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2-1-7

「……参った。捕まった」

 少年は両手を上げて降参のポーズ。
子供は嬉しそうにニヒヒと笑う。

「ほら、立ち上がれないからどいて」

 廊下に尻を付けているのも、いい加減外聞が悪かろうと、退いてもらうよう要求すれば、返ってきたのは見上げる目。

「……逃げない?」
「逃げない、逃げない」
「なら、いいよ」

 四つん這いでのそのそ退いた子供の横で、少年は立ち上がって伸びをする。
真似するかのように、子供も立ち上がっては腰に手を添え、背を反らす。

「どうして僕を捕まえようと思ったの?」

 伸びをしながら問いかける質問は雑談の雰囲気。
きょとんとした目が少年の方を向く。

「え? 正体を知りたいなら捕まえてって言ったじゃん?」

 少年は笑う。

「僕が何者かを知りたかったんだ?」
「うん!」

 邪気が一切見当たらない純粋な笑顔。
素直に答えた子供に、少年は笑いがこみ上げてくる。
 同時に。

(無邪気な子供。だから、なんだ。人間なんだよ、この子供は)

 深入りに歯止めをかける。
人間に対しては、遊び道具と思うくらいが丁度いい。
彼はそう、自分を守る。

「……それで?」
「うん?」
「それで、僕の正体を知った次は、何をしたかったの?」
「えっ。……なに……? なに……?」

 まさか。
少年は自身の予想もしていなかったあり得ない予想を否定する。
それと同時に、真偽を確認すべく、恐る恐る子供の返答を待った。

「なにも……考えてなかった」

 予想もしなかった予想が大当たりを繰り出してしまった。
なんてことだ。それならばこの子供は、裏表など一切無く、ただ、ただ、無心で追いかけっこを楽しんでいた幼子ではないか。

 力が抜ける。
少年は、この子供でさえ裏があると疑っていた自分に呆れてしまった。

(人間にも、こんな奴がいるんだ)

 それは少年が初めて得た知識。
彼は知らずの内に笑っていた。

「コウメ」
「はっ! はいっ!」
「君も、この子のこういう所に絆された?」

 問いかけられたコウメは、視線を明後日の方向へ向け、ポリ、と頬をかいた。

「分からないけど……。そうかもしれねェッス」
「だよね。気付いたら、絆されている。そんな感じの子だよ」

 少年は微笑み、子供の方へ顔を向ける。

「君は、僕たちのような姿形の者に怯えないんだね」

 子供は首を傾げる。
次いで、理解できないと言いたげに問い返された。

「なんで?」

 少年は声を上げて笑った。

「君は変だ! すっごい変な人間!」
「ケンカ? 買う?」
「いい、いい、買わなくっていいよ、ケンカじゃない」

 ひとしきり笑ったあとに息を整える。
子供は不服そうな顔をして少年を見ている。

「僕たちはね、魔族って人間から呼ばれてる。それは知ってる?」
「うん。コウメちゃんに教えてもらった」
「そうか。なら、話は早い。僕たちは人間から恐れられているんだ。だから、人間の生活圏における魔族の扱いは、最低なものと言っても差し支えない」
「なんで? 怖いから?」
「そう。怖いから」

 少年は、本気で分かっていない顔をしている子供を見てはにかむ。

「コウメを見て。角が生えている」
「生えてるねぇ。かっこいいねぇ」
「牙もある」
「ギザギザでかっこいいねぇ」
「君はかっこいいと言ってくれているけれど、大半の人間にとって、この容姿は恐ろしいものなんだ」

 そういうもの(・・・・・・)として捉えてくれ。
そう告げれば、不承不承(ふしょうぶしょう)と頬を膨らませて小さく頷く。

「だから、人間は恐ろしいものを遠ざけようとする。僕らも、人間に対していい感情なんて持っていない」

 子供の目が何かを問いかけている。

「君のことを嫌いな人間がいたとしよう」

 唐突な語り口調に、子供は困惑した表情を見せるが、大人しく傾聴する姿勢を見せた。

「君なら、毎日嫌いだと罵られている相手に、無理に仲良くしようと思えるかい?」

 顎に手を当て考える。
やがて、子供は低く唸るように、否定の回答をする。

「仲良くできるならしたい。けど、相手が嫌いって言ってくるなら……。無理かも」
「そうだね。僕たちの多くは、心の底から人間が嫌いではないんだ。相手が攻撃してくるから、段々と嫌いになって、関わりを持たなくなってきただけ。時には好きだって言ってくる人間もいたけど」
「けど?」
「裏切られることしかなかった。僕らを甘い言葉で惑わせて、陽の光のもとで痛めつけることしか考えていなかった」

 だから。
続ける言葉に、子供が痛そうに歪んだ表情を浮かべる。

「だから、人間は信用していない」

 子供は痛そうな表情のまま、縋るように言葉を紡ぐ。

「……全員、そうじゃないはずだよ」

 少年は苦笑した。

「そうかもね。でも、たくさんいる、僕らを嫌いと言ってくる人間の中で、僅かな変わり者を探すのがどれだけ大変だと思う?」

 子供は口を噤む。
二の句が継げなくなった様子の子供。その背後を見て、少年は表情を消す。

「ヒゥル」

 そこには城のメイドである、蝙蝠の翼を持った娘が静かに佇んでいた。
彼女は腰を低く、礼をとる。

「人間と謁見のお時間です」

 子供の視線が、彼女と少年の間を行き来する。
少年はどこか面白がりながら、面倒くさそうに答えた。

「あれ? もう看破されたの?」
「はい。目が見えてるのかわからない不憫そうな方の人間は気が付いておりませんでしたが、仮面を付けている方の人間が気付いているようでした」
「ふうん。そっか。なら、僕が出ないとね」

 戸惑いを含む視線が、少年を見ている。
少年は喉の奥でくっと笑う。
不安げなその表情に、興が唆られたと言えばいいだろうか。

 少年は、子供の目を至近距離で覗き込む。
その近さに、子供はたじろぎ身を引いた。

「さっきの追いかけっこ、中々楽しかったよ」
「コウメちゃんのおかげだけど、それは何より、です?」

 疑問詞が付いた返答。
少年は、自身の正体を賭けて遊びを行っていたことを思い出す。
彼は勿体ぶって唇に指を当て、そうして子供に囁いた。

「教えてあげる。僕の正体は――」

 城の中に風が吹く。
開け放たれた窓から入り込んだそれは、少年の髪を舞い上げた。

「――魔王」

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