始動する歯車編 4
殺気みなぎる恐ろしいヴァンパイア。
人間であった頃に俺がこの空想上の生物に抱いていた印象は、今の彼女が俺たちに与えているものそのものだった。
そう。
臨戦態勢のバレン将軍。
とてつもなく巨大な魔力と恐怖をまきちらし、それでいて心が凍りつくほどに美しい。
と以前訓練後にバレン将軍に軽く伝えたら、顔を真っ赤にして恥ずかしながら喜んでいたっけ。
でも今のバレン将軍は死神そのもの。
そう俺たちに錯覚させるほどの気配をバレン将軍は放っている。
しかし俺たちも負けてはいられない。
「よし。ディージャ? タカーシ? 今日も気を緩めずに行こう」
まずアビレオンが魔力を放出しながらそう言い、続いてディージャが言った。
「なによ、アビレオン。あなた、勝手にリーダーぶるのやめなさいって言ったわよね? 私の方が年上なんだから」
「いや、ディージャ? 確か家柄的にはアビレオンの方が上だったはず。だから……」
「うっさい、タカーシ! 子爵の分際で!」
いや、なんで俺が怒られんねん!
――って、そうじゃない!
そんな口喧嘩していないで、俺も魔力を開放しないと!
「ふん!」
バレン将軍まではおよそ20メートル。手招きするバレン将軍に近づくためにとことこと歩きながら、俺も最後に魔力の放出を行った。
「ぐっ!」
「んっ!」
ふっふっふ。
俺の膨大な魔力に気押され、周囲にいる他のチームの魔族が驚きの声をあげてやがる。
毎度のことながら、この反応がとても気持ちいい。
でもそれもバレン将軍には効かん。
「ふふふふっ」
バレン将軍は俺のことを舐め回すような視線で見つめ、口元をかすかに緩めながら微笑を吐き出していた。
ほんっとーにこの時ばかりはバレン将軍がただの変態に見えるな。
でもこれもバレン将軍なりの褒め言葉。いつもこんな感じで俺の魔力の大きさに興奮してくれているんだ。
「欲しい……やっぱり欲しいぞ。お前たち3人を“闇羽”に迎え入れたい……」
いや、ちょっと待て!
今日は本当に変態だ!
なんだよ、その邪悪な独り言はぁ!
「では……行きますよ! バレン将軍!」
アビレオンとディージャがバレン将軍の言葉にドン引きしていたので、俺は間を取り繕うために早速訓練開始の挨拶に入った。
魔力はすでに放出済み。あとは幻惑魔法を発動し、その魔力をバレン将軍の脳に送り込むだけ。
「よし。いつでもいいぞ」
バレン将軍が訓練開始の合図を放ち、俺たちは動き出す。
俺が真っ先に幻惑魔法を発動。それに遅れる形でアビレオンとディージャも幻惑魔法を発動した。
この際アビレオンは“バレン将軍が炎に焼かれる”という幻を見せ、ディージャは“バレン将軍の手足が多種多様な魔界の植物に縛られる”という幻を見せているらしい。
“らしい”っていうのは、その幻惑魔法を食らっているのが俺自身じゃないから、“らしい”としか表現できないだけだ。
あと、ディージャの件に関して“魔界”とやらがどこにあるのかもわからん。むしろここが魔界なんじゃねーの?
まぁいいや。
俺が慣れた様子で剣を構え、そのわずかな時間にもディージャがバレン将軍に接近する。
「おどおどするな! もっと積極的にかかってこい!」
「は、はい!」
バレン将軍がディージャに発破をかけ、対するディージャもびくびくしながらバレン将軍との接近戦を開始した。
それとほぼ同時にアビレオンが炎系魔法を発動し、灼熱の炎がバレン将軍めがけて襲いかかる。
しかし、バレン将軍はディージャの相手もしながらアビレオンの炎を水系魔法でかき消した。
つーかこの人、俺たちの幻惑魔法も食らってるはずなのに……それでこの対応力っておかしくねェ?
しかも俺が最後に剣を振り回しながら接近戦に乱入したら、それもそれで無難に防ぐんだ。
「タカーシ? もっと肘を絞れ。あと剣は綺麗な円運動と直線運動の2通りを使い分けろ」
激戦の最中、こんな指導まで貰っちゃうしな。
もうさ。この人もどんだけ強いねん、と。
8番訓練場の方では最近バーダー教官の強さの底が見え始めた感じだけど、バレン将軍はそこからさらに一段階強い感じだ。
おっと。バレン将軍を褒めている場合じゃないな。
えーとぉ、なになに? 肘を絞れとな?
あとなんて言われたっけ? 剣の軌道がどうとか言ってたな……それじゃ……よし!
「とう! えい! やぁ! ふん!」
俺はバレン将軍に言われたことを意識しながら剣を振り回す。
がむしゃらに。しかしながら冷静に。
たかが2年であるが、されど2年。といった感じかな。
一応俺だって剣術の腕前は上がっているんだ。
「そうだそうだ。ふふふふっ。いいぞタカーシ。お前はいつもそうやって私の言うことをいとも簡単に受け入れる……」
バレン将軍の変態性も上がっているけどな!
いや、ここはそういうのをしっかり無視し、訓練に集中しないと!
もしかするとこれもバレン将軍が仕掛けた心理戦って可能性も……ないと思うけど……!
「うぉおおぉぉおぉおぉ……ディージャ! タカーシ! 避けろ!」
その時、アビレオンが大きく叫び、俺とディージャはバレン将軍から距離を取る。
少し離れたところで特大の爆発系呪文を唱えていたアビレオンがそれを発射したんだ。
「ふう」
周囲数百メートルを巻き込むほどの大爆発が発生し、しかしながら訓練場に敷かれた結界魔法のおかげでその攻撃性は広場の外には漏れない。
ただアビレオンの掛け声がギリギリすぎたせいで、俺やディージャもその攻撃に巻き込まれそうになっていた。
それを寸前で回避したことに対して俺が安心したように短く息を吐くと、爆発の中心から嬉しそうな声が聞こえてきた。
「いいじゃないかアビレオン。今の魔法ならうちの幹部連中に致命傷を与えられそうだ」
「えぇ。バレン将軍のお達しの通りに、爆発の魔力成分の中に土系を入れてみました。これを成功させるのには苦労しましたよ」
そんな会話をしながら――いや、そうじゃなくてあんな攻撃を受けながらそんな会話を出来るバレン将軍はやっぱ別格だ。
鎧のところどころにひびが入り、挙句は綺麗な二の腕や首、そして顔にわずかな傷を負いながら、バレン将軍はにんまりと笑っていやがる。
あの大爆発でこの程度の傷……それほどにバレン将軍の防御力は高いということだろう。
俺としてはバレン将軍の綺麗な体に傷を付けたアビレオンを説教したいところだけどな。
そういう私的感情はしまっておくとして……
「しゅ……」
爆発の直後、粉塵舞う広場の中心でわずかに油断を見せたバレン将軍の背後に俺は回り、鋭い動きで剣を突き出す。
しかし、それもやっぱりバレン将軍に回避されてしまった。
「ふふっ! まったく、油断も隙もない! これだからタカーシは……!」
「くそっ! 絶対にいけたと思ったのに!」
そう叫びながらも俺はさらに追撃を行う。バレン将軍の回避した方向にディージャがいたからな。
それっぽく悔しがることでバレン将軍の意識を俺に向けるようにし、ディージャに背後から襲わせる作戦だ。
んで、それすらもバレン将軍は予期していたようで……ん? ちょっと待て。
“これだから俺は”なんなんだ?
「バレン将軍! ふっ! くっ! “これだから”……その先は?」
俺はバレン将軍に対して剣を振り回しながら、ふと気になったことを聞いてみる。
しかし返ってきた答えは俺の心を深く傷つけるものだった。
「タカーシは『信用できん』。それを言いたかったんだが?」
がびーん。
「いや、冗談だ」
なんだよ! そんな冗談いらねぇよ!
「あったま来た! 今日こそバレン将軍を倒してみせます! アビレオン! ディージャ! 行くよ!」
「ふふふっ。怒れ怒れ! 怒った顔も可愛いぞ!」
結局、ちょっとした心理戦を仕掛けられ、それに負けたような気も否めないが、ここで俺は本気でバレン将軍に襲いかかる。
もちろん自然同化魔法は発動していないけど、俺の掛け声に呼応するようにアビレオンとディージャもギアを上げた。
「ぐっ! がっ! ごっ! えいッ!」
「ふふふっ! タカーシは意外と感情の高ぶりで最大魔力放出量が増加するタイプなのだな! 面白いことを発見した!」
しかしながら、俺が必死に攻め続けても終始こんな感じでバレン将軍が俺をからかい、そんな戦いがおよそ20分間繰り広げられる。
「ふーう。さて、そろそろ限界だな? お前たちは終了だ! 次! かかってこい!」
「はぁはぁ……ありがとう、ご……ざいました……」
最後、若干機嫌のよくなったバレン将軍が訓練終了の言葉を短く告げ、これで俺たちの順番は終わり。
すぐさま次のグループがバレン将軍に襲いかかり、俺たちはその乱戦からはじき出されるように広場の端に移動する。
それぞれ息を切らしながら地べたに倒れ込み、体の疲労が収まるまでは次のグループの訓練を観戦した。
「じゃあ、いつもの店へ行きましょ」
その後しばらくして各々の呼吸が整い、それを機にディージャが口を開く。
その言葉に反応し、俺とアビレオンは立ち上がった。
これから俺たちは3番訓練場の近くにある喫茶店へと向かうことになる。
このチームは訓練の後にこうやって一杯楽しむのが通例なんだ。
しか、ただ茶を楽しむというわけではなく、もちろんそこには“対バレン戦”のための作戦会議と反省会が含まれていた。
「おっじゃましまーす!」
3番訓練場から徒歩5分。訓練場を後にした俺たちは、行きつけの居酒屋に入るようなノリで小奇麗な店へと入る。
この喫茶店はキツネの獣人が夫婦で営んでいるお店で、店名は『エキノコックスの恵み』という。
たまに夫婦の子供たちが俺たちの席に近寄ってきて俺やディージャに甘えたり、間違ってアルメさんに食べられそうになったりと、いわゆる家庭的な雰囲気漂うタイプの喫茶店だ。
「はいはい。いらっしゃいませ」
「どうぞどうぞ、いつもの席へ」
夫婦もフレンドリーな反応で俺たちを迎えてくれる。
その言葉に従うように、そしてさも当然のように俺たちは店の奥へと進む。
席に座りそれぞれが注文を頼むと、俺たちは顔を近づけて作戦会議を始めた。
「それにしても……今日のバレン将軍、少し怖かったわね……」
「あぁ、いつもにも増してタカーシを見る目が……その……変態じみていた。タカーシ? 大丈夫だったか?」
「うん。バレン将軍はいつもあんな感じだから大丈夫。それより2人は? 最近のバレン将軍、2人にも触手を伸ばしてない?」
「えぇ。うちのお父さんにバレン将軍が接近してるって話が……」
「うちもだ。父上がえらく喜んでいたが……その話の内容が……“闇羽”に関することだとか……」
あっ、いや。まずはそれぞれの近況についてだな。
バレン将軍の扱いがひでぇことになっているけど、それはご愛嬌ということで、とりあえずは世間話チックな話題からだ。
しかしその会話によると、どうやらアビレオンとディージャもバレン将軍から目を付けられているようだ。
まぁ、それだけこの2人が才能に富んでいると評価されているのだろう。
その点は俺にとっても嬉しいことだし、俺もこの2人に負けてはいられないという意味で、向上心の維持にも役立つ。
とはいえその評価の行きつく先が“闇羽”ともなると、事情がちょっと違う。
「一昨日、私の友人が宮殿で立ち聞きしちゃったらしいの。最近闇羽の動きが激しくなっているって」
「それは俺も聞いた。でも、それにはどうやら裏事情があるらしい」
「裏事情? それはどういう……?」
「タカーシ。よく考えてみろ。バレン将軍は国王様に忠誠を誓った身。バレン将軍は実際に王子殿下の戦闘訓練まで任せられているし、王家とバレン将軍の関係にやましい歪みなどない。
そんなバレン将軍が率いる闇羽が活動を活発にしているとなれば、闇羽に敵対する勢力とは王家に対する勢力ということだ」
「そうね。私も聞いた。どうやら出どこ不明のヴァンパイア勢力が組織され、動き始めているって」
「じゃあバレン将軍はその勢力を倒すために暗躍してるってこと?」
「察しの通りだ、タカーシ」
もう完全に裏社会の話題じゃん。
自分でこの会話に混ざっといてなんだけど、ちょっと怖いって。
じゃあ何か? このエールディの街中を行き来する数百、数千のヴァンパイアは実のところ、その何割かが2つの勢力に与していて、夜な夜な殺り合っているってことか?
うーん。怖すぎる。
しかもその一方のトップが我がヨール家とかかわりの深い――つーか親父の直属の上司であるバレン将軍となると……俺や親父がいずれ面倒なことに巻き込まれる可能性もある。
というかそういう可能性がぷんぷん匂ってきやがる。
それにさ。そもそも出どこ不明の勢力ってさ。
2人はそういう表現してるんだけど、俺心当たりあるんだが。
いや、一応聞いてみよう。
「んじゃあさ。相手の勢力ってのは一体だれの勢力なの?」
「それはまだわからん。国内の有力者か……はたまた東の国あたりのヴァンパイアがこの国に紛れ込んでいるとも聞く。
どちらにせよ、国王様の“跳び馬”に対する暗殺行為や国内での諜報活動が活発化しているらしくて、国王様から直々に同じヴァンパイアであるバレン将軍に調査係の白羽の矢が立ったということだ」
バレン将軍も大変だな。
それにしても詳細不明であるヴァンパイアの勢力って……もうその勢力がヴァンパイアという種族であるというだけで俺の中では決定事項だ。
ビルバオ大臣。
2年前の戦争の時、親父とバレン将軍の会話に上がっていたヴァンパイアで、バレン将軍が西の国との戦いの時に、どこかへ行ったのと関連があると俺はみている。
じゃあ、暗躍している勢力の頭であるビルバオ大臣を直接やっつけちゃえば?
と思うのも当然だけど、どうやらそう簡単にはいかないらしい。
バレン将軍がそのように動いていないという事実がそれを物語っている。
大方、肝心なところで証拠やらなんやらが掴めないでいるのだろう。
実のところ王子には常に跳び馬と闇羽の護衛がついていて、それは王子が農作業という名の雑草むしりをしている時もなんだ。
ヨール家の畑を大きく囲むように総勢20体の手練れ。
俺の魔力感知能力の邪魔になるから本当にどっか消えてもらいたいんだけど、王子の身が最優先だからそんなことも言ってられん。
と俺はそこまでの事情をうっすらと予想出来ているけど、この2人をそんな厄介事に巻き込むのは気が引けるので、ここでの会話はなにも知らない振りをしているんだ。
さて、じゃあそろそろきな臭い話題は止めにして、ここに来た本来の目的に戻ろう。
「ふーん。バレン将軍も大変だね。ところでさ。次の訓練、バレン将軍にはどう立ち向かおうか?」
しかし、俺が腕を組みながら話題をそらしてみたら、ディージャからとんでもない答えが返ってきた。
「あら? 私たちの訓練はしばらく中止よ。聞いてなかった?」
「え? なんで?」
「明後日からの東方駐在任務、東の国との国境の防衛戦の増援にあなたたちフォルカー軍も選ばれたって。
まぁ、すでに向こうにはこの国最強のドラゴン軍団、ソシエダ将軍率いる軍とケンタウロスのアレナス将軍の軍がいるから、設立したばっかりのフォルカー軍はおまけみたいな役割でしょうけど。
でもあなた、フォルカー軍の所属だから行くんでしょ?」
まじさぁ。聞いてないんだけど……。