第5話 スローライフなどなかった
血で染め上げたような深紅の空。
闇を吸収し尽くした枯れ木のような無数の樹木。
ところどころ蠢く異形のナニか。
悲鳴とも咆哮とも分からぬ気色の悪い鳴き声が遠くから響いてくる。
「なんっじゃこの世界は……! まるで地獄じゃねぇか!!」
すえた肉と大量の灰を混ぜ合わせたような、この世のものとは思えぬ悪臭が世界に充満している。
だが、俺がすでに人間を止めているからか、不思議と苦痛には感じなかった。
ただ、人間だった頃の俺の記憶が猛烈に不快感を伝えてくる。
「お外でれたー! ますたー、なにする? いっしょにあそぶ? ねっ、あそぼ!」
「あそぼって……この景色見てよくそんな無邪気な発想が出てくるな。こんな場所に遊び場なんてねぇだろ」
「? まかいじゃこれがふつーだよ?」
「まかい……魔界!?」
【MWO】には、大きく分けて『人間界』と『魔界』の二つの領域に分断されている。
メタ的に言うなら、初心者用とガチ勢用みたいな住み分けだ。
『人間界』でのメインストーリーを全てクリアした者にだけ、さらなる強敵が待ち構える『魔界』への門戸が開かれる、という設定だったか。
「はぁ~、マジかよ。てっきり人間界の方のダンジョンかと思ってたぜ。人間界だったらしばらく付近を歩いてりゃどっかの街についたのによ。現地人と交流だって図れたかもしれない。できれば周囲の人たちとは友好的に接して仲良くなろうと思ってたのに……魔界じゃムリじゃん」
俺が魔族なのは事実なのだから、魔界がお似合いと言われれば黙るしかないんだが。
そう言えば最初に玉座の間で控えていたギルゴーズとかいうモヒカン悪魔も、"魔族の時代"がどうのこうのって言ってたな。
配下にもおどろおどろしい見た目の魔物が大量にいたし、あれだけの頭数を人間界で揃えるのは難しい。
冷静になれば伏線は至るところに散りばめられていた。
「ますたー? 泣いてるの?」
「泣いてなんかねぇよ! ちょっぴり心にショックを受けただけだい!」
そう、俺は落胆していただけだ。
癒し要素など皆無な世界に。
異形と地獄と悪魔がひしめく修羅の空間――――『魔界』の日常に。
「……だが、いつまでも項垂れてたって前に進まねぇ。気落ちして悪かったな。ソラの要望に沿えてるかは分からんが、とりあえず辺りを散策してみないか? まずはこの世界の情報を集めておきたい」
「うんっ! おさんぽだね! ソラ、おさんぽだいすきー!」
ソラは万歳して喜ぶと、子猫のような素早さで俺の手を握った。
「いこっ、ますたー!」
「ああ。ちょっとくらい癒されるものがあればいいんだがな」
まあ無理だろうなぁ……という諦めの気持ちを無視してソラと手を繋ぎながら、腐った土と灰が降り積もる大地を踏みしめるのだった。
◆ ◆ ◆
控えめに言って、魔界は地獄だった。
比喩ではない。
本当に、見るもの聞くもの全てが負のイメージしか持ち合わせていない。
漆黒の枯れ木と枯れ枝が乱雑に生い茂る獣道をソラと二人で歩きつつ、俺は半ば無の境地に達しながらそんな感想を抱いた。
そんな俺の思いに呼応するように、ギャアギャアと恐ろしげな鳴き声をあげて巨大なカラスが飛んでいく。
「ますたーとおさんぽたのしいな~!」
ソラは満面の笑みで魔界のお散歩を楽しんでいた。
今もしっかりと手を繋いでいるが、実のところこの手によって安心感を与えられてるのは俺の方かもしれない。
ソラがいなかったら、俺はとっくに引き返している。
「つっても、やっぱこんな所に癒し要素なんかあるわけないよなぁ。リラックスできるものなんて一個もないもん」
「ソラはますたーといるだけでたのしいよ!」
「ありがとな。……俺もソラがいてくれて良かったぜ」
ソラは嬉しそうにはにかんだ。
この魔界の中で唯一の癒しである。
もう二人でダンジョンに引きこもろうかな。
ソラには『ダンジョン拡張』っていう機能があったから、もう外の世界は捨てて引きこもりスローライフの道を探ってもいいかもしれない。
早くも『スローライフ計画』の変更を検討していると、不意にバサバサバサッ!! と、不気味な鳥たちが一斉に飛び立った。
「――――だれか、だれか助けてくれかぴーーっ!!」
それと同時、どこからともなく間の抜けた悲鳴が響き渡った。