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ホラーが苦手

 ジークウッドの街を出発してから六日が経過したが、ランデルはまだ戻って来ていない。 馬車の中には俺とアルの二人きりだ。

「勇者様、怖い話はお好きですかっ?」

「いや、あんみゃりちょきゅいじゃにゃいにゃあ」
※いや、あんまり得意じゃないなあ

「じゃあ、怖がらせちゃおうかなっ!」

 何気なく会話をしていると、どうやらアルが怖い話をしてくれるようだ。
 俺は、ホラー系の映画を見たり怪談話を聞くと、夜にトイレに行けなくなるほどの怖がりなのだ。
 聞きたくないのが本音ではあるが、この世界の怖い話というのに興味が出てしまったのも事実。
 日本とは恐怖の感覚が違う可能性があるので、俺でも大丈夫かもしれないと思ってしまった。

「これは、『おじいちゃんのお守り』というお話ですっ……」

 ダリング王国のある村に、テレスという青年が住んでいた。
 彼は一人っ子で、両親と父方の祖父の四人で暮らしていた。

 彼の両親は、農家として野菜を育てて生計を立てていた。
 元は騎士であった祖父が引退してから開拓した農地を、テレスの両親が引き継ぐ形で管理していた。

 肥えた土壌がもたらす美味しくて栄養豊富な野菜は高く売れた。
 裕福とまではいかないが、テレスは何不自由ない生活を送っていた。
 両親にたくさんの愛情を注がれて育てられたので、テレスは優しく思いやりのある青年になった。
 しかし、テレスには誰にも言えない秘密があった。

 ある晩、テレスは父親に呼び出された。
 
「テレス、本当に農家を継ぎたいのか? お前が隠れて森の中で剣を振っているのを知っているぞ。自分の人生なんだから、好きなようにやっていいんだからな?」

 テレスは、一人っ子の自分が家業を継がなければならないと考えていた。
 騎士になりたいという夢を、胸の中に秘めたままでいいと思っていた。
 しかし、父親の一言で押さえ込んでいた感情が溢れてしまった。

「父さん、すまない。子供の頃から騎士になりたかったんだ。自分の力を試してみてもいいかな?」

 テレスの父親は、何も言わずに大きく頷くと、テレスの頭を優しく撫でた。

 騎士になるためには、王都の騎士団が毎年行う適正試験に合格しなければならない。
 実は、その時期が迫っていたのだ。
 明日の朝、馬で向かえばなんとか試験前日に王都に着ける。
 それほど切羽詰った状況ではあったが。

 翌朝、テレスが王都へ出発しようとすると、彼の祖父が声をかけてきた。
 何か大事な用事があるようだった。
 急いではいたが、いつも自分を一番に考えてくれる祖父のお願いだからと断れなかった。

「おじいちゃんどうしたの?」

「テレス、お前に渡したい物があるんじゃよ」

 手を引かれついて行くと、普段は鍵がかかっている祖父しか出入りしない部屋だった。
 初めて入るその部屋には、小さな神殿のようなものがあった。
 祖父は、その神殿の前で両膝をついて座ると、両手を組んで祈り始めた。

「神よ、どうか御力をお貸し下さい。テレスの夢を叶えてあげて下さい」

 そう言って、神殿の中央に立つ小さな像に巻かれていた銀のネックレスを手に取り、テレスの首にかけた。
 祖父の瞳と同色の淡い紫色の宝石がついた、古いデザインの首飾りだった。
 祖父の瞳が、何か大切な物を見るような優しげな印象に変わったことにテレスは気がついた。

「これは、ワシが将来を誓い合った女性に渡したネックレスじゃ。以前話したことがあったな? アレインが、ワシを庇って死んだ……」

 祖父がまだ騎士だった頃、隣国との戦争が始まった。
 同じ部隊に所属していたアレインという女性に、婚約の証である自分の瞳と同色の宝石(・・・・・・・・・・)がついた首飾りをプレゼントしたすぐ後のことだった。

 歩兵として最前線の部隊に配属された二人は、息の合った動きで互いを庇いあい、敵を蹴散らしながら攻勢を保っていた。
 戦況は優勢であったと思われたが、森に潜んでいた敵の騎馬隊が祖父の所属する部隊の横っ腹に噛み付くように襲い掛かった。
 ほぼ蹂躙(じゅうりん)に近い形で一方的に攻め込まれ、戦場は阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄と化した。
 撤退を余儀なくされてしまった祖父は、アレインの手を引き一心不乱に逃げた。

「危ない!」

 アレインの叫び声とともに、背中に強い衝撃を受けて弾き飛ばされた祖父は、走っていた勢いそのままに足がもつれて地面を転がってしまった。
 急いで顔を上げると、奇襲を仕掛けて来た敵の騎馬隊によって無抵抗に宙を舞ったアレインの姿があった。
 地面に叩きつけられたアレインは、後続の騎馬によって無残に踏み潰され、そのまま帰らぬ人となってしまった。
 騎馬隊が去った後、ついさっきまでアレインだった物が残った。
 美しかった顔の半分が踏み潰され、下半身と右腕が吹き飛び、左腕だけがかろうじて綺麗な状態だった。

「一番大事な人を守れなかった……」

 激しい後悔が押し寄せて来るが、アレインから貰った命を失うわけにいかなかった。
 アレインの首から渡したばかりのネックレスを外して手に取ると、涙が溢れてきた。
 情けなく、やりきれない気持ちに押しつぶされそうになりながら、逃げ帰った。  

 その後、祖父は騎士を辞め、家の中に小さな神殿を作った。
 形見のネックレスを(まつ)るようにして保管していた。

 何かを思い出すように上を向き、悲しげな表情を浮かべる祖父に、テレスはなんと声をかけたらいいか分からなかった。

「そのネックレスは、ワシを守ってくれたお守りじゃ。きっとテレスのことも守ってくれるじゃろうよ。ほれ、時間じゃ。そろそろ行かんとな!」

 力一杯抱きしめられたテレスは、祖父からの痛いほどの愛情を感じ取った。
 
「おじいちゃんありがとう! 絶対に合格してみせるよ。それじゃあ、行ってくるね!」

 小休止をはさみながら、二日間寝ずに馬を走らせると、空が夕日で茜色に染まる頃にようやくテレスは王都に到着した。
 翌日に控える試験の予約をして、安い宿に泊まることにした。
 小さな鏡とベッドだけの狭くて小さな部屋であったが、一刻も早く休みたいテレスには十分だった。
 手ぬぐいで汗を拭き、ベッドに横になると、吸い込まれるように眠ってしまった。

「ちょっとあなた、どういうつもりなの!」

 外の騒がしい気配で目が覚めてしまった。
 どうやら部屋の外で女性と男性が言い合いをしているらしい。
 少し離れているようだが、大声で口喧嘩をしているせいで丸聞こえだ。

「お前こそうるさかったじゃないか!」

「私が何をしたって? 何かを引き()っていたのはあなたの方じゃないの!」

 何事かと別の部屋からも様子を伺いに来る人が出始め、異変に気付いた宿の管理人が男女の仲裁に入ったようだ。
 しばらく白熱していたが、双方和解する形で落ち着いたようだ。

 迷惑な人達だと思いながらも、溜まっていた疲れには勝てず、テレスは再び眠りについた。

 ドン ドン ドン 

 テレスの部屋のドアを強くノックする音がする。
 驚いて飛び起きドアを開けると、そこには体格のいい青年が立っていた。

「お前、何やってんの? うるさくて眠れねえよ!」

 急に怒鳴られたが、テレスには心当たりが無い。
 ただ寝ていただけなのだが、疲れからイビキでもかいてしまっていたのだろうか。

「すみません、そんなつもりは無かったのですが。私は疲れて寝ていただけですよ?」

「はぁ? そんな訳ないだろうが! おい、ちょっと失礼するぞ?」

 青年は部屋に押し入ると、首を(かし)げた。
 こんなはずはないと、一生懸命に床を確認し始めた。
 何をしているのか分からないが、気の済むまで調べさせてあげた。

「反対側の部屋の可能性はありませんか? 本当に寝ていただけなので、私の部屋ではないと思いますよ?」

「そうかもな。勘違いしたのかもしれない。邪魔して申し訳なかった!」

 もしかすると、この青年も明日試験を受けるのかもしれない。
 申し訳なさそうに部屋に戻る青年を見て、緊張でピリピリしていただけで根は良い奴なのかもしれないと思った。
 一緒に合格出来たらすぐに友達になれそうだなと少し嬉しくなった。

 再びベッドに戻ったテレスであったが、こう何度も起こされてはなかなか眠ることが出来なかった。
 布団を頭までかぶり、なるべく外の世界から遮断された空間を作って、なんとか寝ようと努力した。

 ドン ドン ドン ドン ドン

 部屋の扉が壊れるかと思うほど強くノックされ、テレスの心臓が跳ね上がった。
 ベッドから飛び出すと、怒りに任せて勢いよくドアを開いた。

「ちょっと、いい加減にしてくれませんか!」

 そこには、誰もいなかった。
 たしかにドアを叩かれたはずだった。
 身を乗り出して廊下の奥の方まで確認するが、静まりかえった通路には人の気配が無い。
 どういうことかと不思議に思ったが、考える時間が無駄だと判断し、再びベッドに戻った。
 これ以上睡眠を妨害されではかなわない。
 頭まで布団をかぶり、今度は耳まで塞いだ。
 口喧嘩に、勘違いに、いたずらまで。
 少し高い宿に泊まればよかったかと後悔した。
 
 ギッ……ガリッ……

 遠くから、何かが擦れるような音が聞こえた。

 あの二人が言っていたのはこの音かと理解したが、声を荒げて怒鳴り込むほどの事ではない。
 気にしなければ眠れるだろうとテレスは思った。

 ガリッ……ガッ……ガリッ……ギッ……

 明らかに音が大きくなった。
 まるで音が近づいてきているようだ。

 ガリッ……ガッ……ガギリッ……ズズッ……ガリッ……

 いや、近くに居る(・・)
 鍵を閉めたはずの部屋の中に、何か(・・)の気配を感じる。

「り…………り…………こ…………しょ…………」

 苦しそうな女性の声が聞こえた。

 布団から出なくては、一刻も早く逃げ出さなければと頭では分かっているのだが、恐怖からか体が動かない。
 いや、動かそうとしても動けない。

 ガリガリッ……ガリガリガリガリッ……ガリッ……

「り……げ……ど……るの…………い…………しょ…………」

 かすれたうめき声がどんどん近づいてくる。
 何を言っているのか、上手く聞き取ることが出来ない。
 全身がガクガクと震え、心臓を鷲掴みにされているような、ただただ恐ろしいという感情が溢れ出てくる。

 ガガガガッ……ギリッ……ガガッ……ガリガリガリガリッ……

「リ……りん……に…………ゲ……こに……の……しょに……しょう」

 何か(・・)がすぐそこまで来ている。
 布団を隔てたすぐ側に。
 テレスは、心の中で何度も何度も神に祈った。
 助けて下さいと必死に祈った。

「リンゲル……リンゲル……どこに居るの……一緒に帰りましょう」

 テレスは、腹部に何かがのしかかったような重さを感じた。
 反射的に目を動かすと、暗闇の中に見えるはずのない物が見えた。
 それは、顔の左半分が何かに踏み潰されたように崩れた、血塗れの女性だった。
 狂ったように見開いた右目に見つめられ、脳内が恐怖で埋め尽くされた。

 その女性は、血で真っ赤に染まった鎧を(まと)い、下半身と右腕が引き千切られたかのように失われていた。
 残された左腕で体を引き摺るように(・・・・・・・)して、少しずつ少しずつ()い上がってくる。
 あのガリガリと(こす)れるような音は、この女が床を這いずる時の音だったのだと気付いた。

「助……けて……」

 テレスは力なく呟いた。
 全身の力が抜け、なす術がない。
 血塗れの女は、手探りで何かを探すように、ゆっくりと這い上がり、テレスに覆いかぶさった。

「リンゲル……ミツ……ケタ……リンゲ……ル……見つけた……」

 その女は、テレスの首にかけられたネックレスを掴み、恐ろしい力で引き寄せようとする。
 テレスの首が、銀の鎖で締め上げられた。

「カエ……シテ……カ……エシテ……返せえええええええ!」

 テレスは、この女が誰なのかを理解した。
 薄れゆく意識の中で、自分のなすべき事が分かった気がした。

「リンゲルおじいちゃんは……まだそっちには行けないよ……」

 テレスは気力を振り絞り、なんとか言葉を発した。
 すると、女は何かに気づいたように力を緩めた。

「あなたのように、大事なものを守れる騎士になります……」

 テレスは、首からネックレスを外すと、目の前の女性の首に優しくかけた。
 限界をむかえたテレスは、意識を手放した。

「リンゲル……」

 遠のく意識の中で、祖父の名(・・・・)を呼ぶ悲しそうな声が聞こえた気がした。

 廊下から扉が閉まる音や足音が聞こえ、テレスは目を覚ました。
 カーテンを開けると、窓の外は既に明るくなっていた。
 昨夜は随分恐ろしい夢を見た。
 寝汗でびしょ濡れだし、なんだか股間のあたりも湿っている。
 最悪の朝だった。

 テレスは、ゆっくりとベッドから降りた。
 夢の中の出来事を思い出し、首元を触ってみるがネックレスがない。
 背筋が凍るような寒気を感じて鏡を見た瞬間、テレスは膝から崩れ落ちた。
 赤くミミズ腫れになった鎖の跡が首に刻まれていたのだ。
 昨晩の恐ろしい体験が夢では無かったと、嫌でも認識せざるを得ない状況だった。
 荷物を(まと)めると、急いで宿から飛び出して試験会場へ向かった。

 試験を終えたテレスは、真っ先に祖父のもとへと向かった。
 自分に起きた出来事を知って欲しかったから。

「おじいちゃんどこ?」

「おかえりテレス。試験は……その首はどうしたんじゃ?」

 テレスは、自分の身に起こった恐ろしい体験を包み隠さずに話した。

「あぁ、アレイン……すまない……すまない……」

 力なく崩れ落ち、天を見上げて涙を流す祖父を見て、テレスはそれ以上何も言えなかった。

「と、いうお話なんですけど。勇者様、どうでしたっ? あれっ……勇者……様?」

 俺は白目を剥いて気絶していた。

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