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3話 自由なき空





U.K.国沿岸警備隊所属の《多目的哨戒艦セントグレイ》は、鏡のように穏やかな海を切り裂きながら進んでいた。

鋼鉄の船体は、波しぶきに濡れるたび鈍い光を放ち、船首に描かれたライオンと王冠をあしらった国章が、その威厳を海上に知らしめる。広大な海域での哨戒任務は日常だが、この海はただの航路ではない。密輸船、不審船、そして未知の危険が潜む、警戒を怠れば命取りになるエリアだ。

艦橋では、アーサー・ベインズ大佐が双眼鏡を構え、水平線を見つめていた。その横で通信士が端末を操作しながら静かに報告を上げる。


「船影、異常なし。海況、穏やかです。」


艦内は規律に裏打ちされた静寂に包まれ、乗組員たちはそれぞれの任務に集中していた。甲板では整備士たちが対空砲を点検し、笑い混じりの会話が飛び交う。


「海の上での1時間は、陸の1日よりも長いな。」
「だから仕事が絶えないんだよ。」


この穏やかな日常が一瞬にして崩れるのは、いつものことだ。


「艦長、熱源高速接近!五時の方向からミサイルの可能性があります!」

「レーダー照射もなしにミサイルだと!?どこのバカだ!」


管制室からの緊急報告が艦内に緊張を走らせた。副長が即時文句を垂れるが、艦長は冷静に指示を瞬時に飛ばす。


「全乗員、配置につけ!戦闘態勢!ECMを始動、迎撃準備だ!」


艦は一転して戦闘モードへ突入した。甲板では乗組員が駆け回り、艦内には警報が鳴り響く。


「音響士、潜水艦の気配は?」
「魚しかいません!」


冗談交じりの返答に、艦長は眉間を押さえつつも僅かに笑みをこぼした。


「いくら平和でも艦に魚群探知機を積むな!」


そんな軽口が交わされる中、再び厳しい報告が入る。


「熱源、距離2000!電子戦が機能しません!」


艦長は一瞬考え込み、叫んだ。


「ファラァーーーンクス!」


全自動迎撃システムが作動し、鋼鉄の弾丸が唸りを上げて空を切り裂く。だが、飛翔体はこれまでにない軌道を描いてシステムの迎撃を回避する。


「バカな!?回避行動だと!?」


艦長は自らの疑念を抱えながらも、冷静な指示を下す。


「迎撃中止!速度を落とせ。哨戒体勢に戻るぞ。」


艦内は混乱したが、艦長はそのまま艦橋を後にし、甲板へ向かった。副長が慌てて追いかける。


「艦長、どちらへ──!」


甲板に出た彼らを待っていたのは、驚くべき光景だった。赤い髪をなびかせ、背中に翼を広げた女性が、艦の上空を軽々と飛び去っていく。

副長は目を見開き、言葉を失った。そんな彼の横で、艦長は静かに呟いた。


「また『アイツら』か……。」


穏やかな海風がその声をさらい、消えていった。









U.K.シティの山間部にそびえ立つ巨大な建物、< アルテ・ベスティア> 。

表向きは芸能事務所だが、裏では武装集団としての顔を持つ。創業者モモが立ち上げたこの組織は、今や数千人の所属者を抱える一大勢力となっていた。

二階の応接室は滅多に使われないが、手入れが行き届き、上品で物騒な雰囲気を漂わせている。深紅の絨毯、黒檀の家具、そして装飾代わりに飾られたアンティークの銃器や短剣。

その応接室で、所長のウタが静かに銃器の整備を楽しんでいた。


「デポ子、ファイブセブンとキアッパトリプルを出して。」


帽子から現れた小さなロボットが、拳銃とショットガンを吐き出す。それを手慣れた様子で受け取る。

意志を持つ彼女にとって、無機質な銃器との静かな時間は何よりも心休まる瞬間だった。整備の手際は熟練の域を超え、まるで楽器を調律するように丁寧で滑らかだった。


「春の雨が香る〜♪」


ウタは気分よく鼻歌を口ずさみながら拳銃を手に取る。マガジンを外し、スライドを引き、勢いよく飛び出してくる弾丸を片手で受け止めると、静かにマガジンに戻す。スライドを数度引いて動作を確認し、薬室の中を覗き込むと、問題ないと判断してテーブルにそっと置いた。


「どこか遠い時間を 夢見るように やさしく世界を磨く〜♪」


次にショットガンを取り、撃鉄付近でバレルを折り、弾薬を取り出してテーブルに並べる。バレル内を念入りに点検し、元の位置に戻してから肩に構えた。引き金を軽く引くと「カチッ」と乾いた音が響く。満足げに微笑むと、ショットガンを置いてふと窓の外に目を向けた。

視線の先には静かな風景が広がっていたが、どこか心の奥でざわめきを感じた。


「嫌な予感がするなぁ…」


ウタは静かに立ち上がり、窓から一歩離れた。耳を澄ませば、遠くから不穏な轟音が微かに聞こえ、それが次第に近付いてくる。


「また面倒ごとかな……」


そんな独り言が終わるか終わらないかのうちに、窓ガラスが突然派手に割れた。勢いよく吹き込む風とともに飛び込んできたのは、赤い髪を両サイドで巻き、背中にドラゴンの翼を広げた女性だった。彼女は華麗なスライディングで床を滑り込み、そのまま軽やかに立ち上がると、子供の無邪気さと大人の自信を宿した声で叫んだ。


「ただいま!」
「また窓から入ってきて……おかえり、テト。」


ウタは驚くどころか慣れた様子で破片を軽く払い、長椅子に腰を下ろした。テトもニコニコと笑顔を浮かべながら彼女の隣にぴたりと座り、そのまま甘えるように寄りかかる。


「ライブ疲れたよ〜」
「お疲れ様、どうだった?」


ウタは左腕を上げてテトが心地よく身を預けられるようにすると、彼女の頭はすんなりと膝の上に収まった。


「バッチリ!」


テトの自信満々な答えに、ウタは自然と微笑みながら頭を優しく撫でた。テトは目を閉じて満足げな表情を浮かべる。だが、その安らかな空気を破るように、ウタの耳に通信が入る。


『ウタさん、モモです。沿岸警備隊からまた苦情が来ています。いつもの対応でよろしいですか?』

『うん、お願い。』


通信を切り、ウタは再び整備に戻ろうと手を伸ばすが、外から聞こえるざわめきに気が付いて手を止めた。眉をひそめながらテトを軽く揺り起こす。


「テト、起きて。何か騒がしい。」
「んー?」


眠たそうな顔をしながらも、テトは窓の方を向く。ウタが窓から少し顔を出し覗くと、黒塗りの車列が事務所の前にずらりと並んでいるのが見えた。黒いスーツ姿の男たちが次々と車から降り、周囲に目を光らせている。

テトが気だるげに尋ねる。


「どうしたの?」
「お客さんかな?」


ウタはぼんやりと答えながら、さらに様子をうかがった。

すると、車列の中心に止まった一台の高級車のドアが開き、中から一人の女性が姿を現した。ストロベリーブロンドのロングヘアが陽光に輝き、赤と白を基調としたショート丈のドレスが上品さと気品を際立たせている。

その姿を確認したウタは、呆れたようにポツリと呟いた。


「あ、王女殿下だ。」


その言葉に、長椅子に座るテトが目を丸くする。


「え、え!? 」


その言葉が響いた瞬間、事務所全体が新たな緊張に包まれた。





事務所の正面玄関、自動ドアが静かな音を立てて開くと、数人の黒服の男たちが緊張感を漂わせながら入ってきた。その後を悠然と歩くのは王女レア。彼女の動きには優雅さがあり、どこか非現実的な空気すら漂わせている。

玄関正面では、桃色の髪を持つエプロン姿の女性が、深々と頭を下げて待っていた。その胸元には桃をモチーフにしたバッジが光っている。

レア王女は一瞬、申し訳なさそうに視線を下げると、柔らかな声で口を開いた。


「アポも取らず、突然お邪魔して申し訳ありません。」


その言葉に応じるように、女性はすっと顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべる。


「お気になさらず。歓迎いたします、王女殿下。」


王女はその対応に安堵した様子で、小さくうなずいた。


「所長さんはいらっしゃるかしら?」
「はい、そのまま少々お待ちくださいませ。」


モモは慣れた手つきで耳につけた端末に触れ、目を閉じて内部連絡を取る。


『ウタさん、レア王女殿下が面会を希望されています。』

『えっと……応接室はちょっと荒れてるから、作戦室に案内して。』


短いやり取りを終え、モモは再び目を開けると、軽く一礼しながら王女に向き直る。


「お待たせしました。こちらへどうぞ。ご案内いたします。」


優雅な所作で王女を案内し始めるモモ。その後ろを、黒服たちが警戒を崩さずについていく。事務所内には、ふたりの歩調が織りなす不思議な緊張感が漂っていた。








作戦室は静寂に包まれていた。窓はなく、簡素ながら実用性を重視した大きなテーブルと三つの長椅子が配置されている。壁には巨大なモニターとU.K.国の詳細な地図がかかり、どこか戦略会議を思わせる雰囲気が漂っていた。

その中で、ウタとテトの二人は長椅子に腰掛け、王女殿下の到着を待っていた。テトはそわそわと落ち着かない様子で、視線をあちこちに動かしている。


「そんなに緊張するなら隠れてる?」


ウタがからかうように声をかけ、部屋の隅に置かれたダンボールを指さした。ちょうど人一人が入れるくらいの大きさだ。


「そこにいい隠れ家があるよ。」


テトは大袈裟に笑いながら首を横に振る。


「そんな蛇じゃないんだから。」

そのやり取りが終わる頃、ドアがノックされる。ウタがゆったりと声を返した。


「どうぞ。」


ドアが開き、モモを先頭に王女殿下と小柄な黒服の女性が入ってきた。ウタはすっと立ち上がり、それを見てテトも慌てて立ち上がる。

王女は軽く頭を下げ、丁寧に口を開く。


「突然の訪問、お許しください。」


ウタは肩の力を抜いた様子で答える。


「構いませんよ、殿下。お久しぶりです。どうぞお座りください。」

「ありがとう。ご無沙汰してます。」


王女が中央の椅子に腰を下ろすと、ウタとテトもそれに続いて座った。


「マリエル、貴方も座りなさい。」


王女が後ろに控えている黒服の女性に目を向けるが、彼女は首を振り、即座に断る。


「いえ、殿下。私はこのままで。」


黒いベレー帽を被ったその女性、マリエルの言葉には微塵も譲歩の余地がなかった。

ウタは王女に向き直り、軽く首をかしげながら問いかけた。


「それで、今日は何のご用でしょうか?来月は戴冠式でお忙しいのでは?」



王女は静かにうなずきつつ、話を切り出す。


「はい。戴冠式も少し関係してきますが、今日は取引のために参りました。」


ウタは興味深そうに目を細めた。


「取引、ですか。」


王女は微笑を浮かべながら、少し意味深な口調で続ける。


「<アルテ・ベスティア>は大きな組織になりましたね。武装は合法範囲の物だけ、と私は信じております。」


その言葉に、ウタは薄く笑いを浮かべながら肩をすくめた。


「非合法の武器があったとしても、目を瞑るから協力しろ、と?」


王女はその問いには答えず、軽く肩をすくめただけだった。そして本題に入るように視線を鋭くした。


「貴方に、とある人物を調査していただきたいのです。」


ウタは表情を緩めながらも、真剣な眼差しで返す。


「お聞きしましょう。」



王女殿下の言葉は重みを帯びていた。彼女の話によると、戴冠式に伴い反王室派の動きが活発化しているという情報があるらしい。その調査対象の中には、当然ウタの事務所も含まれていたが、事務所は徹底した調査の末に「白」と確定された。これを受け、王女は協力を要請してきたのだ。

調査の対象は、軍警察の中でも特に実力者として名高いレイ特認警部。もし彼が反王室派の影響下にないと判明すれば、王室側に引き抜きたいという意向があり、そのための調査依頼だった。

ウタは真剣に耳を傾けた後、静かに頷いた。


「話はわかりました。お受けいたします。」


王女は微笑を浮かべて感謝を述べる。


「ありがとうございます。お代は後ほどで宜しいのですね?」


ウタは淡々と頷きながら言葉を添えた。


「警備の手が足りなければ、それも我々にお任せください。」


その提案に、一瞬驚いたような目を見開く王女殿下。だが、すぐに柔らかな笑みに戻り、冗談めかした口調で返した。


「そうですね。いっその事、あなた達を私設軍隊として雇おうかしら。」


その言葉に、ウタはさりげなく立ち上がり、胸に手を添えて優雅に頭を下げる。


「喜んで殿下の矛となり、盾となりましょう。」


ウタの演技じみた態度が、どこか本気にも見えたのだろう。王女は上機嫌な様子で笑みを浮かべる。


「ええ、考えておくわ。詳細は後でモモさんに送るわね。」

「了解しました。」


王女が立ち上がろうとすると、ウタは素早く左手を差し出して彼女を支えた。ドアを控えていたマリエルが開けると、廊下には王女の護衛らしき黒服たちがずらりと並んでいた。それを見たウタが軽い冗談を口にする。


「エスコートは必要なさそうですね。」
「ええ。でも戴冠式ではお願いするわね。」


ドアをくぐろうとした王女だったが、一度立ち止まり、振り返る。そして、目を細めながらテトに向けて軽く言い放った。


「でもその時は、手綱をつけてくださいね。」


その一言で何を指しているのか悟ったウタは、肩をすくめて応じる。


「ええ、ちゃんと躾けておきます。」


王女が部屋を出ていくと、静かになった作戦室でテトがぽつりと呟いた。


「ボクのこと?」


ウタはふふっと笑いながら、軽く肩を叩く。


「GPSをつけて、飛ぶ前に一言相談してくれればいいよ。」


それを聞いたテトは、どこか不満げに天井を見上げて小さく呟いた。


「空は自由なのに……。」


そのつぶやきは、静かな作戦室の空気にすっと溶け込んだ──

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