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1-2-2

 海の荒くれ者、船員総勢数十人。
対する珍客はたった一人。
久方振りに人の肉を切れるという快感に、船員たちは我先にと駆け出していく。

「んー……。これ、借りるな」

 大人でも驚き、慄くであろう怒号にも臆することなく、むしろ友人の家にでも来たかのような気楽さで、珍客はその棒を手に取った。

「ふざけてんの?」
「いや? ちょうどそこにちょうど良さそうなものがあったから拝借しただけだが?」
「曲者だと思ったんだけど、僕の見込み違いだったみたいだ」

 珍客が手に取ったのは、清掃作業後、片付けていなかったデッキブラシ。
なんの加工も成されていない、ただの木材でできたデッキブラシで、一体何ができるというのか。

 予想通り、甲板では嘲笑があちらこちらで聞こえてくる。

 しかし珍客は我関せずと、そのデッキブラシの先端を振った。

「えい」

 気の抜けるような掛け声から繰り出されたのは、聞いたことのない風切音。
それと、背後で帆がビリッビリに裂ける音。
訪れたのは、沈黙。

「……剣士?」
「いいや。ただの魔法使いだ」

 男は全身から冷や汗が噴き出すのを感じ取る。

(ふざけてる! ただの掃除道具から出していい攻撃じゃないぞ?! それになんだ魔法使いって!)

 男は周囲を、そして自身を鼓舞するため、わめき声にも近い怒声を発する。

「魔法使いなら……! 魔法を! 使えぇえぇぇええ!!」

 人海戦術とも言える、一斉攻撃。
正面、背後、左右、頭上。
あらゆる角度から珍客を狙う船員たちは、嘲笑していた頃の油断は微塵も見えない。
 隙はなかったはずだ。それなのに。

「じゃあそうするか」

 なおもそいつは、激昂するでもなく、感情を表にするでもなく、自然体で言葉を緩く口にする。

「《水よ》」

 一言。生活をしていて、全く聞き慣れない言葉を紡ぎ出し、デッキブラシを甲板に突いた。

 瞬間。

 響き渡る驚愕の悲鳴。あらかた鳴り終わった後には呻き声。
僅か十何秒の世界だった。ほんの少しのことだった。

 デッキブラシが甲板に着地した瞬間、海面からボコボコ、ボコボコ水が沸騰するように泡になり、宙へ浮いた。
それは質量を持って球体となり、男たちの周囲を囲んだ。

 そこからは蹂躙劇と言って差し支えない。
右から左から、或いは上から、不規則に飛んでくるのは水球。
その硬さは、恐らく金属と比較しても劣らないほど。
 それが速度を持って襲ってくるものだから、ぶつかった船員たちは、腕があらぬ方向へ曲がったり、腹にめり込んで血を吐いたり。
頭にぶつかって、野菜みたいに潰れた船員も、いた。

 そいつは、暴れ狂う水の球体、その群勢の中心で、ただデッキブラシを手に持っていただけだった。

 死屍累々。
その言葉がぴったりな甲板で、そいつは飄々とこちらを見つめている。

「……びっくりしたよ。本当に魔法使いだったんだ」 
「そう言っていたはずだが」
「信じられないって。デッキブラシ持ち出すような魔法使いなんて、見たこと無いんだもん」
「だろうな」

 しれっと、自身が普通の枠から外れていることを認めるそいつは、呑気に立っている。
足下に転がっているのが、死体だということを忘れるくらい、呑気に。

「ねえ、あんたが足蹴にしてるそれ、僕の部下なんだけど?」
「あんまりゾロゾロ引き連れていっても、憲兵さんに迷惑かけるだろ」
「数を減らしたって? ふざけてる」

 思わず漏れる笑い声は、一体どんな感情だったのだろうか。

「あんたさ、本当に人間?」
「そうだが?」
「僕にはあんたが、悪魔に見えるよ」

 あ、笑った。

 仮面越しではあるが、確かにそいつが笑った気配がした。
それは、そいつから漏れ出た息遣いがそう感じさせたのか。
それとも、もっと別の何かが。

「ねえ、あんた、今までどんな悪いことしてきたの」

 知りたくなった。
珍客としか思わなかった、そいつの考えを。

「清廉潔白に生きてきたと思うが」
「嘘つけ。真に清廉潔白なら、そんな、なんでもない顔で死体なんて増やさないんだよ」

 そいつは足下の死体を、うっかり踏まないように避けていた。……足で。

「飛んでくる火の粉を払ったまで」
「にしては火力高いよね」
「後に禍根を残さない主義なんだ」
「それは禍根を全て排除すれば残らないってトンデモ理論?」
「分かってるじゃないか」

 ……なんとなく。
本当に、なんとなく。

 生まれとか、育ってきた環境とか。
出会い方も、何かが違えば、コイツとはいい友達になれたんじゃないか。
そんな気持ちがなんとなく、生まれていた。そんな気がする。

(気の所為だ)

 サーベルを改めて構える。
ふー、と大きく息を吐く。
こちらの雰囲気が変わったのを察したのか、ビシバシ感じるプレッシャー。

(嘘つけ)

 清廉潔白にぬくぬく育ってきたんなら、こんな、犯罪者(僕ら)みたいな気配なんて、普通は出せないはずなんだよ。

(どんな生涯を送ってきたら、そんな、白と黒の狭間で揺れずに生きられる?)

 興味が尽きない。
自然と笑みが浮かんでくる。

「僕の名前はゴルド。あんたは?」

 銀髪の仮面野郎は、スカした声で名乗ってきた。

「テオ」

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