平和の不具合編 8
夕方、ヨール家に戻っていた俺は人間たちを連れ出し、屋敷の裏山を訪れていた。
遠くの山々の頂上付近に夕日が沈むのを脇目に、こっちもこっちで裏山の頂上だ。
「タカーシ様?」
「はい。ここら辺でいいでしょう。では、農業経験者の方々のご意見を」
この山を中心に屋敷とは反対側、山を降りたあたりから広がっているちょうどいい感じに平坦な土地。数本の木が生えているけど、この山のように摩訶不思議な植物が生い茂っているわけでもないので、開墾に大きな支障はない。
あと小さな川も流れているので、農業用水の確保にも問題はなさそうだ。
それらを農業経験者に確認させ、また彼らから直接意見を聞くためにここに連れてきているというわけだ。
まぁ、俺の実家は農家だったし、小遣い稼ぎ程度に手伝いをしていたこともあるから、俺自身も農業未経験者というわけではない。
でもこの世界で見られる植物には俺が知っているものが皆無だし、以前フライブたちと山に遊びに行った時は、たまに魔力を駆使しながら襲ってくる植物すらいた。
生態系が俺が生きていた地球とそこまで違うとなると、ぶっちゃけ俺の農業知識はまったくの戦力外と考えた方がいいだろう。
あっ、どうでもいいけど今もしょっぼい魔力を放つ植物が俺の魔力を狙って細いつるを足に絡めていやがるし、どこに危険な植物がいるか俺には分からないので、一応少し離れたところでアルメさんが俺たちの護衛をしてくれている。
でもでも――涎を垂らしながら舐め回すような視線で人間たちを視るアルメさん。人間たちからすれば、明らかにこっちの方が危険な存在だ。
しかし人間たちはその視線に気付かないどころか、双子の子供たちなんてさっきアルメさんにじゃれついていた。
アルメさんだって俺の“お預け”命令を無視するほどバカではないので……う、うん。大丈夫なはず。
「地形は問題ないかと。しかし、土壌の状態を確認しないことには何とも言えません」
不安そうな目でアルメさんをちらりと見ていると、俺の脇にいた人間の男が意見をくれたので、俺はそれに答える。
「確かに。では山を降りて土を見に行きましょう。ついてくるのは農業経験者の方々だけで結構ですので、他の方はここで待っていてください」
「はい」
「かしこまりました」
「わかりました!」
俺の指示にみんな揃って答え、男の子に限っては元気に返事を返してくれた。
うんうん。この子たち、だいぶ俺に懐いてくれてるようだ。
女の子の方は将来なかなかの美人さんに育ちそうだし――あっ、でもヴァンパイアの俺と人間とじゃ成長速度が噛み合わねぇんだっけ。
まぁいいや。下に降りよう。
「じゃあ行きましょう。アルメさんはここで待っていてください。皆さんのこと、食べちゃダメですよ!」
「じゅるじゅる……はい。もちろんです! じゅるじゅる……だらぁ……」
くっそ! 前言撤回! 不安すぎる!
「もし皆さんに危害加えたら、寝る前の“お腹わしゃわしゃ”を二度としてあげませんからね!」
「はい! 絶対に人間どもを食べません! だからそんなひどいことは言わないでください! タカーシ様!? じゃないと遠吠えしますよ!」
遠吠えすると何が起きるんだ……?
ま、これで大丈夫か。
「おいしょ……うんしょ……」
その後、俺は数人の人間を連れて山を降りる。
道なんてものはなく、生い茂る草木を手で掻き分けながらの下山だが、そんなに高い山ではないので十数分で平地に下りることが出来た。
土地の土壌について、すでに片膝つきながら地面をいじっている人間に問いかける。
「どうですか?」
「えぇ。これなら問題ないでしょう。しかし特別肥えているというわけでもないので、連作には不向きかと」
「そうですか」
ちなみに俺はこの土地で二期作を予定している。
気候的には冬の栽培もいけそうだし、二毛作よりは用具や設備の費用を抑えられるからな。
でも今の人間の発言によると二期作は難しそうだ。
「じゃあ、肥料の補充にも十分気をつけつつ、定期的に土をしっかり休ませるようにしたらどうでしょう?」
「それでもさすがに年2回の栽培ともなりますと、土の負担が大きくなります」
「なら収穫と苗植えの間に表面の土の入れ替えをしつつ、空いた土地では来期用の土に堆肥を馴染ませて準備させておく。
このようにしたらどうですか?」
「なるほど。土の交代制というわけですか。それはやってみる価値があるかと思います。
しかし、そうなると堆肥の費用がかさばります」
ふっふっふ。この計画の第一目標は利益じゃないのだよ。
まぁ、いずれは利益も出したいと思うけど、それはいろいろと試行錯誤した後のおまけみたいなもんだ。
資金についてもさっきレバー大臣のお墨付きを貰ってあるし、金に関しての心配は無用だ。
「それは想定内です。なかなか広い土地ですがそれでも広さが限られていますので、その限られた土地で有効に作物を育てないといけません。
それにあまり農地を広げ過ぎると護衛の目が届きにくくなり、あなた方の危険が高まります。
当面の農地の広さはあくまでさっき見せた計画書通り。その農地で最大限の収穫を得ましょう」
「ははっ。ではそのように」
「えぇ。僕はしばらく屋敷を留守にしますけど、その間に用具の準備などしっかりお願いしますね。
屋敷の使用人さんたちも協力もらうように言ってありますから」
「御意ッ!」
ふう。
今日のところはこれぐらいでいいだろう。
今日の夜は俺も他の予定が入っているからな。
あっ、その予定というのは、“戦場で使う武器の調達”だ。
これから親父やお袋とエールディに行き、俺の誕生日祝いとなる剣を買ってもらう予定なんだ。
そう。戦争に行く俺のための武器……。
今さらだけど城でレバー大臣と面会した後にバレン将軍の詰所に挨拶に行ったら、将軍から俺に正式な出征命令が下されたんだ。
書類のようなものが後日屋敷に届くという話なんだけど、それを俺に伝えた相手がバレン将軍だからな。ほぼ決定事項だ。
もちろん、それを伝えられた時の俺の心境は言うまでもない。
とてもじゃないが王子なんかの遊び相手をするテンションじゃなくなってしまって、でも幸か不幸か王子と遊ぶ予定はお流れになった。
なんでも勉強中に勝手に部屋を抜け出した王子はその罪を償うため、家庭教師役の魔族から夕食までの居残り学習を言いつけられたんだと。
それを伝えに来た別の魔族の話によると、王子は勉強嫌いでサボりがちらしい。
王子に厳しい天罰が下ったのはざまぁみろの一言に尽きるけど、そういう事情で俺はレバー大臣の面会後すぐに帰宅を許された。
んでそのまま帰るのもなんなのでついでにバレン将軍のところに挨拶に行き、その時に俺と、そしてフライブ君たちの出陣を伝えられたという次第だ。
といってもまだまだ幼い俺たちは――いや、新メンバーとして俺が加わったからかな。バレン将軍がそこらへんに配慮してくれたのかは分からないけど、俺たちの班に与えられた任務は戦場への荷物運びや野営地の夜の見張りといった雑務的な仕事であり、今回の戦争で実際に前線に赴くことはないとのことだ。
「だが戦場では何が起こるかわからん。野営の見張り任務だって、それはつまり敵の夜襲に真っ先に応戦する役目でもあるからな。
ヴァンパイアたるお前の腕の見せ所だぞ」
一瞬安堵した俺に、バレン将軍は綺麗な笑顔でそう言ってくれた。
だから俺は結局テンションどん底のまま屋敷に帰ることとなり、でもレバー大臣との仕事の方はまったくの別件だからなんとか気持ちを奮い立たせ、早速人間たちを連れて農業用地の下見にくることにしたんだ。
まぁ、戦争に行くことになったから、こっちのプロジェクトはしばらく停めるつもりだけど。
「日が暮れて暗くなってきました。皆さんの食事もそろそろですし、急いで戻りましょう」
俺たちはこれにて退却。一度裏山を登り、待機組のアルメさんたちと合流した。
「見てください、タカーシ様! 私、食べませんでしたよ! 人間どもを一口も食べてませんよ!」
分かったから。うっせぇな。
「遠吠えも! 遠吠えも我慢しましたよ!」
だから何なんだよ! なんなんだ、その主張の強さは!?
そんなに俺のマッサージが欲しいんか……? んんっ!
「だから! だから……」
いや、本当に分かったから、尻尾振ってまとわりつくな! あぁ! 暑っ苦し――可愛いな、アルメさんは! もう!
「今日も寝る前の“アレ”、お願いしますね!」
「あっ、うん。はい」
くっそう! やっちまったぁ! ついつい承諾しちまったぁ!
だってアルメさんがまとわりついてくるから! めっちゃ尻尾振ってまとわりついてくるのがすっげぇ可愛かっ……ま、いっか。
じゃあ、今晩も頑張るか。
さて……それはいいとして。
「屋敷に戻りましょう。ところで……サンジェルさん?」
「はい?」
俺は屋敷を眼下に捉えながら、背後を歩いていた人間に声をかけた。
相手は160センチぐらいの男性。肩まで伸びた赤い髪が印象的な30代の人間だ。
「ちょっとお聞きしたいのですが……」
「は、なんなりと」
うーん。
こいつ……大したことじゃないんだけど、そのにやつき顔やめてくんねぇかな。
なんというか、映画に出てくる小悪党っぽい笑顔がなんかイラつくんだよな。
まぁ、本人としては愛想笑いのつもりなんだろうけど、いまいち信用できねぇ。
でもだ。こいつの職業履歴。これだけは決して無視できねぇ。
「戦争で使うような武器についてなんですけど……人間は魔力や魔法の他に、鉄砲とかを使ったりしてるもんなんですか?」
「テ……テッポウ? テッポウとはどのようなものでしょうか?」
ふーん。この世界ではまだ鉄砲の類が開発されていないのか。
いや、エールディの街中でも鉄砲っぽい武器を携えている魔族は見当たらなかったし、こういう返答もある程度予想済みだ。
そもそも魔族は重火器に匹敵するといってもいいぐらいの強力な攻撃魔法を扱えるからな。
遠距離攻撃系の兵器の発達が遅れるのも無理はない環境だ。
でも、“逆に魔力や魔法に乏しいという人間なら?”と思って西の国出身のこの男に聞いてみたけど、この感じじゃやっぱり鉄砲や拳銃の類は知らないようだ。
ちなみに俺とこの人間たちは“魔力による言葉の伝達”機能が働いている。
この世界では“鉄砲”を“テッポウ”と発音するのかについても確信は持てないけど、そのイメージはしっかり伝わっているはずだから、似たような武器がこの世界にあるなら俺の知っている“鉄砲”もその武器に変換されてこいつの脳に伝わっているはずなんだ。
でも相手が見せたこの反応。
どうやらこの世界には鉄砲のような武器は存在しないということらしい。
いや、もうちょっと細かく聞いてみよう。
俺のイメージする鉄砲とは姿形がまったく違う重火器ならあるかもしれない。
「じゃあですね……うーんと……。こう……筒状の鉄で、片方の底がふさがっている物にですね……こう、火をつけると爆発する粉を開いている口の方から詰め込んで、その後に丸い鉄の塊とかも詰め込んで……んで、粉に火をつけて爆発させて、その力で鉄の塊をはじき出す。
その鉄の塊の発射速度がものすごい速いので、それが当たった相手は怪我をする。魔力も魔法もいらない遠距離攻撃系の武器です。
似たようなのでもいいのですが、そういうのを見たことありますか?」
あぁ! 説明がめんどくせぇ!
しかも、ここまで一生懸命に説明したのに、サンジェルさんが返した返事はたった一言だ。
「見たことがありません」
まーじーかーぁー……。
それなら仕方ねぇな。
「じゃあ仕方ありませんね。ところでアルメさん?」
俺はここでアルメさんに質問対象を切り替える。
ちなみに俺がサンジェルさんに話しかけていた間中、アルメさんはずっと俺の左後ろをついてきていたが、途中から二足歩行をやめ、四本足で歩きながら俺の左肩に頭を乗せていた。
これ、多分俺が人間と仲良く喋っているのに嫉妬して、『自分も! 自分も会話に入れてください!』って主張しているんだ。
秋田の実家で飼っていた柴犬が食事中の俺の膝に頭を乗せて、食べ物をくれるように自己主張してきたあの時と同じ感じだから、俺には分かる。
だから――まぁ、こっからはアルメさんも会話に混ぜてやろう。
「はい?」
「火をつけると爆発する粉……まぁ、塊でもいいんですけど、そういうのって知ってます?」
「はぁ……火をつけると……爆発……くぅーん……爆発……爆発……がるるぅうるぅ」
なんで威嚇し始めた?
「うーん。粉ではないのですが……炎系魔法で火をつけると、すごい勢いで燃える植物はいますねぇ」
あっ、違った。
アルメさんって、考え込む時も唸るのか。
まぁいいや。
「ほう。それはどれぐらいの勢いで燃えるのですか?」
「それこそ爆発したように燃えますよ。“トリニトロトルエン草”という植物なのですが、その草の根が大変よく燃えるのです。
その植物の近くで炎系魔法を使ってしまうと周囲の木々も含め一帯を燃え飛ばしてしまうので、トリニトロトルエン草の生息地域は炎系魔法禁止の命令が国から出ているほどです」
おう。いかにも爆発しそうな草じゃねぇか。
「なるほど。んでその植物はどこに行けば手に入りますか?」
「えぇーとぉ……確かエールディの北西にある山の奥に生息地域があったような……」
「ん? エールディで買ったりできないんですか?」
「そ、そんなことできるわけないですよ! タカーシ様!? 間違って火をつけたら1区画が吹っ飛んでしまうんですよ!?
街に持ちこむのも危険だし、そんなものを売り買いする魔族なんているわけないでしょう!」
そんでもって俺の襟を咥え、体ごと左右にぶんぶん振り回すアルメさん。
ちょっと楽しいけど、俺、犬のおもちゃじゃねぇからな!
「んぐ! んぐ! わかった。わかりましたからぁ! 首、苦しいですって! アルメさん!」
「ふーう。ふーう」
どうしたんだろ? 散歩不足でストレス溜まっ……いや、アルメさんも今日エールディに行ったしな。
あっ、もしかして――俺たちは訓練したけど、アルメさんはそれを見ていただけだから体うずうずしてんのかな?
バレン将軍から戦争の話聞いて、好戦的なアルメさんが心中穏やかなはずもないだろうし。
よーしよし。夕飯食ったら、湯浴びする前にいっちょ遊んでやるか。
――じゃなくて!
「じゃ、近いうちに、一緒にそこに行きましょう。山の中に生えているんだったら僕でも自由に採取していいんですよね?」
「え、あ、はい。かしこまりました。でも、そんなものを何に使うつもりで……?」
ふっふっふ!
それは今説明する気にはならん! アルメさんには内緒だ!
でもこの計画こそが元鍛冶職人たるサンジェルさんの最初の仕事なんだ!
「じゃあサンジェルさん?
鉄の筒……長さは僕の両腕を広げたぐらいで、太さは僕の手首ぐらい。
んで筒の底の片方は塞いである。そしてその付近にちっちゃい穴が空いているような。そういう筒を作ってください」
「え? え?」
「素材の買い出しとかまどの準備は僕も協力しますので、明日中に。
そして僕が戦争に出発するまでにその“ブツ”を完成させてください。
あと、アルメさん? 知り合いに土系魔法に詳しい魔族はいませんか? 明後日以降に、その方との約束を取り付けてください!」
「え? あ、え?」
これから戦争に行くというんだ。これぐらいの装備は必要だろう。
いや、俺が遠距離系の攻撃魔法をまったく使えないからという、悲しい事情が一番の理由なんだけどな。
なんにせよ、剣と――あと自然同化魔法だけじゃ俺の手持ちのカードとして不安すぎるんだ。
どうやらこの世界には弓矢はあっても、銃や火薬の類は発明されていないらしいし、プロトタイプの鉄砲だとしてもそれなら俺のカードとして十分な武器となるはず。
ま、まぁ、この世界はそんなものが無くても、似たような威力を持つ攻撃魔法をそこら中の魔族が会得しているけど。
う、うん。以前バーダー教官に“基本系魔法の才能がほぼ皆無”と言われた俺だ。
出来上がった鉄砲は戦国時代の火縄銃よりも性能の劣るものになるのは仕方ないとして、それでも離れた敵を攻撃できる手段を1つぐらい持っておいた方がいいはずなんだ。
それと秋田のじいちゃんにエアガンをプレゼントするぐらい、俺は銃関係の知識は持っている。
と言っても軍事オタクと自称出来るほどでもないし、銃の腕前だって実弾を撃ったことがないのはもちろん、サバゲーマニアを自称出来るほどでもない。
でも、昔の大砲を小さくしたようなシンプルな構造の銃なら今の俺の知識でも作れるだろうし、シンプルだからこそサンジェルさんの技術次第で俺の出陣に間に合う可能性もある。
ふぇっへっへ!
魔法と弓矢と剣しか使えない野蛮な魔族ども。俺の開発した近代兵器に度肝抜かされるがいい!
あっ、でも……もし俺が敵と交戦することになったとして――その相手は人間だ。
俺、人間を前にしてはたしてちゃんと戦えるのか……?
いや、これは戦争……殺らなきゃ殺られる。
と割り切るのは、言葉では簡単だ。
……でも、儀式の時は不可抗力だったとして――実際に俺が人間を殺せるだろうか……?
「うーん。土系魔法、土系魔法……あっ! 1人いました!」
にわかに沸き上がった不安。いや、人間としての俺の理性が慌てて思い出させた感情と言ってもいいだろう。
ヴァンパイアとして数日過ごしているうちに、俺がすっかり忘れてしまっていた嫌な記憶と、その記憶による負の感情に俺の心が侵されていると、隣で考え事をしていたアルメさんが何かを思いついた。
「ドワーフ族のレバー大臣なら土系魔法に精通しておられる! 最適な魔族です!
タカーシ様の名前で屋敷に来るよう伝えておきますね!」
「そんな偉い人を俺ごときが呼び出せるかぁ!」