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38話 闇を呼ぶ赤い光






光明の神殿――アルハザードの中心部にそびえるその建造物は、時を超えた神秘と荘厳さを纏った石造りの遺産だった。

無数の白い柱が外壁から内部まで整然と並び、その佇まいはまるで永遠を象徴するかのようだ。月の光が差し込むたび、柱の影が床を走り、神殿全体が時間の流れすら忘れさせる空間を作り出している。

その神殿の片隅、一際影の濃い場所に、一人の女性が立っていた。黒髪は漆黒の闇のように光を吸い込み、黒いドレスは流れるように彼女の身体を包む。
遠目に見れば彫像かと錯覚するほどに動かないが、彼女の瞳だけは金色に輝き、どこか非現実的な美しさを放っている。その瞳は、まるで全てを見通しているかのように不気味なまでに冷静だった。

長い沈黙を裂くように、やがて二つの影が神殿の入口から現れる。
黒いローブを纏った二人組が、重そうな古書――アビスブックを両手で大切そうに抱えている。彼らの足音が石の床に響き、女性の前で止まった。

女性の唇がわずかに動く。


「おお、遅かったでは無いか。ご苦労であった。」


その声は、冷たくもありながら耳を引くような甘やかさを含んでいた。

二人組は無言のままアビスブックを差し出す。
それを受け取ると、女性は左手をゆっくりと掲げた。瞬間、青白い光が彼女の手から放たれる。ローブを纏った二人を一瞬で飲み込んだ。次の瞬間、彼らはその場から掻き消え、足元には黒いローブだけが無造作に残されていた。

そして、ローブの中から小さなトカゲがよろよろと這い出てきた。

女性はそれを一瞥し、手にしたアビスブックを撫でながら静かに呟く。


「これがあれば、我が夫がグラヴァスを超える…」


その言葉と共に、彼女の唇がわずかに吊り上がった。その微笑みは美しさと残酷さを併せ持ち、これから訪れるであろう運命の予兆のように神殿に漂っていた。










「なぁ、ナジーム。早くいこうぜ」
「そう急ぐな、マリク。」


月明かりの下、二人の男が砂地を踏みしめながら進んでいた。
白装束と踊り子を逃した罪を、主人アブダウラに報告する道中だった。追跡は日没まで行われたものの、成果は得られず、二人の足取りには失望と恐怖が滲んでいた。失態を犯した部下の末路を知る者にとって、この報告は死刑宣告にも等しい。

光明の神殿が視界に入った頃、マリクが沈黙を破った。


「さっさと終わらせ──」
「待て。」


ナジームが鋭く腕を上げてマリクの言葉を遮る。その眼差しは神殿の前へと注がれていた。


「神殿の警備が一人もいない…?」
「交代の時間じゃないのか?」


マリクが首を傾げるが、ナジームは答えなかった。ふと、月明かりが一瞬途切れたことに気づき、夜空を仰ぐ。そこには不吉な兆しのように三つ目の月が顔を出していた。


「よし、明日にするぞ。」


ナジームは踵を返し、来た道を戻り始める。その背中を追いかけながら、マリクは軽口を叩いた。


「お前の当たらない勘ってヤツか?」
「その当たらない勘で、今も生きてるだろ。マリク。」


やがて二人の姿は闇に溶けて消えた。





神殿の柱の陰から、ルネがゆっくりと顔を出す。その手には短剣が握られており、緊張した面持ちで周囲を見回す。彼女の耳元からは微かな声が漏れてきた。


『行ったみたいだね。』


通信機から聞こえる声の主、ウタもまた別の柱の影から姿を現す。彼女の手にはコンパウンドボウが握られていた。


「ウタ、本当にここなの?」
『うん。本に付けておいた発振器はこの中を示して
る。』


ルネは訝しげな表情を浮かべながら、静かにウタの傍に近づく。


「便利ね、そのハッシンキとやらは。」
「こんな事もあろうかと、だね。」


二人は慎重に神殿の入口へと歩を進める。壁に背を預けながら周囲を警戒するウタの様子に、ルネは心の中でわずかな安心感を覚えた。時折、ウタが意味不明な言葉を口にするのも、今となっては彼女らしい癖だと分かっている。


「その話もしてよ。」
『うん。不測の事態を予測して準備して、活用する時に使う言葉かな』


通信機越しのやり取りは抑揚を含みつつも、二人の間
には一定の緊張感が保たれていた。


「奥の手や切り札みたいなものね。」
『うん、そんな感じ。』


神殿の中心部へと足を踏み入れた二人の目に飛び込んできたのは、天窓から差し込む月明かりに浮かび上がる二つの人影だった。そこには大柄な髭面の男性と、黒髪で黒いドレスを纏った女性が立っている。女性の腕には重厚なアビスブックが抱えられていた。


「見つけた。」
『待って、何か話してる。』


ウタは冷静に指向性マイクを起動し、指向性マイクの機能を彼女にも聞こえるようにして、静かにその様子を伺う。ルネは短剣を握り直し、緊張の色を隠せないままその場の様子を伺い続けた。








「ほう。これが四次元から何でも取り出せるという、アビスブックか…」


大柄で髭面の男、アブダウラは分厚いアビスブックを手に取り、その表紙を指先でなぞった。鋭い目が本を眺めるその姿は、まるで獲物を前にした捕食者のようだった。彼の足元に片膝をついていた黒髪の女性は、艶やかな微笑を浮かべて言葉を投げかける。


「それがあれば、テオなど足元にも及ばず。このノクティリアの世界はお前様の物…さぁ開いて…」


その囁くような声に促され、アブダウラは太い指で本のページを開こうとする。だが、次の瞬間、アビスブックが何かに弾かれるように飛び、床を滑って柱にぶつかった。


「な──!?」


驚愕するアブダウラの視線の先、白装束を身に纏ったルネがアビスブックに向かって疾走しているのが見えた。黒髪の女性は激昂し、怒声を轟かせる。


「このネズミがっ!!」


右手を振り上げた瞬間、彼女の掌から黒い霧が奔流となって放たれ、柱を粉々に砕いた。その破壊の余波でルネは吹き飛ばされるが、身軽な動きで地面に着地する。一方、アビスブックはさらに別の場所に転がっていった。


「そこか!」


アブダウラは弦が僅かに鳴らす音を聞き逃さなかった。その巨体を一瞬で動かし、柱の陰に隠れていたウタを見つけると、その場を右手で粉砕した。しかし次の瞬間、ウタはアブダウラの頭を踏み台にして天窓に向かって跳躍する。

月明かりが差し込む中、ウタは宙返りをしながら二連射を放った。鋭い鉄球が黒髪の女性の頭部を直撃し、黒い霧を剥がしていく。霧が散ると共に、女性の青白い肌が露わになり、そのまま地面に崩れ落ちて動かなくなった。

その姿を見たルネが思わず口に出す。


「魔族…!!」


アブダウラは顔を歪めて叫んだ。


「ファティマァ!!」


怒りの声を上げるアブダウラに対し、ウタは冷静に二連射を放つ。だが、鉄球は彼の頭部に当たっても無傷のまま弾き返される。アブダウラの怒りに満ちた目がウタを睨みつけた瞬間、背後からルネが飛び出し、首筋を狙って短剣を突き出した。


「嘘でしょ?!」


短剣は硬い皮膚に弾かれ、ルネは驚愕の声を漏らしながら距離を取る。


「硬すぎじゃない?」


ルネがウタの隣に戻ると、ウタは彼女の肩に軽くぶつかるようにして言った。


「こんな事もあろうかと。」


ルネは一瞬キョトンとするが、ウタが弦を引く姿を見て夜通し話し合った日のことを思い出す。やがてルネは彼女の意図を理解し、右手を広げ、白い光を放ちながらアブダウラに向かって差し出した。

怒声を上げながら突進してくるアブダウラ。

その瞬間、ルネの白い光がコンパウンドボウに集まり、ウタが指を離すと同時に眩い閃光が放たれた。白とオレンジ色の爆発がアブダウラの頭部を直撃し、燃え上がる鉄球の残骸が降り注ぐ中、巨体の男は地面に崩れ落ちた。


「やったの?」


ルネが呟き、ウタが振り返ると二人の視線が交わる。月明かりに照らされたルネの金色の瞳に、ウタは一瞬吸い込まれるような感覚を覚えた。だがその時、不意に辺り一帯が青黒い光に包まれた。

アブダウラがアビスブックを手に取り、その中から光を引き出していた。不敵に笑う彼は、アビスブックに手を突っ込む。だがその時、ウタの中で警報が響く。


『警告。直上より熱源高速接近。ミサイルと推定、接触まで3──』

『グラビティシフト、エンゲージ』


警報を最後まで聞く余裕もなく、ウタは即座に行動した。彼はルネを抱き寄せ、その背から発光する二つの翼を展開する。


「な──」
「行くよ。」


その一言と共に重力が反転する感覚がルネを包み、翼の光が激しく放たれると、二人は猛烈な速度で神殿を飛び出した。

神殿の外に出た瞬間、ウタの視界に赤い光が落ちていくのが見えた。それは夜空を切り裂きながら神殿に向かい、次の瞬間、轟音と共に爆発が起きた。


赤い炎が辺りを包み込み、神殿は業火に飲み込まれた。







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