萌葱の意気地編 3
「今日はこの戦いを一時休戦させるだけだからね! 本番は明日以降だから、今は魔力の無駄使いを極力控えて!」
砂漠の砂を巻き上げながら、俺は背後に続くドルトム君たちに向かって叫ぶ。
すでに前線で戦っている味方第1陣の魔族たちを左右に避けさせつつ移動する俺の部隊は、王子にフォルカーさん、アルメさん、そしてバーダー教官とフライブ君たち。
運のいいことに王子の父親であるウェファ4世の軍旗がバレン将軍の本陣車両の1階の衣装棚に入っていたので、ここぞとばかりにそれをかざしてみたら、その旗を見た下級魔族たちが問答無用で左右に分かれてくれるので、進軍は容易だ。
でもさぁ、一言言わせてもらいたいんだけど、国王ともあろう身分の旗印が“金色の布にニンジンの紋章”ってどういうことだ……?
もっとこう、なんか他にかっこいいデザインとかあったんじゃねーの?
でもこのどでかい旗の旗持ち係を任命されたガルト君が感極まって走りながら泣いているし。
まぁ、実際に今この旗を使っているのは息子である王子の方なんだけど、この旗が持つ権威は決して低くないのだろう。
――デザインだっせぇけどな。
いや、ここはそんなこと考えている場合じゃない。
バレン将軍から意味ありげに託されたこの仕事。あの方に迷惑をかけるわけにはいかないし、今後のことも考えるとこの件は無事にこなしておきたい。
気合い入れていこう。
「第1陣! 全軍撤退です! 全軍、てったーい!」
国王直下の軍を示す――といっても今は息子の王子だけど、その旗の下で俺が左右の兵たちに向かって大きく叫び、フライブ君たちも同様の言葉を吐き続ける。
もちろんアルメさんやフォルカーさんも味方の撤退を促してくれているし、バーダー教官に限ってはものすっげぇでかい声で指示を出してくれていた。
低くてよく通るバーダー教官の声はこういう時にとても有効だ。
さっき俺たちに少し遅れる形でラハト将軍たちがバレン軍の本陣に到着したんだけど、ラハト将軍からバーダー教官を借りておいて本当に正解だったな。
しかしながら前線で戦っていた下級魔族の兵士たちにとっては、それでもおいそれと従うことができない命令であることも確かだ。
国王軍の旗印を確認したはいいものの、その旗の下にいるのはユニコーンの仔馬が1匹。南の国に名を轟かせる国王直近の臣下たちの姿も見えないし、それどころかユニコーンの周りを固めるのは俺たちのような子供の魔族たちだ。
下級魔族たちは(いったいどこのガキどもがいたずらであの旗を持ち出した?)って顔でこっちを見ている。
でもすでに名が通っているアルメさんやバーダー教官の姿があるし、前哨戦で一躍時の人となった――じゃなかった。時の魔族となったフォルカーさんもいるから、子供の悪ふざけではないことにも気づいてくれて……だからといってすぐに撤退の準備に入ることなどできない。
そもそもこの戦いは下級魔族たちにとって個人の、そして種族の名を上げるための大切な戦いであり、たとえ相手が王族であってもそれを邪魔されてはたまらない。
なので状況をにわかに飲み込むことができず、めっちゃ困っている。
こんなところかな、下級魔族たちの反応は。
でもそんな反応も俺の予想の範疇だ。
今はまず血気に盛る下級魔族たちの気持ちをクールダウンさせ、“突撃上等”の意を削ぐことが重要。
だから俺たちの乱入で彼らが困惑して進軍の足が鈍ればそれで十分だ。
前を向いて獣のような咆哮と魔力を放っていた第1陣の魔族たちの間に戸惑いの空気が広がるのを確認しつつ、俺たちはさらに前へと進む。
敵味方が交戦している最前線まであと数十メートルというところで俺たちは移動速度を落とし、俺はすぐ後ろにいたドルトム君に話しかけた。
「ドルトム君?」
「ん……? な、なに?」
「相手との交渉役は僕がやるから、その間に撤退戦の作戦考えておいてね。相手が話に乗ってこなかったらすぐに撤退戦を開始しないと」
「う、うん。わか、わかった。大丈夫だよ」
よし。ドルトム君の眼がキラーンって光った。じゃあ、そこらへんはドルトム君に任せておこう。
「で、でも……どうやってきゅ、休戦にもち、持ち込むの? もう……りょ……両軍は簡単に収ま、る状況……じゃ、な、ないよ?
せ、せめて夜を待た……待たないと」
「夜まで待ってるとそれまでにこっちの第1陣が壊滅しちゃってる可能性あるから、今すぐ止めないとね。
それで……バーダー教官とアルメさんとフォルカーさん? さっき説明したとおり、僕の指に注目しておいてくださいね」
「あぁ。わかった」
「承知しました、タカーシ様」
「分かったよ。分かったけど……タカーシ君?」
もちろん俺は敵味方が入り乱れる混戦の中に無策で突っ込むつもりはない。
俺の幻惑魔法を上手く使えば敵味方を引き離すことができるだろうし、敵第2陣の大隊長あたりを交渉の場に引きずり出す算段も何パターンかは考えている。
でも、フォルカーさんはまだ俺のことをよく知らないからちょっとだけ疑いの目を向けてきている感じだ。
別にいいけどさ。
「タカーシ君の言うとおりにしておけば大丈夫だよ、お父さん!」
おっと。ここでフライブ君の援護射撃が入った。
ありがとう。君は本当にいい子だね!
「そうですわ。“共食いのヴァンパイア”をなめないであげてくださいな」
ヘルちゃん! お前の援護はいらん!
「そのお方の卑怯っぷりはもはや神の域。もはやドルトム様の戦術眼と同等とみなしてもいいぐらいなのです。
どうぞご安心してタカーシ様にお任せくださいませ、フォルカー様」
ガルトの野郎! お前は褒めるふりして喧嘩売ってんだろ!
「そ、そうなのかい……? それなら……」
結局、こんな感じでフォルカーさんも納得しつつ、俺たちは最前線に飛び込んだ。
「ふんっ!」
俺はまず全身に力を込め、魔力を強く放出する。
それが戦場に広く行き渡るのを確認し、んでもって幻惑魔法の発動だ。
「タ、タカーシ君……? まりょ、魔力の質は……あんまり上げなく、上げなくて……いいよ。
ヴァン……ヴァンパイアと人間の相性はいいか、ら。弱いま、魔力でも十分だから……」
ほう。
いざ幻惑魔法発動というこのタイミングでドルトム君がいきなり口を挟んできたから何事かと思ったけど、それは嬉しい情報だ。
ふむふむ。そういえば俺たちヴァンパイアにとって人間は色々と関係性の深い種族。
つーか人間の血が魔力の補充方法という時点で、ある意味人間にとってヴァンパイアは天敵のようなものかもと思っていた。
なるほどな、そういう優位性もあるのか。
じゃあ、ドルトム君のお言葉に甘えて。
「わかった。えい!」
俺は短い掛け声とともに幻惑魔法を発動する。
ドルトム君のアドバイスに従い、“魔力の質”は上げずに、ただ魔法の効果範囲を広く取っただけ。
幻惑の内容はもちろん敵の内乱を誘うものでちょっとわかりにくいけど、
“ヴァンパイアであるこの俺を崇め奉り、つーか一時的に魔法の有効範囲内にいる敵兵を『ヴァンパイア教』に入信させる”
というものだ。
一昨日の幻惑魔法は人間同士のおぞましい乱戦を生んでしまったからな。
今回は人間たちをもれなく俺の配下にしてしまえば、みんな落ち着いた心境で俺の言うこと聞いてくれんじゃね? という算段だ。
西の国の人間たちにとっての“ヴァンパイア教”がどのような存在なのか不明だからちょっと不安だけどな。
まぁ、ヨール家の人間たちの中には西の国から来た人もいたし、入信の是非はいいとしても“ヴァンパイア教”の存在自体は知られているだろう。
た、たぶん……あと、いまだに“ヴァンパイア教”の正式名称は知らないけど……頼む。みんな入信してくれ。
「ヴぁ、ヴァンパイア様ァ!」
「あぁ! なんという奇跡! このような戦場でヴァンパイア様のお姿を見ることができるなどォ!」
「ヴァンパイア様ァ! 今すぐ俺の血を!」
「いや、わしが先じゃ! ぜひともこの老いぼれに天国への切符を!」
俺が一抹の不安を抱きながら幻惑魔法を発動すると、しかしながら敵軍の方から例の狂信的な叫びが多々聞こえてきた。
よし、上手くいったようだ。
そう思ったのもつかの間、敵の戦意が低くなったのを見逃さなかった最前線の魔族たちがここで一気に敵を攻め始めやがった。
「敵の陣が崩れた! 一気に攻めろ!」
「これはヴァンパイアの坊ちゃんの仕業か? 便利な術を持っていやがる」
「あぁ! 我々も負けてられない!」
いやいやいやいや、まてまて。
一旦引けって言ってんだろ!
なに勢いに乗ろうとしてんだよ!
「と、止ま、れ―……!」
再度盛り上がる味方の魔力に俺がてんやわんやしていると、その時ドルトム君が両の掌から激しい火炎を吹き出した。
「のわー!」
「な、何をー!?」
「引け―い! 引け―!」
「さ、下がれ―!」
ドルトム君の突如の攻撃により、最前線で敵に襲うかかろうとしていた味方の魔族たちが炎に包まれる。
ドルトム君さ、味方を止めるためとはいえ……うん、やりすぎだって。
そりゃ味方の進軍が止まったのは確かだけど、ほら、周囲の下級魔族たちが裏切り者を見るような眼でこっちを見ているじゃん?
つーか今のドルトム君の火炎魔法、ものすっげぇ火力だったんだけど。
片方の手から発せられた炎だけで、火炎の飛距離は数百メートルぐらいか?
火炎放射器のような方位系攻撃魔法を180度に開いた両手から放ったもんだから、敵味方の境目がきれいさっぱり炎で包まれてしまっている。
まじか? ドルトム君の炎系魔法って本気出すとこんなすげぇ威力なの?
いや、でも……やっぱやりすぎだろ……?
しかしながら、少しだけ怯えるような眼でドルトム君を見つめていた俺の視線に気づき、ドルトム君が毛むくじゃらの奥に潜めた顔をにっこりとさせながら言った。
「ほ、ほら。これでだ……大丈夫……敵み、味方を引き離したよ……? 次は……ど、どうするの?」
いやいや。だからやりすぎだってば。
「味方を攻撃しちゃダメでしょ!」
「ん? こ、攻撃は……し、してな……いよ? びっくり……させた、だけ」
え? まじで?
ドルトム君の言葉に、俺があわてて周囲を観察してみる。
敵味方の境界あたりから悲鳴の類が聞こえてきてはいるものの、体毛や衣服にちょっと火がついて慌てていたり、それを仲間が消化しようとしている声が聞こえているだけ。
炎に焼かれた魔族たちは「あっつ! あっつ!」といった感じの元気のいい悲鳴を上げているし、逆にドルトム君の炎系魔法によって絶命させられそうになっている“ヤバい”系のうめき声は全く聞こえてこない。
ほーう。
それじゃ何か? さっきの炎は攻撃範囲こそ広いものの、炎の威力自体は軽いやけどを負わせる程度の炎系魔法だったというわけか?
そんなこともできんのか? くっそう。やっぱすげぇな、ドルトム君の炎系魔法技術は……。
割と真剣に凹むから、このタイミングでそういう高等技術を自慢するのはやめてほしい。
いや、本人は自慢するつもりなんてなかったんだろうけど……。
「そ、そう。それなら……ありがとう……!」
俺は引きつりそうな表情を必死に隠し、無理矢理な笑顔でドルトム君に感謝を伝える。
ドルトム君も瞳を“きらーん”って光らせながら笑顔を返してくれた。
んで、ここでバーダー教官が俺に話しかけてきた。
「さて。どうするタカーシ? ひとまず敵味方を引き離すことには成功した」
「はい。それじゃ、次の段階に進みます」
そして俺も瞳を“きらーん”って輝かせてみる。
「人間のみなさーん! 今日の戦いは終了でーす! 一度休戦するので、皆さんは後方に下がってくださーい!」
「ははっ!」
「承知いたしました!」
「む……むむむ……おのれ……」
「え? 今すぐ私どもを天国に送ってくれるんじゃ……?」
俺の言葉を聞き素直に納得する者、幻惑魔法のかかりが悪く心の中で葛藤しているっぽい者、または“例の儀式”を求める者。
様々な反応を見せているが、人間たちの大半が武器を収め、敵軍の間に広がっていた戦いの空気はほぼなくなった。
なので俺は背後を振り返り、味方の気配も確認する。
こっちはこっちで混乱しつつも、俺たちが何をし始めたのか注意深く見守っている感じ。
味方からも戦いの気配が消え、とりあえずは完全に戦闘を中止させることができたようだ。
「ほら! 早く後退してください! 戦いは明日から! だから人間さんたちは帰って帰って! 後ろにいる味方にもそう伝えておいてください!」
ちなみに俺が幻惑魔法をかけることができる範囲はせいぜい数千人。敵第2陣のうち半数近くの人間のみだ。
まぁ、俺がバレン将軍の本陣車両にいる間にこちらの下級魔族が敵第2陣2万のうち、1万人ほどを戦死させていたから、今現在は残り1万人。
そのうち俺の幻惑魔法の餌食となった人間は過半数を超えたぐらい。それぐらいの割り合いの人間がめでたく俺の宗教に入信してくれている状況だ。
でも、過半数も幻惑魔法にかけることができたなら十分なんだ。
戦場で突如味方が戦闘行為を止め、撤退し始める。
これが少数ならただの敵前逃亡で済むが、これだけの数、これだけの割り合いの人間が一斉にその行動を起こしてしまうと、敵第2陣はこれ以上戦うことなど無理だろう。
もちろん以前俺が発動した“自分以外の味方が全部魔族に見える”という幻惑魔法ではないから、幻惑魔法の有効範囲外にいた人間たちとの問答無用な同志討ちは発生しない。
陣の奥にいる正常な人間たちからすれば、前にいた人間たちが突如振り返り、涼しい顔をして後退をし始めるんだ。
一兵卒なんて「え? 何? 今日の戦いは終わり?」程度に思うだけで、納得できないながらも自身も武器を収めるだろう。
そう。一兵卒ならな。
でも、この敵第2陣にはそうじゃない人間もいる。
2万の軍を率いるにふさわしい指揮官。
魔力も強く、軍の後方にいて、そして俺の幻惑魔法の有効範囲外にいた人間。
そもそもこの撤退命令自体が自分の発した命令ではないため、前線の兵たちが引き返そうともそれに同意はしない。
「貴様? わが軍の兵に何を吹き込んだ?」
案の定、俺が敵兵たちに撤退を促していると、“ふっ”という静かな着地音とともに強力な魔力を持つ人間が十数人、俺の目の前に現れた。