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幸せとは

「勇者殿、ご無事ですか?」

 部隊を率いて戻ってきたノイマンが、緊張した面持ちで話しかけてきた。
 プスプスと白煙を立ち昇らせる焼け焦げた大地を驚愕(きょうがく)の表情で眺めながら、部隊が俺の元に集まって来た。
 ノイマンに続くようにして、兵士達は一斉に片膝をついて屈んだ。
 彼らの畏敬(いけい)の眼差しが向いた先には、俺の左腕に絡みつくように抱きついたアルがいた。
 アルは、初めてのおつかいを達成した子供のように、先の戦闘での活躍を褒めて褒めてとせがみ、兵士達なんぞ微塵も気にしていない様子だった。
 ピンクの髪を撫でてやると、少し垂れた愛らしい目をへにゃりと閉じて幸せそうに笑った。
 あんなに恐ろしい力を持っているのに、まるで子犬のような人懐っこさだ。

コメ:おい、俺のアルから離れろ!
コメ:勇太爆発しろ!
コメ:なんて可愛い笑顔なんだ。【一万円】
コメ:勇太キモw
コメ:これが骨抜きにされるって事か。【一万円】
コメ:勇太死なねえかな……。
コメ:俺もアルちゃんに燃やされたい!

「うん、おりぇはにゃんちょみょにゃいよ。みんにゃみょぶじみちゃいぢぇよきゃっちゃにぇ」
※うん、俺は何ともないよ。皆も無事みたいで良かったね

「いやはや、勇者殿が急に地べたに座り込んだ時は何事かと思いましたが、あの無謀な作戦は全て計算されたものだったのですね。そういえば、隊商の商人の避難を手伝っていたところ、勇者殿にお礼を言いたいそうです」

 作戦も何も、実際に俺がお願いした事は実現してないんだけどね。
 伝令役が勝手に聞き間違えて、ノイマンが自分で作戦を組み立てただけで、アルが倒してくれなきゃ全滅してたから。
 俺はいつも通り何もしていない。

「おりぇいはありゅにいっちぇくりぇよ」
※お礼はアルに言ってくれよ

「はっ! 勇者殿のおっしゃるとおり、商人は間もなくお礼を言いに歩いて来る(・・・・・)と思われます!」

 もうどうでもいい、勝手にしてくれ。
 こいつらの脳ミソに俺の意思は反映されないことが分かったよ。

 兵士達の後ろから、ふくよかな体型のいかにも商人らしい見た目の男が現れた。
 その中年の男性は、この場にいる全ての人にお礼を言うように、右に左に会釈(えしゃく)をしながら感謝の言葉を述べつつ歩いてくる。
 人の良さそうな振る舞いだが、こういう人こそ上手く人を(だま)して高い壷を売りつけるのかもしれない。
 なるべく関わらないようにしようと決めた。

 俺の目の前まで来た商人は、両膝をついて深々と頭を下げた。
 土下座をされているような気がして申し訳ない気持ちになるのでやめて欲しい。

「フィードリング商会のエドと申します。この度は、危ないところを助けていただきありがとうございました。ここにおられる方々は、勇者様が率いる魔王討伐隊だとお聞きしました。何かお礼を差し上げたいのですが、お困りの事はございませんか?」

 今の状況に困っているので早く帰ってほしい。
 お礼を言われるべきはブラックジャイアントオークを倒したアルなのだから、アルの希望を尊重するべきだろう。

「いや、おりぇはにゃにみょしちぇにゃい。ありゅはにゃんきゃありゅきゃ?」
※俺は何もしてない。アルはなんかあるか?

お礼は何も必要ない(・・・・・・・・・)だなんて、伝承どおり勇者様は聖人のようなお方ですね。アル様というのはこちらの……」

「妻ですっ!」

「これは失礼致しました。大変お美しい奥方様でいらっしゃいますね。私に出来ることであれば何なりとお申し付けください」

 アルは満足げに(うなず)き、商人に耳打ちすると、二人でどこかに行ってしまった。
 いつのまにか妻となっているライトグレー色の肌の持ち主は、心なしか浮かれた様子であった。

コメ:おい待て!
コメ:勇太説明しろ!
勇太:あ、いや。アルが勝手に言っている事なので。
コメ:じゃあさっさと否定しろ!
コメ:性転換しろ!

 どうしたもんかと首を傾げていると、再びノイマンがやってきた。

「勇者殿、本日はこのままここで商人達と一緒に野営をしようと思います。食事の準備に取り掛かりますので、しばらくお待ち下さい。今日の夕飯は忘れられないものになると思いますよ!」

 意味ありげに口の端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべたノイマンは、どこか興奮した様子で部隊に指示を出し始めた。
 兵士達は、傷ついた隊商の護衛の治療をしたり、かつて人だった物の墓を作ったり、寝床の準備をしたり、食事の準備をしたりと大忙しだった。

 一人残されて何もやる事がない俺は、近くの木に寄りかかって空を眺めた。
 夜の帳が下りた空には星が輝いていた。
 いつか子供の頃、山でキャンプをした時に見たような、街中で見るのとは違う星の一つ一つが大きく輝いて見える満天の星。
 キャスターになると覚悟を決めて家を出たが、今日は何故か家族が恋しくなった。

「おきゃあしゃんはぎぇんきにしちぇりゅきゃにゃ」
※お母さんは元気にしてるかな

 ふいに口から出た言葉は、寂しさから来たものだったと気付いた。

「あれっ、勇者様? どうして悲しい顔をしているのですかっ?」

 いつのまにかアルが帰ってきていたようで、恥ずかしくなってしまった。
 咄嗟に俯いて、真っ赤になっているであろう顔を隠した。

「いや、にゃんぢぇみょにゃいよ?」
※いや、何でもないよ?

 否定してみたものの、嘘をついたのはバレてしまっているだろう。
 しかし、感情の切り替えが上手く出来ず、思うように話せない。

「勇者様、目を瞑ってくださいっ!」

 優しく微笑むアルを見て、どこかホッとしてしまった自分がいる。
 言われたとおりに目を閉じると、どこかで嗅いだ事のある懐かしい香が近づいてくる。
 ああ、これは俺の好きなシャンプーの香りだ。 
 胸一杯に空気を吸い込むと、首筋が冷たくなるのを感じた。

「もう、目を開けてもいいですよっ?」

 目を開けると、何故かアルが照れていた。
 頬を赤く染めて、上目遣いでモジモジしている。
 ふと気になって首元に手をやると、金属の鎖のような感触があった。

「きょりぇは?」
※これは?

 アルは、決意を秘めた眼差しで俺の手を握ると、何かを掴ませた。

「勇者様っ……。そのっ、あのっ、私にもつけてくれませんかっ?」

 それは、細い金のネックレスだった。
 (しずく)型にカットされた茶色の宝石が星明かりで(きら)めいている。

「じゃあ、ありゅみょみぇをちょじちぇね?」
※じゃあ、アルも目を閉じてね?

 同じようにアルの首筋に手を回し、ネックレスをつけてあげた。
 アルの長い睫毛(まつげ)が、キツく閉じた(まぶた)のせいで大きく広がっている。
 艶やかな青い唇が小さく動いており、何故か緊張しているようだ。
 改めて見ても整いすぎた顔立ちをしている。
 アルの首筋辺りから大好きな花の香りがした。

「いいよ」
※いいよ

 アルは、目を開けて首元の宝石を手に乗せると、花が咲いたように可憐な笑みを浮かべた。

「ありがとうございますっ! お揃いですねっ!」

 俺もネックレスを確認してみると、同じような形の赤い宝石がついていた。

「ひょんちょぢゃ!」
※本当だ!

 この世界に来てから、初めて誰かに気にされている。
 その事実がただただ嬉しくて、自然と俺も笑えていた。
 俺は、この子のことを誤解していたのかもしれない。
 悪魔のような一面はあるが、中身は優しい女の子なんだ。

「さっき来た成金の豚に用意させましたっ!」

 いや、言い方!

コメ:何でアルちゃんとイチャイチャしてんの?
コメ:キレそうなんだけど。
コメ:勇太のくせにアル様といい雰囲気になるなんてマジ許せんぞ。
コメ:こんなに可愛い表情が勇太ごときに向けられてるなんて……。
コメ:頼む、死んでくれ!

 俺のコメントには相変わらずアル親衛隊しか居ない。

「勇者殿、食事の準備が整いました!」

 騎士に呼ばれたので、野営地へと戻った。
 アルと並んで座っていると、巨大な肉の塊をトレイに乗せた給仕係がやってきた。

「こちらは、ブラックジャイアントオークの腰肉です。肉汁を閉じ込めた最高の状態に焼き上げました。アバラ肉と髄からとったスープを濃縮したソースでお召し上がりいただきます。今日は商人から香辛料を貰ったので、そちらも使用してみました。勇者殿は、厚めに切り分けてよろしいですか?」

「うん!」
※うん!

 聞いただけでヨダレが出てくる説明だった。
 香ばしい匂いが食欲をそそる。

「勇者殿の彼女さ……」

「妻ですっ!」

「奥様はどうされますか?」

「勇者様の妻はよく食べると皆に伝えておいて下さいねっ!」

 これで、アルが俺の嫁だと全員に伝わることだろう。
 なかなかの策士である。
 もう、それでいい気がしてきた。

「たくさんありますので、足りなければまたお申し付け下さい」

 軽く会釈をして立ち去る後ろ姿は、騎士というより一流レストランのウエイターのようだ。
 ここの兵士達は、明日からでも飲食店で働けるだろう。

 さて、大皿に乗った極厚のステーキからたまらない香りがしている。
 フレッシュなハーブや香辛料と一緒に焼き上げられ、少し鼻にツンとくる野趣のある爽やかな香りや、少し甘くすがすがしい香りや、柑橘系ではあるが不思議な鮮烈さのある香りなどが、肉のロースト臭と複雑に合わさり、なんとも鼻腔を楽しませてくれる。
 とろみのついた茶色のソースが視覚的に美味しさを盛り上げている。

 ナイフを入れると、こんなに大きな肉の塊が驚くほど柔らかい。
 ほぐれるとかではなく、すんなりと刃が入ってしまうのだ。

 一口大に切り分けて、おそるおそる口に運んでみると、俺は言葉を失った。
 自分の意思とは関係なく目を閉じてしまい、口内で繰り広げられる舌が歓喜する様をなんとか脳で感じようとしている。

コメ:すげえ美味そうだな……。
コメ:ヨダレが止まらんのだが?
コメ:おい、食レポしろ!
勇太:歯なんて要らないのではないかと思うくらいに溶けるような食感だ。しかし、肉を咀嚼しているという感覚はある。そうか、これは上質な油身がキメ細やかなサシとして見事に肉に入り込んでいるのだ。
この緻密な層が、溶けるような食感を生み出しているのだ。
コメ:うわぁ。羨ましいぞ!
コメ:食ってみてえええええ!
勇太:次に感じるのが香りだ。口を動かすたびに鼻を抜ける香辛料の複雑な香りが、まるでオーケストラの演奏のようだ。なるほど、肉が指揮者で……これがヴァイオリンといったところか。まったく、鼻で感じる音楽があるなんてな。ちょっと待て、何だこれは? 肉自体に変わった香りがあるぞ。ニンニクのようだがまるで違う。どこか森を感じさせるような……。ああ、そうだ。俺を連れて行ってくれ。どこまでも、味の彼方に連れて行っておくれ。
コメ:おい、帰ってこいwww
コメ:食レポだけはすげえなw
コメ:味の感想が止まらんぞこいつwwww
勇太:極めつけはこのソースだ。旨みが強いが、油が多いので食べ続けるのはきついはずのこの肉を

「……ま? ……さま?  もう、勇者様ってば!」

 気がつくと、俺はアルに激しく揺さぶられていた。
 俺としたことが、ついつい味覚の向こう側に旅立っちまってたらしい。

「ぢょうしちゃにょ?」
※どうしたの?

「さっきから、ずーーーーーっと話しかけてたんですよっ? これ、美味しいですねって!」

「ぎょみぇんぎょみぇん。じちゅはにぇ、うみゃしゅぎちぇきじぇちゅしちぇちゃんぢゃよにぇ」
※ごめんごめん。実はね、美味すぎて気絶してたんだよね

「もう、勇者様ったらっ!」

 困ったように頬を膨らませるアルが可愛い。
 アルの拗ねた顔を見ながら笑っていると、開いていた口に一切れの肉が放り込まれた。

 俺は再び味覚の向こう側に旅立った。 

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