皇宮を追い出されて
「もたもたするんじゃないよ。あんたには、この皇宮に居座る資格がないんだからね」
「…………………………」
皇宮の敷地内の端にある、唯一与えられていた小さな納屋の中で、僕は自分の荷物をまとめる。
といっても、僕の荷物なんてこれっぽっちもなくて、あるのはお母さんの形見のブローチだけ。
真ん中に緑の宝石があしらっていて、これがお父さんだった人……皇帝陛下との繋がりを示すたった一つのもの。
これのおかげで、僕には第六皇子なんて肩書があったんだ。
……今となっては、そんなものに意味はないけど。
「ふうん……これが、ねえ」
「あっ」
僕の肩口から|覗《のぞ》き込んでいたかと思うと、ポルケ夫人がひょい、とブローチを奪った。
「か、返して!」
「なんだい、露店で売っているような安物のおもちゃじゃないか。こんなもの、よくもまあ後生大事に持っていたものだよ」
一生懸命に手を伸ばす僕を押し退け、ポルケ夫人はしげしげとブローチを見つめる。
「ちょっとくらい価値があるかと思っていたのに、がっかりだね」
「あ……あああ……っ」
無造作に床に落とすと、ポルケ夫人はブローチを踏み潰してしまった。
退けられた彼女の足の下には、無残に砕けたブローチ……いや、緑の宝石があるだけ。
「これで分かっただろ。あの宝石は偽物だったのさ」
「うわあああああ! どうして! どうしてそんな酷いことするの!」
僕は悔しくて、悲しくて、口惜しくて。
ポルケ夫人に、初めて突っかかった。
でも。
「ぎゃうっ!?」
「調子に乗るんじゃないよ! 所詮あんたは、陛下に捨てられたただのガキなんだからね!」
|傍《そば》にあった棒で思いきり叩かれ、僕は地面に転がる。
そんな僕を、ポルケ夫人は|忌々《いまいま》しげに見下ろした。
「頭にきてるのはこっちのほうさ! あんたの乳母なんかやらされて、何の報酬もなし! これまでの時間を返してもらいたいね!」
「う……ううう……っ」
そうだよ……僕の十年間は、何だったんだ……。
僕は、何のために生きてきたんだ……っ。
「泣きたいのはこっちのほうなんだよ! いい加減……っ!?」
「いい加減にするのはポルケ夫人のほうだ」
棒を大きく振りかぶり、打ち|据《す》えようとしたポルケ夫人の腕を、突如現れた男がつかむ。
それは、いつも意地悪で僕の仕事の邪魔をする使用人だった。
「既に宰相閣下が玄関でお待ちだ。ほら、行くぞ」
「あうっ!?」
使用人に強引に腕をつかまれ、ポルケ夫人に叩かれた肩の痛みで僕は顔を|歪《ゆが》める。
そんな僕のことなんてお構いなしに、使用人はどこかへと連れて行く。
僕はそっと肩に手を当て、回復魔法で治療した。
◇
「こちらは暗黒の森の領主であることを示す皇帝陛下の印状、そしてこちらが、ギルベルト殿下の身分を示す印章になります」
|恭《うやうや》しくお辞儀をする、皇帝陛下と面会した部屋の壁際にいた人……ヘルトリング宰相。
彼が目配せした|傍《そば》にいた騎士が、その印状と印章を僕に渡してくれた。
「そしてこちらが、当面の資金です。……といっても、暗黒の森で使用することはないでしょうが」
「あ、あの、暗黒の森というのは……?」
悲しいけど、僕は王宮の外のことを何一つ知らない。
だから暗黒の森がどこにあるのか、どんなところなのか分からなかった。
「……そうですな。これからお過ごしになられるのですから、まずはご説明いたします」
ヘルトリング宰相は、僅かに眉根を寄せながら話してくれた。
暗黒の森はハイリグス帝国の西にある巨大な森で、中央には“デュフルスヴァイゼ”山と呼ばれる西方諸国で最も高く険しい山がそびえ立っているらしい。
気候も年中冬のように寒い上に、|鬱蒼《うっそう》と茂る高い木々によって太陽の光が差し込むこともなく、じめじめとしている。
何より。
「暗黒の森は数多くの魔物が棲息している地域でもあり、一度足を踏み入れると二度と生きては帰れないという、非常に危険な場所です。そして……デュフルスヴァイゼ山には、|竜の国《・・・》があると言い伝えられております」
「|竜の国《・・・》……」
竜の国については、僕も知っていた。
あの薄暗い書庫で見つけた本の中にあった、竜の国の物語。
そこには悪い漆黒の竜の王がいて、周辺の国々を荒らし回った。
だけど竜の国に足を踏み入れた一人の青年が、妖精が作ったとされる剣で見事に打ち滅ぼし、やがて英雄になったというお話だ。
だけど、そうか……あの物語の竜の国は、きっと暗黒の森が舞台になっているんだね。
「まあ、竜の国については伝説上の話ですのでお忘れいただいて構いません。ですが、魔物に関しては別です。帝国の領土とはなっておりますが、凶悪な魔物が|跋扈《ばっこ》しているせいで住む者は一人もおらず、手つかずとなっているのです」
「………………………」
つまりそんなところに、皇帝陛下は僕を捨てたんだ。
魔物に食べられても、どうでもいいって思ってるってことなんだ。
「……暗黒の森の入り口まで、このハーゲン=ヘルトリングの名にかけて必ずお送りいたします」
「ありがとう、ございます……」
僕は一体、何に感謝しているんだろう。
暗黒の森まで無事にたどり着いても、魔物に食べられて死ぬしかないというのに。
もう、生き続ける意味もないっていうのに。
「さあ、どうぞお乗りください」
ヘルトリング宰相に促され、僕は馬車へと乗り込む。
だけど、宰相は一緒には行かないみたい。
暗黒の森は危険なところなんだから、当然だよね。
「よいか、必ず殿下を無事に送り届けるのだぞ。もし|万が一《・・・》のことがあれば、お主達の一族郎党にも罪が及ぶと思え」
「「はっ!」」
御者席に乗る兵士と、同行する兵士が緊張した様子で返事をする。
これなら、途中で僕がどうにかされることはないだろう。
……いや、違う。
きっと僕は、暗黒の森で死ななければいけないんだ。
皇帝陛下の血を引く僕が、それ以外の場所で死んだりすれば……間違っても生きていたりすれば、この国にとって面倒だから。
かといって、堂々と僕を殺すわけにもいかない。もちろん、誰にも気づかれないように暗殺なんかしても。
もしそのことが僅かでも|公《おおやけ》になれば、今度はヘルトリング宰相が罪に問われることになるから。
そうして馬車は、ゆっくりと動き出す。
――僕の墓標となる、暗黒の森へ向けて。