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愚かな竜に報復を

『わ……我々が間違っておりました。|勘違い《・・・》をし、数々の無礼を働いた私をどうかお許しください……っ』

 ぽろぽろと涙を|零《こぼ》し、懇願する灰色の竜。
 最初の頃の威勢はとうに消え失せ、メルセデスさんにただただ許しを乞うた。

『その体たらくでドラグロア兵を名乗るなんて情けない。竜族というのはなまじ頑丈であるせいか、まさかここまで痛みに弱いなんて……』

 メルセデスさんは溜息を吐き、かぶりを振る。
 確かにこんなことを言ってはなんだけど、指の骨を折られた程度で、ちょっと大袈裟なんじゃないかと思った。

 皇宮にいたら、その程度のことは|日常茶飯事《・・・・・》なのに。

『まあ、許しませんが』

 ――べきめきぼきぐちゃっ。

『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!?』

 灰色の竜の左手を取り、メルセデスさんは容赦なく握り潰す。
 僕が、あの竜にされたように。

『|五月蠅《うるさ》いですね……黙れ』
『ひうっ!?』

 底冷えするような声で告げられ、灰色の竜は強引に悲鳴を|堪《こら》えた。
 涙、鼻水、よだれ、それらを醜くも大量に|零《こぼ》しながら。

『このまま八つ裂きにするか、あるいは消し炭にしてあげてもいいんですが……そういうわけにはいきませんね』

 顎に手を当て、メルセデスさんは思案する。
 何か考えがあるみたい、なんだけど……。

『……ねえ』
『は、はい!』
『貴様には一つ仕事を与えるわ。……ああ、勘違いしないで。ちょっと伝言を頼みたいだけだから』
『で……伝言……です、か……?』

 これ以上は何もされないと思った灰色の竜は、安堵のあまり顔をだらしなく弛緩させる。
 僕の指を折ったりした時のような姿は微塵もなく、もはや竜としての威厳や誇りも消え失せていた。

『ええ。あの男……クラウスに伝えてちょうだい。このメルセデス=ドレイク=ファーヴニルが、クラウス=ドラッヘ=リンドヴルムに『王選』を挑むと』
『は……?』
『聞こえなかったかしら』
『いい、いえ! か……必ずクラウス陛下にお伝えいたしますっ!』

 灰色の竜は直立不動になり、何度も頷いた。

『じゃあ、解放して差し上げましょう』

 メルセデスさんはとん、と背中を押し、灰色の竜の首から手を離した。
 ようやく自由の身となり、灰色の竜は一目散に距離を置く。

 すると。

『ッ!? ヒイイイイイイイイッッッ!?』

 メルセデスさんが開け放った口の前に黒の魔法陣が浮かび上がり、漆黒の稲妻を|迸《ほとばし》らせた巨大な黒の光線が灰色の竜の横を通過した。

『間違っても寄り道なんてしないことね。いつでもこの私が、貴様の背中を狙っていることを忘れないでちょうだい』

 灰色の竜は何度も頷き、森の中央にある山……デュフルスヴァイゼ山へと逃げ帰った。

『本当に、情けない』

 呆れたようにそう呟くと、メルセデスさんは僕の前に舞い降りて、人間の姿になった。

「メルセデスさん!」
「これで分かっていただけましたか? 本当の私はこんなにも強く、あのような連中では傷一つつけることができな……っ!?」

 僕は駆け出すと、笑顔のメルセデスさんの身体を抱きしめる。

「よかった……無事でよかったです……っ」
「ふふ……ありがとうございます」

 そんな僕の頭を、彼女は優しく撫でてくれた。

 ◇

「……あの灰色の竜達は、ドラグロア王国の兵士なんです」

 メルセデスさんは、色々なことを僕に教えてくれた。

 どうして彼女が、その王国の兵士に狙われていたのか。
 どうして僕と出逢った時、あんなにも傷ついていたのか。

 一体メルセデスさんに、何があったのかを。

「ゆる、せない……っ」

 全ての話を聞き終えると、僕は怒りで拳を握りしめていた。
 ジルケ夫人がお母さんの形見のブローチを壊した時と同じ……ううん、それ以上に怒っていたんだ。

「私のために怒ってくれて、ありがとうございます。でも、私は君の回復魔法のおかげで全快しました。クラウスによって冒されていた毒も、全て取り除いてくれたんです」
「あ……は、はい」

 メルセデスさんは|蕩《とろ》けるような笑顔で僕の手を取る。
 でも僕は、|未《いま》だに信じられなかった。

 僕の回復魔法なんてちょっとした怪我を治すことしかできない代物。彼女が言うように、本当に全てを治すことができたのかなって。

「言っておきますけど、指の骨が折れるなんてとても酷い怪我なんですからね。話を聞いていると、ギルベルトくんは怪我の大小の基準が一般常識とずれているように思います」
「そ、そうなんでしょうか……」

 ひょっとして、僕にとっては当たり前のことでも、他の人……特に竜からすれば、全然違うってことなのかな。
 さっき灰色の竜と戦っている時、メルセデスさんは『竜族というのはなまじ頑丈であるせいか、まさかここまで痛みに弱いなんて』って嘆いていたし。

「そうです。最強の種族である竜ですらあの有り様なんですよ? ……だからこそ、私は|許せない《・・・・》のですが」

 そう言うと、メルセデスさんは険しい表情を見せる。
 彼女が『許せない』のは、きっと僕のことを|慮《おもんばか》ってのことだと思う。

 だから。

「ありがとうございます。僕……僕……メルセデスさんに出逢えて、本当によかった……っ」

 僕のまめだらけの汚い手とは違う、メルセデスさんの細く柔らかい手を握りしめ、僕は何度もお辞儀をした。
 涙が|堪《こら》え切れなくなっちゃったけど、これはいいんだ。

 だって……この涙は、すごくすっごく嬉しくて|零《こぼ》したものだから。

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