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「テーオー氏ー。あーそびましょー」

 薬を調合する仕事を弟子に手伝ってもらっている最中。
開け放たれたドアから、これまた弟子の精神年齢に合わせた幼い口調で呼びかける男の声。

「イルだ! ししょ、行ってきていい?」

 すり鉢を落とさないように机の奥に置き、弟子は顔色を窺ってくる。
メェリャは仕方ないね、と薬研を置いた。

「日が落ちる前には帰ってくること。イル、あんまり変な言葉教えないでよ」
「はて? あっしそんなもの教えましたっけねぃ?」
「最近テオの口調が雑になってきてるのは、アンタとの言葉遊びが原因でしょうが」
「ま、ま、成長の証ということでここはひとつ……」
「成長過程に不純物を混ぜるんじゃないよ」
「不純物だなんてー……。え? あっし不純物なんですかぃ?」

 糸目を携えた、恐らく弟子と同年代と思われるこの男の出自ははっきりとしない。
 ただ、分かるのは、ある時とつぜん弟子の前に現れたこと。
まるで懐かしい人を見たかのように、弟子の後ろ姿に駆け寄ってきたこと。
 ……顔にできた無残な火傷痕に驚いたこと。
あの時の、驚愕と恐怖に彩られた表情を見て、弟子は仮面を着け始めたこと。
 仮面をねだられた日。
メェリャが、火傷痕など気にしなくてもいいと言ったあの日。
イルと名乗ったその男が、驚いたことを謝罪した日。
火傷痕も気にしていないことを伝えたその日。
弟子の回答は、ひどく優しいものだった。

「友達を、驚かせないようにしたいから」

 弟子は、下手をすればトラウマになってもおかしくないあの態度を気にしていないどころか、その本人を気遣う優しさを見せた。
あの日、メェリャは弟子の成長に涙した。
それと同時に、イルという男を警戒した。

(何でか知らないけど、テオのことを知っている風だったし。……見た感じは、追っ手のような雰囲気はないけど)

 それでも、どこぞの馬の骨(悪い虫)の可能性がある以上、メェリャにとってイルは警戒する対象であった。
 ……毎日、お花摘みなどの、健全通り越してメルヘンな遊びに誘ってくる男であることは置いておいて。

「今日は何して遊ぶの?」
「えっとね、花冠の作り方教えてくれるんだって」

 嬉しそうに両手をパタパタ上下させる弟子。とってもメルヘン。

「安心してくだせぇ。ちゃんと小屋から目が届く範囲で遊びますんでぃ」

 にっこり笑うイル。とっても胡散臭い。

「仕方ないね。森の方には行かないこと」

 分かった? と念押しすれば、返ってくる良い子のお返事。

「イル、行くぞー」
「待ってくだせぃテオ氏ー」

 本当に小屋から目の届く範囲で花を摘む、弟子とイル。
花を摘み、蝶を追いかけ、土だらけになる姿は幼子と変わらない。
それなのに、その身丈はもう、メェリャをはるか下に引き離すほど成長している。

(子供の成長って早いなぁ)

 弟子に関しては、早すぎるかもしれない。
気のせいだろうか。弟子の成長、その速度は普通の幼子よりも早いとメェリャは感じている。
……子供になりきることができなかった大人が、赤子からの健全な成長過程を、早回しで体験しているような。

 昨日舌っ足らずだった言葉が、翌日には比較的流暢にしゃべる子供レベルになっていたり。
昨日分からなかった文字を、翌日には読むどころか自在に操ることができていたり。

 まるで、昨日まで寝ることしかできなかった赤子が、腹這いやハイハイ、つかまり立ちをすっ飛ばして、いきなり歩き出しているようなスピード感。

(子供に戻りたい心と、早く大人に戻らなくてはいけないと思う心が葛藤しているみたい)

 ……このまま、本来の精神年齢に戻ったとて、記憶が戻っているとは限らないけど。

 記憶まで無くすなど、相当なショックを与えなければまずあり得ない。
酷いことをされてきたのは、その顔の火傷痕を見れば想像位はできる。
 ……だからこそ、メェリャは弟子の成長を喜ぶべきか止めるべきかと悩むのだ。
嫌な記憶を思い出す可能性が、少しでもあるのだから。

「……考えたって仕方ない、か」

 メェリャは気持ちを切り替える。
弟子たちが小屋の近くまで来て、花を摘んでいる。

 絵面だけ見れば、もういい大人が、童心に返って花畑で転がる絵だ。
何も知らない人らが見れば、何をしているのかと不気味に思うだろう。

 しかし、メェリャはそれを微笑ましく思う。
急激な成長を見せているとは言えど、まだ子供の精神年齢であると実感できるから。

(……願わくば)

 願わくば、弟子がこのまま、つらい記憶を思い出さないままに成長して、幸せになってくれるよう。
 メェリャは願ってやまなかった。

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