25話 すきま風
「お迎えにあがりました。これより城へとご案内いたします。皇帝陛下がお待ちです。」
先刻のグリアナの呑気な一言「そういえば、馬車を待たせてる」に引きずられるように白熊亭を出た。そこには、既に御者が待ち構えていた。
御者はケープ付きの黒いタイトなアルスターコートを見事に着こなし、肩までリボンを垂らしたトリルビーハットを被っている。長身で垂れ耳の金髪、そして輝く青い瞳が印象的だ。
「どうぞ、お乗り下さい。」
低い声で言いながら、御者が馬車のドアを開ける。その瞬間、ルネが感嘆の声を上げた。
「すごい、シルヴァイン・クルサードだわ。皇室の馬車よ。」
目の前に現れたのは、黒を基調に銀の縁取りが施された大型の箱型馬車だった。その豪華さは外見だけではない。内装は深い茶色の木と黒い革で仕立てられ、中央には吊り下げられたランタンが揺れている。ランタンの中には手のひらほどの大きさの宝石が収められ、微かな光を放っていた。
「こんな馬車を待たせてるならもっと早く言ってよ。」
「馬車は待つのも仕事だよ、野に咲く花よ。」
グリアナの言葉にルネは少し顔をしかめ、普段よりも鋭い視線を彼女に向けた。
先に乗り込もうとしたルネに、ウタが駆け寄る。ぎこちないながらも手を差し出し、支える仕草に彼女は微笑んだ。
「き、気をつけて。」
「ふふ、ありがとう。」
ルネの微笑みに目を細めたウタ。その様子を見ていたシャイラが、グリアナに軽く手を上げて催促する。
「屋根を軽々と飛び越えるお前が、この程度の段差でつまずくとは思えないがな。」
「大きな事ばかりに気を取られ、小さい事に気を配れないと、小石でもつまずくと思うわ。大なる者よ。」
グリアナの言葉に、シャイラは芝居がかった仕草で手を広げ返す。
「...どうぞ、小さきお姫さま。」
グリアナも観念してウタのように手を差し出した。彼女の仕草は洗練されており、その動きには慣れすら感じられる。最後の一人が乗り込むのを見届けると、御者が静かにドアを閉めた。
「このランタンに入ってるのは魔石?」
ウタが吊るされたランタンに興味津々の様子で声を上げる。
「そうよ。下のフタを回せば光るわ。」
ルネがランタンに触れようとしたその時、御者のムチがしなる音が聞こえた。馬車がゆっくりと動き出し、バランスを崩したルネはウタの方に倒れ込んでしまう。
「ご、ごめん。」
「大丈夫?」
ウタがとっさに抱き止めると、ルネの頬が少し赤らんでいく。その様子を見たシャイラが口元をほころばせ、軽口を叩いた。
「あらら、ルネに火が灯っちゃった。」
「ちょっとシャイラ、茶化さないで。」
ルネが軽くシャイラを叩き、二人はじゃれ合い始める。微笑ましいやり取りに視線を送っていたウタだったが、ふと窓の外に目を向け、流れていく景色を眺めた。
◇
いくつかの坂道を登ると、周囲の景色が劇的に変化した。空気さえも澄んで感じられる。
「この辺りは家が大きいですね」
ウタが馬車の窓から外を見て呟く。
ここは街の北側、高台に位置するアルデンフォードの貴族や高官たちが住む地区だった。東側の活気ある街並みとは異なり、整然とした道は白い石で美しく舗装され、その両脇には職人の技が光るような精巧に刈り込まれた植木が並ぶ。見渡す限りの屋敷はどれも堂々としており、広大な敷地には庭園や噴水が配置され、圧倒的な品格を醸し出している。
「ああ。もうすぐ着くぞ。ほら、城壁が見えてきた」
御者の言葉に促されて視線を向けると、黒ずんだ街の外壁とは異なる濃い灰色の壁が遠くに浮かび上がった。
「すごい、あれはレンガかな?」
興奮を隠せない様子でウタは窓を開け、勢いよく顔を外に出した。その目の前には、街の象徴ともいえる大きなアルファリオ城が現れ始めていた。
「始まった……ウタは壁が好きなのよね」
「ほう、建築に興味があるのか」
シャイラとグリアナのやり取りなど耳に入らない様子で、ウタは城に心を奪われている。中でも城の中心付近にそびえる「星狼の塔」は目を引いた。塔の最上部はまるで空を切り裂くかのように高く伸び、見る者の心を捉える。
「……また見られてる気がする」
呟きながら瞳に内蔵している望遠機能を使おうとしたが、次の瞬間、ルネがそっと彼女の服を引っ張った。
「なに?」
「もうすぐ門だから、顔を出してると危ないわよ」
ルネの言葉にハッとしたウタは、彼女の上目遣いに気圧されてしまい大人しく従った。抱きしめたい衝動を抱かせる仕草に心が揺れる。
「う、うん……」
「な、なんでそういう反応するのよ……」
ウタの少し赤くなった顔を見て、ルネもつられて頬を赤らめた。
「……グリアナ様にもあんな時期ありました?」
「失礼だな。そりゃ、あったさ……すぐには思い出せないがな」
グリアナはシャイラの問いに苦笑しながら遠い記憶を探るように外の景色を眺める。
その頃、馬車は城壁の大きな門を潜り抜け、城内の広間に出た。そこは冬の訪れを感じさせないほど鮮やかな緑で満ちており、木々は葉をつけ、花々が咲き誇っていた。
御者が馬車を脇の小屋に停め、ウタたちに向かって恭しく言葉を告げる。
「到着致しました。アルファリオ城へようこそ。陛下は玉座の間でお待ちです」
「ご苦労」
グリアナが労いの言葉をかけながら馬車を降りる。続けてシャイラの手を取り、優雅にエスコートした。ウタもそれを真似てルネの手を引き下ろしたが――
「わあ、何この庭園、少し暖かい?」
「心地いいだろう。春の花よ。城内は結界で外の寒さが和らげられているのだ」
周囲を興味深そうに見回していたルネだったが、足元の段差に気づかずバランスを崩した。
「危ない!」
とっさにウタが抱き留めた。驚いたルネをそのまま縦抱きの状態で持ち上げる。片腕で彼女を軽々と支えているにも関わらず、ウタは平然としていた。
「重くない?」
「ん、平気だよ」
ルネは安心したのか、うっとりとした表情でウタの頬をそっと撫でる。
「グリアナ、あたしも!」
「いやいや、流石に無理だろう。あと様をつけろ」
笑いながらもグリアナは片膝をつき、腕を椅子のように構えるとシャイラを軽々と持ち上げた。
「おお、グリアナすごい。シャイラさんは重そうなのに」
「おい」
その不用意な一言に、ウタはシャイラから鋭い視線を受ける。
「ダメだよ~女性に重いって言っちゃ」
「ごめん、気をつけます」
ルネに窘められ、ウタは素直に反省した。
その時、城内から子供たちの笑い声が響いた。数人の子供が駆け出してきたのだ。後を追うように数人の大人も現れる。
「子供?」
「ああ、城や街で働く兵士や騎士たちの子供を預かっているんだ」
「保育所、みたいなものですね」
「保育所?」
ウタの言葉にグリアナが興味を示す。説明に困っていると、城内から現れた黒髪の女性が声をかけた。
「皆さま、よくいらっしゃいました」
「ドゥルミス、元気そうだな」
グリアナはシャイラを降ろし、すぐに対応に移る。
「あちらが、例の?」
「ああ、ウタにルネだ。こっちは宰相殿だ」
ウタとルネは促されるまま、簡単な挨拶をする。
「宰相のセリシア・ドゥルミスです。セリシアとお呼びください」
黒い髪と耳、冷たい輝きを放つ金色の瞳――
その鋭い雰囲気にウタはどこか警戒心を覚えた。