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六日目② 解けた誤解

 昼の教室は、いつも疎らだった
 今日とて例外じゃない。
 みんな様々な場所で、思い思いの時を過ごしているせいだろう。
 教室には太郎を含めて、数人の生徒しかいなかった

「……」

 その中で、太郎は一人で椅子に座っていた。
 昼食を摂るわけでもなく、勉強をするわけでもなく、何をするわけでもなく、ただぼんやりと。

 昼食も摂らずに窓の外を眺めているだけの太郎に、何人かの生徒達が心配して声を掛けてくれた。

 今日はどうした?
 ずっと上の空じゃないか。
 何かあったのか?

 しかしそう声を掛けてくれる生徒達に、太郎はただ首を横に振って、「何でもない」と答えるだけであった。

(本当にもうパラレルワールドに帰っちゃったのかな? でももしかしたら、まだ姉ちゃんのところにいるかもしれない……)

 太郎の頭の中を埋めているのは、あのちんちくりんの魔法使いの事だけ。

 休み時間も、授業中も、彼の事ばかりを考えて、ずっとボーッとしていた。

 だからもちろん、何人かの教師には注意を受けた。
 しかしその注意だって、太郎の耳には届いていなかったのだが。

(パラレルワールドでも姉ちゃんのところでもなくって、もしかしたらこの雨の中、一人で彷徨っているのかもしれない。だったら早く迎えに行ってあげなくちゃ。風邪ひいちゃうよ)

 昼休みも中盤が過ぎた頃だろうか。
 変わらず太郎が、タロの事をボンヤリと考えていた時だった。

「おい、太郎ッ!」
「ッ!?」

 突然、バンッと机を叩かれて、太郎は思わずビクリとした。

「うわ……っ、え、土田……?」

 驚きながらも顔を上げれば、そこに立っていたのは土田。

 もしかして怒っているのだろうか。
 机に両手をついて自分を見下ろす彼の視線は、結構鋭い。

「今度は逃がさねぇぞ。ちょっと付き合え」
「え……。ああ、ごめん、ちょっと一人にして」
「いいから、来いって言ってんだろうがッ!」
「うわっ!」

 もともと、太郎の承諾なんて得るつもりはなかったのだろう。
 彼の誘いを断る太郎などには構わず、土田は太郎の腕を乱暴に掴むと、ズルズルと引き摺るようにして太郎を教室の外へと連れ出した。











 連れて来られたのは、階段の踊り場の中でも、人通りの少ない踊り場であった。

 どうやら人気のないところで話をしたかったらしい。
 目的地に到着し、ようやく腕を解放された太郎は、ムッとした視線を土田へと向けた。

「何するんだよ。無理矢理引っ張って来るなんて酷いじゃないか」
「こうでもしねぇと、お前、来ないだろ」
「だからって……」

 確かに土田の言う事は正しい。
 力づくでなければ、太郎はここには来ない。

 しかしそれでも土田のやり方が気に入らないらしい太郎が、更に反論をしようとした時だった。

「違うの、太郎君。私が土田君に頼んだの。太郎君と、ちゃんと話がしたいって」
「え?」

 いつの間にそこにいたのだろう……いや、本当は最初からそこにいて、太郎が気付かなかっただけなのかもしれないが。

 それでも突然その場に響いた第三者の声に、太郎が驚きながらも振り返れば、そこには気まずそうに表情を歪めた妃奈子の姿があった。

「私がちゃんと、太郎君に謝りたかったから。だから土田君に頼んで、無理矢理連れて来てもらったの。こうでもしないと太郎君、きっと来てくれないから」
「謝る……?」

 朝も思ったのだが、そもそも何で妃奈子が非を感じているのだろうか。
 だって悪いのは、他でもない自分であるハズなのだから。
 それなのに何故、被害者であるハズの妃奈子が、悪い事になっているのだろうか。

「どうして妃奈子ちゃんが謝るの? だって悪いのは僕だよ? 妃奈子ちゃんが謝る必要なんて……」
「違う! 私が悪いの! それに嫌なの、こんな勘違いで太郎君とずっと気まずい関係になってしまうなんて!」
「!?」

 突然上げられた妃奈子の叫びに、太郎は驚いたようにして目を丸くする。

 妃奈子が悪いとは、どう言う事なのだろうか。
 それに勘違いとは一体……?

 すると理解が追い付かず、目を丸くしたままの太郎に、黙って様子を見ていた土田が呆れたようにして溜め息を吐いた。

「おい、太郎。妃奈子が言っても信じねぇみたいだから、オレからも言っておいてやる。オレと妃奈子は付き合ってねぇし、オレも妃奈子も、互いの事は特に好きじゃねぇ。ただの友達だ」
「え……?」

 その言葉に、太郎は更に目を丸くする。

 二人が付き合っていない?
 え、だって、お弁当だって毎日一緒に食べているし、すごく親しそうだったし、土田は妃奈子を馴れ馴れしく呼び捨てにしているし……。

 それに何より、以前に聞いた二人の会話なんて、完全に付き合っている二人の会話だったじゃないか!

「だ、だって……っ」
「だってじゃねぇよ! 何だよ、友達同士が仲良く弁当食っちゃいけねぇのかよ!? 親しくしてんのも、馴れ馴れしく名前呼んでんのも、友達なんだから別に不自然じゃねぇだろうが!」
「そうだよ! 太郎君だって、土田君と馴れ馴れしいじゃない!」
「えっ、だ、だって土田は男だし……」
「お前、考え方が古いんだよ! 女友達にも男友達と同じように接して何が悪いんだよ! だいたい、オレは前から枯野会長が好きだって言ってんじゃねぇか! オレは枯野会長みたいな巨乳美人が好きなんだよ! こんな貧乳ちんちくりんなんざ好みじゃねぇ!」
「……〇す」

 今、妃奈子から物騒な言葉が聞えたような気がしたが、よく聞き取れなかったので、聞かなかった事にしようと思う。

「とにかく! オレも妃奈子も別に好きなヤツがいるんだよ! それなのに勝手に噂流されて、勝手に付き合わされちゃ、オレも妃奈子も迷惑なんだよ! な、そうだろ、妃奈子!」
「うん、私もすごく迷惑だよ。土田君と付き合っているって思われるくらいなら、清野先生と付き合っているって思われた方がまだマシだよ」
「いや、それは言いすぎだろ」
「真実だよ」

 何故か彼女から漂って来る冷たいオーラに悪寒を感じた土田であったが、彼は咳払いをすると、「とにかく」と改めて話を纏めた。

「とにかく、オレは妃奈子と付き合ってなんかいないって言いたかったんだ。じゃあな、太郎。あとは妃奈子から聞いてくれ」
「え? あ、うん……」

 一言それだけを言い残すと、土田はその場に太郎と妃奈子を残し、さっさと立ち去って行った。

「あのね、太郎君……」

 土田の姿が完全に見えなくなったと同時に、ポツリと漏らされた小さな声。

 その声に視線を妃奈子へと戻せば、声の通り、彼女は気まずそうに表情を歪めていた。

「土曜日、私達が付き合っているって土田君にからかわれた時、太郎君、必死に否定していたでしょ? 私達は付き合っていないんだから、太郎君がそうするのは当然だし、間違っていないと思うんだけど……でも、あんなに一生懸命否定されたら悲しくなっちゃって……」
「悲しくなった?」
「うん。太郎君の行動は間違っていないんだけど……でも、あんなに否定される程、私って嫌われているのかなって。私と付き合っていると思われるのって、そんなに嫌なのかなって思ったら、凄く悲しくなって、思わず太郎君の傍から逃げ出してしまったの」
「え……? え、違うよ! 僕が妃奈子ちゃんを嫌いなんてありえないよ! それに、僕はそんなつもりで言ったんじゃ……っ!」
「分かってるよ」

 まさか妃奈子がそんな風に感じていただなんて。

 しかし慌てて否定しようとした太郎の言葉を遮ると、妃奈子はクスリと小さく苦笑してみせた。

「今朝、樹お姉ちゃんが教えてくれたの。太郎君は、私と土田君が付き合っていると思い込んでいるって」
「姉ちゃんが!?」
「うん。それで私、やっと気付いたんだ。太郎君は私を庇うために、ああ言ってくれたんだって。土田君に誤解されないようにわざとそう言ってくれたんだって、気が付いたの」

 どうやらこの件には、樹も一枚噛んでいるらしい。
 そのおかげで妃奈子は、太郎の言葉の真意に気付けたらしいのだ。

 まったく、本当にお節介で世話好きだな、年上の幼馴染は。

「私と土田君が付き合っているって噂がある事は、私だって知っていたのに。それなのに私、太郎君がああ言ってくれた意味に気付けなかった。そのせいで私、太郎君を傷付けてしまったばかりか、逆に自分が傷付けられた気になってしまっていた。一番傷付いていたのは太郎君だったのに……それなのに私……。酷い事して、本当にごめんなさい!」

 ガバリと。
 妃奈子は勢いよく頭を下げた。

「えっ!? あ、えっと……っ」

 それに対して、太郎は酷く狼狽えてしまった。
 まさか妃奈子が、こんなにも罪悪感を覚えていたとは、思ってもみなかったからだ。

 傷付けてしまったのは自分であり、傷付けられたのは彼女だと思っていた。

 だからこそ妃奈子に謝られた時は、謝るのは自分であって彼女ではないのにどうしてと、不思議でならなかったのだ。

 しかし今、その理由が分かった。

 それは妃奈子が、太郎の理由を知ったからだった。

 太郎は妃奈子を傷付けるつもりはなかった。
 そればかりか妃奈子を庇おうとして、ああ言ったのだ、と。

 そして全てを理解した妃奈子は、こうして太郎に真摯に謝りに来てくれたのである。
 
「そ、そんな謝らないでよ! それに僕だって悪いんだ! だって勝手に二人が付き合っているって勘違いして、勝手にあんな言い方しちゃったんだから! だから僕の方こそ、勝手な事を言って妃奈子ちゃんに誤解させてしまって、本当にごめんなさい!」

 頭を下げる妃奈子に、太郎もまた慌てて頭を下げる。

 すると妃奈子はおずおずと頭を上げながら、恐る恐る口を開いた。

「許して、くれるの……?」
「許すも何も、最初から怒っていないよ!」
「本当に……?」
「本当だよ!」
「そっか、良かったあ……」

 頭を上げながらそう頷いてやれば、妃奈子は安心したのか、安堵の息とともにようやく柔らかい笑みを浮かべてくれた。

「私、太郎君に嫌われちゃったらどうしようかと思って、すごくドキドキしていたの。でも太郎君にそう言ってもらえて、すごく安心した。ありがとう太郎君。私の話を聞いて、許してくれて」
「えっ、う、ううん! 僕の方こそ! その、ごめんなさい」
「太郎君は悪くないよ。だから謝らないで。ね?」
「あ、ありがとう……」

 ようやく二人の誤解が解け、元の関係に戻ったその時、丁度良いタイミングで昼休み終了の鐘が鳴り響く。

 そろそろそれぞれの教室に戻り、五限目を始める時間である。

「あ、もうすぐ五時間目が始まっちゃう! 私達、次は科学室で実験なんだ。じゃあ太郎君、またね!」
「あ、うん!」

 手を振りながら慌ただしく走り去って行く妃奈子に、太郎もまた手を振り返す。

 程なくして彼女の姿が見えなくなると、太郎はゆっくりとその手を下ろした。

「そっか。僕の勘違いだったんだ……」

 そう、全ては太郎の早とちり。
 そのせいで妃奈子を傷付け、樹を傷付け、そしてタロを追い出してしまった。

「ねえタロ。僕、やっと妃奈子ちゃんと仲直り出来たよ」

『そうか! それはめでたい! よくやったぞ、タロー!』

 なんて。
 そんな声が聞こえて来たら、どんなに嬉しかっただろうか。

 しかし、現実がそんなに上手くいくハズもなくて。

 返って来るハズもないその声に、太郎は一人寂しそうな笑みを浮かべた。





 ――ふと、視線を移した窓の向こう。
   少しだけ、雨の勢いが弱くなった気がした。

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