第31話 誠のあずかり知らない『人事』
誰の目から見てもかなめのイライラは頂点に達しているように見えた。こういう時はタバコに手をやりがちなかなめだが、その度にカウラの鋭い視線がバックミラー越しに向ってきた。
「タバコは吸わねえよ。それより前見ろよ、前。ドライバーなら運転に集中しろ」
そう言ってかなめは苦笑いを浮かべる。渋々カウラは前を見た。道はすでに東都都内の首都高速道路に達していた。夕方も近くなっている。時間が時間だけあって比較的混雑していて目の前の大型トレーラーのブレーキランプが点滅していた。
その時、アメリアの携帯が鳴った。そのままアメリアは携帯を手に取る。誠はかなめの隣で丸くなってかなめの愚痴を聞き続けると言う非生産的な疲労を感じながらシートに身を沈めた。
かなめはバックミラーで自分を観察しているカウラの視線に気がついて黙り込んでいた。おとなしいかなめを満足そうに見ながらその視線の主のアメリアは携帯端末に耳を寄せた。
「やっぱりそうなんだ。それでタコ入道はどこに行くわけ?」
アメリアは大声で電話を続けている。それを見て話題を変えるタイミングを捕らえてかなめは運転中のカウラの耳元に顔を突き出す。その会話からアメリアが司法局の人事のことで情報を集めているらしいことは誠にも分かった。
「それにしてもアメリアの知り合いはどこにでもいるんだなあ……人事の話か?もう9月だからな……10月の異動の内示も出てるだろうし」
かなめはそう言うとわざと胸を強調するように伸びをする。思わず誠は目を逸らす。
「同盟司法局の人事部辺りか?」
確認するように運転中のカウラはタバコを吸いたそうなかなめに尋ねる。
「だろうな……ちっちゃい姐御は司法局本部に呼び出されて誰かお偉いさんと会ってる感じだったが……秋の人事。うちも結構動きがありそうだな」
かなめが爪を噛みつつ考え込む。彼女が爪を噛む時はあまり良いことを考えていない。誠はこれまでの『特殊な部隊』での経験からその事実を知っていた。
「色々と裏事情が知れてこちらとしても助かったわ。じゃあ、また何かあったらよろしくね」
そう言ってアメリアは電話を切った。誠にもアメリアの通話の相手がかなり司法局の極秘人事に詳しい人物であると言うことは容易に推測がついた。
「やっぱり、誰か動くのか?うちは関係あるのか……ってその様子だとある感じだな。確かにうちは下士官が本来士官が務めるべき『部長』を代理している奇妙な状態だ、『近藤事件』で実績を上げた今ならそれなりに使える士官が配属されても不思議なことは何も無い」
運転しながらアメリアの通話を盗み聞きしていたカウラがぼんやりと尋ねるのにアメリアは悠然と構えて話し始める。
「ああ、うち関係では管理部の方に動きがあるらしいわね。あそこがうちの一番の『癌』だもの。おかげでうちの技術部は予算が確保できずにヒーヒー言ってる。司法局の予算に関われるクラスの偉いさんが部長に就任しても何も不思議なことじゃないわよ」
アメリアは具体的な明言は避けたが、管理部部長代理の菰田邦弘曹長の事を『癌』と呼んだ。
菰田は『特殊な部隊』のほとんどの隊員から嫌われていた。比較的自由なのが売りのこの『特殊な部隊』にあって、飛び切り規則にうるさい菰田の存在はどの隊員にとっても目の上のたん瘤のような存在だった。
しかも、彼にはカウラの無いに等しい平らな胸に執着し、ひたすら彼女を
「あそこは今、正規の管理者がいねえからな……菰田の糞がデカい面してやがる。ああ、アイツの顔を思い出すと虫唾が走る。ああ、気持ち悪り」
かなめの毒舌に一同は苦笑いを浮かべた。カウラを含め、このカウラの愛車『スカイラインGTR』に乗っている四人に菰田に好意的な人間などいなかった。
「確かにいつまでも下士官の菰田君にそろばん握らしとくわけにいかなくなったんでしょ、上の方も。来年度の予算の増額見積もりを立てるのに背広組のエリートを一本釣りするみたいよ、隊長は。あと三回出動が有ったら隊の予備費が切れるって頭を抱えてたもの。まあその時は島田君がフルスクラッチした車を地球の大富豪に高く売って稼いだ『福利厚生費』の予備費を回すつもりらしいけど……あれを回されるのは面白くないわね。せっかく遊びにはいくらでもお金をかけられるのがうちの自慢なのに……本当に嫌になっちゃうわ」
アメリアは普段、その福利厚生費を利用して『運航部』の女性隊員達を率いて色々と遊びまわっているので、その財源が減ることには明らかに不服そうに見えた。
「それより相手は誰なんだ?その電話」
ハンドルを握りながらカウラが尋ねてくる。彼女にとっては福利厚生費うんぬんよりもアメリアのコネクションの方が気になる様だった。
「ああ、この電話の相手ね。……
そう言ってアメリアはいわくありげに笑いかけてきた。
暗くなるころにはカウラの『スカイラインGTR』も都内を抜け、千要県に入って隊のある豊川市に達し、車は高速道路を降りて一般国道に入った。
しばらくはそれぞれ菰田が大きな顔が出来なくなることについて話し合っていたかなめ達だが、それにも飽きると沈黙が続くようになった。
その沈黙を破ったのがかなめだった。
「さすが艦長様ってところか……まあ、管理部ならうちとはあんまり関係ねえしな。パートのおばちゃん達もこれまでみたいに好き勝手出来なくなるからそっちは少し困るかも。制服の裾が破けたりすると勤務中に縫ってもらったりしてたんだ……そこは不便になるな」
かなめはそれだけ言うと関心を失って視線を窓の外に向けた。前後に菱川重工豊川に向かうのだろう大型トレーラーに挟まれて、滑らかに『スカイラインGTR』は進んだ。
誠はカウラといつも一緒に居るため、何かというと自分に突っかかってくる菰田がその背広組のエリートに頭が上がらなくなるのが痛快で自分でも嫌になるほど嬉しくなるのを抑えきれなかった。