを見ると
「お風呂に入ります」
とのことだった。
拍子抜けというかなんというか。
っていうか、なんで急にこんなこと報告してきたんだろう。
いつもはいちいち風呂に入ることを報告されたりしない。
困惑しながらも、僕はとりあえず
「ごゆっくり」
と送った。
すると、すぐに
「今、風呂場に到着しました」
と来た。
なんなんだ。
「服を脱ぎました」
また来た。
なにこれ。
なんで逐一報告してくるんだ。
もしかして風呂に入るまでのメリーさん?
もしもし私メリーさん、今からお風呂に入るの、ってことだろうか。
「服を洗濯機に入れました」
知らねぇ……。
それがなんだと言うのだ。
「パンツ脱ぎました」
だから知らねぇよ。
「報告いらないです」
と送ると、
「分かりました。じゃあ今から電話してもいいですか?」
と返ってきた。
なんで?
風呂入るんじゃなかったの?
不思議に思いながら
「いいよ」
と送った。
数秒後、電話がかかってくる。
しかもビデオ通話でかけてきやがった。
応答すると、桜の首から上が映った。
背景を見るに、本当に風呂からかけているようだ。
どうやら浴槽に浸かって、自撮りをするような格好になっているらしい。
「こんばんわ~」
楽しそうに笑顔を浮かべている。
「こんばんわ。これはどういう遊び?」
「色仕掛けです」
「そういうのいいから。顔を見せた状態で僕に嘘がつけるとでも思っているのかい? 何が不安なの? 試験、手応えなかったとか?」
桜の顔を見た瞬間、笑顔の中に緊張とか不安とかそういった感情が混じっていることに気づいた。
作ったような笑顔で負の感情を取り繕っている様子は鏡の中に何度も見てきたし、兄弟にもよくそんな顔をする奴がいる。
この奇行は、不安やら何やらで頭がパッパラパーになってしまっているということだろう。
桜はバツが悪そうに俯いた。
「……普通そんなにズバズバ言い当てますかね。占い師じゃあるまいし」
「見える、見えるわよ。手相が見えるわ」
「いいですよ即興占い師やらなくて。……まぁ、そうですね。試験の結果がちょっと怖いんです。普通に解けたとは思うんですけど、周りの子がみんなすごい勢いでペンを動かしてたので、なんか不安になっちゃって。ああいう場所って自分以外の全員が優秀なライバルに見えるんですよね」
「速く書いてるからって、ちゃんと問題が解けてるかは分からないよ。意外とみんな焦って大慌てで手を動かしてるだけかも」
「だったらいいんですけどね……」
桜は浮かない顔をしている。
どうすれば元気づけられるだろうか。
うーん……。
考えた末、僕はある提案をしてみることにした。
「じゃあ、神頼みでもしてみる?」
「神頼みですか?」
桜は小首を傾げた。
「そう。受かってますようにって」
「普通、受験の前に行くもんじゃないですか?」
「まぁそうかもしれないけど。気晴らしのつもりで」
「いいですけど……。普段から信心深いわけでもないのに、こんな時にだけ頼って神様は不愉快に思いませんかね」
「神様の懐が狭いわけないんだからそのくらい大丈夫なはず」
「ですかねー。じゃあ、行ってみましょうか」
桜はさっきより自然な笑顔を見せた。
「やっぱり作り笑いより、そういう笑顔の方が見てて気持ちいいね」
「さっきの私はそんなに分かりやすく愛想笑いでした?」
「いや、占い師だから本当に笑ってるかどうか、心の中を覗くことで分かるのよ。私、そういうの見えるの」
「もういいですってそのキャラは」
桜はため息をついて、
「腕疲れてきた」
と言ってスマホを持っている手を入れ替えようとした。
その時、事件は起こった。
「あ! おわっと!」
濡れた手でスマホを掴んだことにより、つるっと滑って浴槽内に落としそうになったのだ。
間一髪、桜は凄まじい反射神経を発揮して文明の利器を水没させずに済んだが……。
「……見えました?」
苦々しい顔で訊いてくる。
「私は占い師。見える、見えるわ」
「うるせえですよ!」
「ちなみに今現在の画角もかなり際どい。僕、セクハラされてるのかしら?」
「ぬああああ!」
画面が真っ暗になる。
桜がカメラを指で塞いだようだ。
「最悪ですよ! こんなムードもへったくれもない状況で見せることになるとはっ!」
「あ、もしかしてムードとヌードをかけてる?」
「うるっせぇですよ! デリカシーはないんですか!?」
「デリカシー? 何色のやつだっけ?」
「ポイントカードじゃねぇんですよ!」
桜がそう叫んだ時、
「姉ちゃん、うるさい」
という声がスマホの向こうから小さく聞こえてきた。
この声は、桜の弟の紅葉だろう。
微かにシャカシャカと音が聞こえてくる。
音の聞こえ具合から考えて、紅葉は脱衣所で歯磨きでもしてるのではないだろうか。
「あ、怒られてしまったので一旦切りますね」
桜はそう言って通話を終えた。
再び電話がかかってきたのは十分後。
今度はビデオ通話ではなく、普通のやつだった。
「いや~さっきはすみませんね」
桜はいつもの調子で謝ってきた。
声からは不安な様子を感じ取れない。
表情が見えないから確信は持てないが、多分落ち着きを取り戻したんだろう。
「いいよ別に。むしろ得した気分」
「そっすか……。まぁいいですよ。それにしても、あの野郎どう思います? 姉が風呂入ってる時に普通脱衣所で歯磨きします? そんなことされたら出られないじゃないですか。まったく、気遣いってもんがないんですよあの子には」
紅葉に対する愚痴が始まった。
それからスマホの向こう側で定期的に響くドライヤーの音と桜の愚痴を聞いた。
僕たちとは少し違う兄弟関係に新鮮さを感じた。
同じ兄弟っていう関係性でも、歳の離れ具合や血の繋がりの有無によって様々なのだろう。
特に桜たちは思春期だ。
お互いに対する不満の一つや二つあって然るべきだと思う。
僕たちの場合は昔、一生分くらい喧嘩しまくったからもうあまり喧嘩になることはないが、たまには喧嘩するのもいいかもしれない。
別に喧嘩にまでならなくても、定期的にお互いに本音をぶちまけるっていうのも大事なことだろう。
「洗濯物と不満は溜め込まない方がいい」
けいが昔そう言っていた。
そんなことを思い出しながら桜の話に相槌を打っていると、
「試験の結果が出て、もし合格してたらそっちのお宅に遊びに行っていいですか?」
と桜が言った。
「いいよ。天姉たちも喜ぶと思う。一緒にお祝いしよう」
「やったー。お泊りだー」
来週の土日に桜が泊まりに来ることになった。
合格してたらだけど。
もし駄目だったら桜は延長戦に挑まなければならない。
本人はそれをとても心配しているが、僕は多分大丈夫な気がする。
まぁ結果が出る前に神様にお願いしに行ってみよう。
その時におみくじでも引いて、その内容を見ながら桜を励ましてみる。
それで元気づけてあげられたらいいな。
おみくじなんだし、きっといい感じに安心させてくれるようなこと書いてるだろ。
僕は呑気にそう考えていた。
まさか、おみくじの内容を見て桜が苦虫を噛み潰したような顔をするなんて思ってもみなかったのだ。