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第六十二話 崩れ落ちる心の底へ

「それで、何があったの」

 下層へと向かう階段を降りながらヒューノバーにそう尋ねられた。

「兄弟に強姦されている。そうして兄弟は獣人で、人間への差別心が強いらしいね。再婚してからも色々衝突があったようだけれど、男と女じゃあやっぱり力では勝てない。今回の潜航理由の前から獣人には忌避感みたいなものがあったらしいね」
「兄弟にか……マリアム、カリアム、その情報はあったのか?」
『一応。捜索隊に見つかってから精神科に入院していましたので、そこで理由は話したそうです。ただ……兄弟からとは情報にはありません。ただ、獣人にと』

 今回の潜航理由は獣人からの強姦によるものだが、兄弟から受けていたとなると、犯人と兄弟で繋がりが生まれてくる可能性が上がってきた。ヒューノバーもそう思ったようで第三階層に着くまでに憶測を話す。

「兄弟が今回の強姦被害の手引きをした可能性はどれほどあるだろう」
「可能性は全くないわけではないけれど、今はまだ憶測でしかないよ」

 第三階層にたどり着く。どこかの民家の中のようだ。さてどこから探すか。と考えていると大きな何かが割れるような物音がした。

「ライルやめなさい!」
「なんでなんでなんで! なんでこんなことばかり私の押し付けるの! なんで父さんはあいつらを罰してくれないの!」

 がしゃんがしゃん、と皿か何かが割れるような音が響き渡る。ヒューノバーと共にリビングらしき場所に向かって覗き見をする。皿を投げるライルとそれを止めようとする父親、猫の獣人らしきヒトがソファで身をかがめて泣いているようだった。

「父さんは! 私よりも獣人が大切なんだ!? 人間なんか嫌いなんでしょ!? 私があいつらに好き勝手されてもいいんだ!? ふざけないでよ!」
「に、兄さんたちは受験で大変なんだ。わかってくれ」
「受験で大変なら私のこと差し出していいんだ!? 自分の娘が強姦されても平気なんだ!? ふざけないでよ! こんな家出て行くから!」
「ライル!」

 ライルがこちらに向かって来たのを見て咄嗟に物陰に隠れる。二階へ向かうライルを見送り、こそ、とヒューノバーと話をする。

「さっきの樹海でも思ったけれど、兄弟間の仲は良かったんじゃなかったの?」
「……ライル本人の言葉ではなかったのかもしれないね」

 ライルの部屋へと向かってみるか。とリビングに背を向けると同時に、冷えた声が聞こえた。

「兄さんたち二人が受験に失敗しないなら、あの子がどうなろうとどうでもいいわ」

 女性の声だ。恐らくあの猫の獣人の。振り返ってリビングを覗き見すれば、足を組んで笑みを浮かべていた。

「人間なんて獣人の踏み台になるくらいの価値しかないでしょう? この国にとってはね」

 おおよそ母親が吐くような言葉ではない。ここはライルの心理世界だ。ライルの意識が勝手に言わせているに過ぎないのは理解していたが、もしかすればいつかの日に直接言われた言葉なのかもしれない。

「あなた……あなたが獣人を愛してくれて良かった。人間なんて、羽虫と同じようなものでしょう? あなたは綺麗な蝶々。ただ私に可愛がわれていればそれでいいの」

 ライルの父は無言だ。ただ、悔しそうに顔を歪めていた。

「ねえ、あなた。私を愛している?」
「……ああ」
「ふふ、良かった」

 血の気が引くような睦言だ。
 ヒューノバーの服の裾を引いてリビングから離れた。

「……ちょっと気分が悪いね」
「ごめん……」
「ヒューノバーが言った言葉じゃあないけれど、こういう考え方をするヒトが居るって分かって良かったよ。私、総督府で甘やかされているんだと実感できたから」
「……ごめん」

 ヒューノバーが謝罪を口にする。外ではこう言った考え方は珍しいものではないとヒューノバーの反応で理解する。私が今までこの惑星で出会って来たヒトビトは好意的なヒトが多かったのだろう。私は結構平和ボケをしていたのだなと考え至る。

『ここで得られる情報はこんなものですかね。次の階層への入り口を探してください』
「ライルの元へは行かなくてもいいの」
『あんまり本人に知覚されると心を閉じられますからね。専門機関のカウンセラーはここまでが限度だったようなので、次に行きましょう』

 次の階層の入り口を探し、風呂場が入り口になっていた。階段を降り出すとカリアムが話出す。

『俺たちは人間街で育ったんで、外に出てもいいって言われる歳まで甘やかされてたんで、正直ミツミさんの気持ちはわかりますよ。外の獣人は、人間なんて足蹴にしても構わないってやつ、結構いましたからね。それに俺らは障害もありましたから、尚更』
「そっか、障害か……地球でも障害者差別はあったけれど、人間差別も一緒じゃあ、結構辛そうだね」
『多分障害者差別はミツミさんが居た地球からすれば軽いものなんですよ。俺たちは外部補助のデバイスがあって、普通のヒトビトと同じ思考ができますから……でも、馬鹿にされるのすら分からないくらい重度だったら良かったのに、って思うこともありましたよ』

 中途半端な自分たちが嫌になった時があったとカリアムは語った。獣人と人間の双子だ。物珍しさに関わってくる輩も多かったとか。マリアムは獣人として受け入れられても、人間のカリアムは除外される。ということもあったらしい。

 難しいものなのだな。と心の隅で思う。

『あ、次の階層見えて来ましたね』

 マリアムの言葉に遠目だが光が差している場所を確認できた。階段を降り切ってそこに入ると、病院のようだった。消毒液の香りが鼻をついた。

「ここは」
『最近まで入院していた病院だと思われます。病室は405号です。行ってみてください』

 マリアムの誘導され病室へと向かう。ひとり部屋らしく病室前のネームプレートにはライルの名前が掲げてあった。ノックして扉を開けると、窓に足をかけて今にでも飛び降りそうなライルの後ろ姿があった。

「うわあああ!!!」

 咄嗟に反応しライルの元に駆け胴に腕を回して止める。

「! 離して! 離してよ!」
「ちょ! うわ! ぼえ!」

 体勢を崩して後ろに倒れ込み、床にぶつかると思ったらヒューノバーが受け止めてくれた。礼を言う間もなくライルが無事かどうか確認する。ライルは病院着に頭には包帯や頬に絆創膏が貼ってあったり、目元が青かったりで暴行を受けた直後なのだと分かった。

「大丈夫ですかライルさん!」
「なに! 誰よあなたたち!」

 ライルを離すとすぐさまこちらを振り向き睨みつけてきた。そうしてヒューノバーを見ると顔から血の気が引いていった。

「う……あ……」
「え、あ! ヒューノバー! これ被っとけ!」
「え、何、ぶっ」

 果物が入っている紙袋の中身を乱雑に出して空になった紙袋をヒューノバーの頭に被せて虎の顔を隠す。強姦被害に遭ってからのライルなのだろう。獣人に恐怖を感じていると見て咄嗟にヒューノバーを隠したのだ。

「……だ、誰」
「私たちは、心理潜航捜査官です」
「……スフィアダイバーがどうしてここにいるの」

 ここは現実でしょう。とライルが呟く。ここが心の中だと言う自覚はないらしい。

「嫌よ私。心の中を覗かれるなんて!」
「ですが、犯人を捕まえるためには必要なことなんです。あなたを傷つけた奴らを罰するためには」
「嫌、嫌嫌嫌! だって今まで誰も罰してくれなかった! 父さんも母さんも! 兄たちのこと、見て見ぬ振りをして来た! 誰も助けてなんてくれなかったじゃない! 今更何よ!」
「ライルさん……」
「ライルさん、俺たちはあなたを助けたいんです」
「獣人の癖に? 私を助ける? 馬鹿言わないで、獣人なんて、ただのケダモノじゃない!」

 転がっていた林檎を拾い上げるとライルはヒューノバーに向かって林檎を投げる。次から次へと果物もヒューノバーに投げ、ヒューノバーは立ったまま何もしなかった。

「獣人、なんか、獣人なんか生まれなきゃ良かったのよ! 人間の真似事しているだけの! ケダモノ! 早く出ていって!」
「ライルさん落ち着いて」
「出てってよ!!!」

 びき、とひび割れる音がする。がたがたと部屋が揺れ、びきびき、と壁や地面が割れて崩れてゆく。足場が無くなってゆく。ライルは無くなった足場から暗い闇の中に飛び込んで行った。

「ライルさん!」
「俺たちも行こう!」

 ヒューノバーが私に腕を回し、床の無くなった部分から飛び降りた。浮遊感に悲鳴を上げながらヒューノバーにしがみつき、数分落ち続けた先は、真っ暗な空間が広がっていた。

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