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第62話 静かに眠る亡き妻

 秋の気候に近く設定された気温が心地よく感じられて、嵯峨は気分良く葬列をやり過ごすと先頭に立って歩いた。かえでとリンはそんな嵯峨の後ろを静かについて行った。嵯峨家の被官の名族、醍醐侯爵家と佐賀伯爵家の墓を抜け、ひときわ大きな嵯峨公爵家の墓標の前に嵯峨は立っていた。そしてその後ろにひっそりとたたずむ小さな十字架に嵯峨とかえで、リンは頭をたれた。

 そこに眠るのはエリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨。嵯峨惟基の妻であり、嵯峨茜の母にあたる。『社交界の華』と呼ばれたその美貌はかえでも何度か写真で見たことがあった。目の前の冴えない叔父とは桁が違う美女であるエリーゼを思うと二人の短い夫婦の暮らしがどんなものだったかかえでには想像もつかなかった。

「おい、久しぶりだな」 

 墓に向かってそう言うと嵯峨は中腰になりさびしげな笑顔を浮かべながら墓に花を供えた。そして桶からひしゃくで水を汲むとやさしく墓標に水をかけた。

「また命をとられかけたよ。それでも残念だけど今は君のところには行けそうに無くてね……まあ、俺はお前さんに捨てられた身だから、会いたく無いって言うならそれもそれでありかな。いや、お前さんの事だ、あの世でもう男を作って俺の事なんて忘れちまってるかもな……俺も忘れたいが……記憶力が良いのは若いころには自慢になったが、この年になると因果なものだ」 

 そういいながら墓標のすべてを水が覆い尽くすまで柄杓を使う。かえでは何度同じ光景を見ただろうかと思いをめぐらした。

 第二次遼州大戦で開戦に消極的な西園寺家は軍部や貴族主義者のテロの標的とされた。かえでの祖父、西園寺重基は毒舌で知られた政治家であり、引退後のその地球との対話を説く言動は当時の反地球を叫ぶ世情の逆鱗に触れるものばかりだった。

 そんな西園寺重基を狙ったテロに巻き込まれてエリーゼはわずか26歳で短い幾多の恋に生きた生涯を閉じた。

 黙って墓石を眺める嵯峨の後姿を見ながら、珍しくかえでの眼に涙が浮かんだ。

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