4話 それぞれの思惑
海風がそよぐ、静かな海沿いの小さな公園。
遠くにカモメの声が響き、砂浜には波がやさしく打ち寄せている。近隣には数多くの飲食店が立ち並び、ここは食後に一息つくための憩いの場として、地元の人々に愛されている。青い空と海のコントラストが目に心地よく、ここで過ごすひとときは、日常を忘れる贅沢だった。
そんな公園の一角、小さなテーブルと椅子が並ぶスペースで、レイは昼食の準備を整えたばかりだ。彼の隣には、今日初めてこの場所に連れてきた新しい相棒、ウタが座っている。
彼女は静かに海を眺めていた。
「待たせたな。」
レイが袋から取り出したサンドイッチとコーヒーを、テーブルに置く。ちらりと彼女を見た。その横顔には何かを観察しているような静けさがあった。レイはふと気になり、声をかける。
「本当にコーヒーだけで良かったのか?」
ウタは穏やかな声で答えた。
「はい。お腹は空きませんので。」
彼女の言葉に、レイはコーヒーを啜りながら改めて彼女の顔をじっと見た。どこからどう見ても人間としか思えない彼女の佇まいに、彼は感嘆する。
「君がアンドロイドというのは信じ難いな。どう見ても人間だ。」
ウタは軽く肩をすくめ、手にしたコーヒーを胸の前に持ちながら視線を少し外す。
「ありがとうございます。」
その反応に、レイは少し気まずくなり、急いで視線を外し椅子の座り直す。
「すまない。ジロジロ見るのはマナー違反だな。」
彼の謝罪に、ウタの顔には一瞬だけ柔らかな表情が浮かぶ。彼女の中で、レイ警部にはアンドロイドに対する偏見も嫌悪もないという結論が下される。
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今やU.K.国は、十年以上も王が不在のまま代理政権が続いている。
そんな中、《とある技術者》によって世界を震撼させる発明が生み出された。「意志を持つアンドロイド」というオーパーツの登場である。国中が驚愕と興奮に沸き立ったが、その技術者は核心の技術を明かさぬまま急逝してしまった。以来、状況は混乱を極める。残されたアンドロイドたちを分解し、その技術を解明すべきだとする勢力< 反王室派>と、人間と同等の権利を与えるべきだと主張する王女殿下を始めとした勢力< 王室派>が対立を始めた。
ウタもまた、そのアンドロイドのひとりだった。
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「その反応を見ると、王室派という感じがしますね。」
ウタはレイの発言を受け、少し挑むように言った。その率直さが彼女の魅力でもあり、時に彼を面食らわせることもある。しかし、彼女の言葉には敵意は感じられない。
レイは軽く息をついて、静かに答える。
「ニュースはあまり見ないが、本来あるべき姿に戻すべきだろう。」
言葉を選びながらもどちらにも与しない曖昧な意見。だが、彼は続ける。
「だが、こうして話してみてよく分かった。アンドロイドにも権利は必要だ。」
その一言にウタは少し目を輝かせた。レイはそれ以上何も言わず、サンドイッチに手を伸ばす。
見た目も仕草も人間そのものだが、法律の上では彼女は「物」だった。それを考えると、レイは自分が食べているサンドイッチの味が少しだけ苦いものに感じた。
◇
少し離れた所にレイとウタがテーブルについて、談笑している様子が見える。白髪の少女の弾むような声が響いた。
「鈴仙!見てください、海ですよ。海!」
弾けるような声が浜辺に響き渡る。
まるで初めて海を目にしたかのように、その目を輝かせ、楽しげに笑いながら砂浜へと駆けていく。
白髪をリボン付きのカチューシャで整えた少女は白いブラウスに緑のベストを身に着け、胸元には大きなリボンをあしらっていた。緑色のスカートが走るたびに軽やかに揺れ、腰には日本刀のようなものを二本差しているが、それが重さを感じさせることは一切ない。その動きは風のように軽快で、まるで砂浜そのものが彼女を歓迎しているかのようだった。
後ろから声が追いかけてくる。
「ほら、妖夢。走ったら危ないわよ!」
呼びかけたのは鈴仙<レイセン>と呼ばれた少女。
足元まで届きそうな長い薄紫色の髪を揺らしながら、彼女もまた砂浜に向かって小走りに追いかける。紅い瞳が海の光を受けてほんのり輝き、白いブラウスに赤いネクタイ、紺色のブレザーと薄桃色のスカートという制服姿は、一見すれば普通の女子高生そのもの。しかし、頭から生えた大きな兎耳が彼女の異質さを際立たせていた。
鈴仙は少し息を切らしながらも、楽しそうに後ろを振り返り、もう一人に声をかける。
「ほら、八雲も来て!海なんて滅多に見れないわ!」
その声を受けたのは、赤い紐を垂らした白い傘を差した金髪の女性だった。長い金髪が海風に揺れ、紫色のワンピースがゆったりと波打つ。彼女はその場に立ち止まり、まるで全てを見透かすような微笑みを浮かべながら、軽く呟いた。
「ふふ、まだ子供ね。」
その呟きにはどこか微笑ましさが滲むが、彼女の動作はあくまで優雅でゆったりとしていた。やがて八雲は、砂浜を歩くどころか、そこに何も存在しないはずの『空間』に腰を下ろした。だがその異様な光景を誰も気に留める様子はなく、当たり前のこととして見過ごされている。
やがて、砂浜を満喫してきた妖夢と鈴仙の二人が、八雲の元へと戻ってくる。三人が顔を合わせると、八雲はその威厳ある佇まいのまま、どこか少女らしい軽やかさを含んだ声で話し始めた。
「さぁ、座りなさい。遊びに来た訳じゃないのよ。」
八雲の落ち着いた声が、ふたりに静かに響く。妖夢は素直に椅子に腰を下ろしたが、鈴仙は少し反発するように口を尖らせてから座った。
「分かってるわよ。少しぐらいいいでしょ。」
鈴仙の抗議めいた言葉にも、八雲は何の反応も示さない。ただ静かにその手を動かし、どこからともなく二枚の写真を取り出してテーブルに置く。風に揺れる紙片の上には、それぞれレイとウタの姿が写っていた。
「ターゲットはこの二人。男は妖夢が、女は鈴仙が対応して。」
鈴仙がちらりと写真に視線を向け、淡々と口を開く。
「殺していいの?」
その質問に八雲は鈴仙の紅い瞳を見据えて答えた。
「構わないわ。でも能力の使用は限定させてもらうわ。ここは《郷》じゃないのよ。」
八雲のその言葉に、妖夢が小さく頷く。
「時間を稼げばいいの?」
「その通りよ。あなたには紅魔の従者も付けておくわ。」
妖夢が冷静に再び頷いたのとは対照的に、鈴仙は不満げに声を上げる。
「私も誰か付けて、あと狙撃銃が必要よ。」
その無邪気ともとれる物騒な発言に、妖夢が口元を緩めた。
「鈴仙、殺る気満々だね。」
「さっさと終わらせて遊びたいのよ、師匠から色々頼まれてるし。」
鈴仙の苛立つような口調を受け流しつつ、八雲は少し考え込むような仕草を見せる。そして再び口を開いた。
「ロシア製で良ければすぐに渡せるわよ。付けるのは椛でいいかしら?」
その提案に、鈴仙は満足そうに頷き、不敵な笑みを浮かべた。
「さすがね、八雲。完璧よ。」
そのやりとりを聞きながら写真を見つめていた妖夢が、何かに気付いたように八雲へ視線を向けた。
「ねえ、八雲。このターゲットの二人って近くのテーブルに座ってるよね?」
妖夢は指差しもせず、ただ目線を八雲に向けたまま静かに告げた。その言葉に鈴仙は思わず周囲を見回し始める。そして、レイとウタが少し離れた場所のテーブルで談笑しているのを視界に捉えた。
妖夢が刀に手をかける。
「今すぐやっても?」
「ダメよ。ひとりの時を狙いなさい。『境界を張ってから』でもいいのよ。」
その指示に妖夢は一度だけ頷くと、静かに刀から手を離す。その様子を見届けた八雲が再び声をかけた。
「さぁ、一度《郷》に戻るわよ。椛にも事情を話しましょう。彼女の目は役に立つわ。」
三人はそれぞれの役割を理解し、立ち上がる。そして公園の出口へと向かおうとした時、鈴仙はふと足を止めた。
彼女の紅い瞳がウタを捉える。まるで無意識にそうしたかのように、鈴仙は笑みを浮かべた。その笑みは、純粋でありながらどこか狂気を孕んでいる。そして、不意に視線を感じたウタが鈴仙を見る。
無垢な表情で首を傾げるウタの姿が、鈴仙にはどこか滑稽で、無防備に見えた。鈴仙の笑みは一層深く、不穏な影を帯びたまま、やがて視線を外して歩き出す。
その背中が消えるまで、ウタはただ呆然としていた──