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第63話 無粋なる訪問者

「失礼ですが……」 

 木陰で休んでいたらしい背の低い男が嵯峨達に声をかけてきた。表情を変えずに合わせていた手を下ろして嵯峨は彼を見つめた。着ているのは詰め襟が特徴的な甲武陸軍の勤務服。その階級章はこの男が大佐であることを示していた。そしてその左腕に巻かれた腕章の『憲兵』の文字。叔父である嵯峨が憲兵隊にいたことを考えればこの目の前の小柄な男が嵯峨に意見を求めに来たこともかえでには自然に感じられた。

「高倉さん。お久しぶりですねえ」 

 嵯峨は着物の帯に手を伸ばして禁煙パイプを取り出して口にくわえた。そんな行動にそれほど機嫌を害しない高倉はかえでから見ても嵯峨の扱いに慣れていることがかえでからも見て取れた。そしてかえでは高倉の名を聞いて彼のことを記憶のかけらから思い出していた。

 高倉貞文大佐。アフリカで勇猛な泉州軍団を指揮した醍醐文隆陸軍准将の懐刀と呼ばれた男である。脱走で知られる同盟国遼帝国の兵卒に苛烈な制裁を加えて戦線を維持し、アフリカからの撤退戦でも的確な資材調達術などで影で醍醐を支えた功労者として知られていた。現在は海軍と陸軍と治安局に分かれていた憲兵組織を統一して設立された特殊工作部隊『甲武国家憲兵隊』の隊長を務める男である。

 同業者、そして醍醐家の主君と被官ということからか、いつもの間の抜けた表情で嵯峨は話を切り出した。

「醍醐のとっつぁんは元気してますか?しばらく会ってないなあ、そう言えば。とっつぁんも良い年だ。もうそろそろ隠居を考えた方が良いんじゃないかと俺が言ってたと伝えといてくれませんかね」 

 そんな嵯峨の態度に表情一つ変えず高倉は嵯峨を見つめていた。

「ええ、閣下はアステロイドベルトの軍縮条約の実務官の選定のことで惟基卿のご意見を伺いたいと申しておられました。それに閣下はまだまだご壮健です。引退はだいぶ先の事になるでしょう」 

 明らかに嵯峨が高倉と言う男を歓迎していないことはその禁煙パイプを持つ手が何度も震えているところから見てかえでは察することが出来た。

「ご意見なんてできる立場じゃないですよ、俺は。それに今度の殿上会で現公爵から前公爵になるわけですから。〇〇卿なんて言葉も聞かなくてすむ立場になるんでね……まあ住み慣れた東和ではそんなこと言われることもねえから気楽なもんですよ。貴方もどうですか?こんな国を捨てて東和で暮らすってのは。あの国は平和で良い。差別も格差も少ない。人間が優しい。良いことずくめだ」 

 そう言って笑う嵯峨を高倉は理解できなかった。甲武の貴族社会が固定化された血と縁故で腐っていくのを阻止する。主家である醍醐、嵯峨の両家が支持する西園寺義基のその政策に高倉も賛同していた。だが多くの殿上貴族達の間では、今、甲武公爵の位まで平気で投げ捨ててみせる目の前の男の本心がいまだ読めないと疑心暗鬼になる者が出ていることも事実だった。

「高倉さんは俺みたいなドロップアウト組と世間話する時間も惜しいでしょう。話はとっとと切り上げましょうや」 

 嵯峨はそう言うと禁煙パイプを帯にしまって今度は帯からタバコを取り出した。安っぽいライターで火をつけると、今度は携帯灰皿を取り出す。

「俺みたいなろくでなしに会いに来た要件をキーワードでつなげると、バルキスタン共和国、アメリカ陸軍特殊作戦集団、甲武国家憲兵隊外地作戦局。そんなところですかねえ」 

 そう言うと嵯峨は空に向けてタバコの息を吐いた。高倉は明らかにこれまでの好意的な目つきから射抜くようなそれになって嵯峨を見つめていた。嵯峨の指摘した三つの名前。どれも高倉が嵯峨から情報を得ようと思っていた組織の名称だった。

「それと近藤資金についても知りたいみたいですねえ。また甲武でもずいぶんとあっちこっちで近藤さんの遺産が話題になってるらしいじゃないですか。最終的には俺等が暴れた尻拭いを押し付けちゃって俺も本当に心苦しいんですよ。俺は仕事を始めるのは得意だが片付けるのは苦手でね」 

 明らかにこれは口だけの話、嵯峨の本心が別にあることは隣で二人のやり取りを呆然と見ているだけのかえでと渡辺にもすぐにわかった。

 一言言葉を間違えれば斬り殺されるのではないかと思い詰めているように高倉は冷汗を流しながら嵯峨を見つめていた。その前で嵯峨は相変わらずののんびりとした調子で伸びをして墓石を一瞥した。

「すべてはお見通しですか。さすがです、閣下」

 高倉は自分の考えていることをすべて当てられて、改めて嵯峨と言う男の恐ろしさに気付いた。

「甲武の軍はメール通じるでしょ。後で、隊で留守番している副部隊長に俺の知ってる資料は送らせますから。それを醍醐のとっつぁんに渡せば一件落着。俺の出る幕なんてどこにもありませんよ」

 その言葉の裏の意味が高倉にここから去れと嵯峨は言っているのだとかえでは判断した。

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