24話 クマの入れ知恵
「おはよう、邪魔するぞ」
入室を許可されるや否や、ドアが乱暴に開かれた音と共に、朝の静けさが破られる。現れたのは、熊耳の女性騎士、グリアナだ。全身を覆う甲冑は微かに光を反射し、堂々とした雰囲気を漂わせている。
リビングの一角では、ルネが優雅にティーカップを傾けながら朝食を楽しんでいる。彼女は目だけを動かして、グリアナを冷ややかに見た。その横では、ウタが椅子から立ち上がり、出迎えに足を運ぶ。
「随分早いわね。まだ朝よ」
「もう朝なのだ、夢現な花よ」
グリアナの言葉に、ルネはわずかに眉をひそめる。奇妙な呼び名に対する無言の抗議だが、グリアナは意に介していない。
「おはようございます、シャイラさん」
ウタが穏やかに挨拶すると、グリアナの背後から小柄な女性がひょいと顔を出した。
「あ、バレてた?おはよう」
シャイラがイタズラっぽく笑う。彼女はずっとグリアナの背中に隠れていたらしい。悪戯心を隠すつもりもなく、キラキラと輝く目で部屋を見回す。
「どうだ、いい部屋だろう?」
グリアナが胸を張る。その仕草に、ルネがティーカップを置いて冷静に返す。
「豪勢すぎよ。他の部屋に泊まれなくなるわね」
「とてもいい部屋です。本当にありがとうございます」
ウタはにっこりと微笑み、丁寧にお礼を伝える。するとグリアナは満足げに頷き、腕を甲冑の胸元で組んだ。
「私には借りがあるからな。ウタの慈悲、寛大な心には応えるのが筋だ」
その言葉に、ウタはわずかに肩をすくめる。ストーンヘイルで行われた彼女とグリアナの決闘――それは命を賭けた戦いだったが、今となっては奇妙な友情を結ぶきっかけとなっている。
「で、御用は何かしら?」
ルネが低い声で問う。朝の優雅な時間を邪魔された不機嫌さを隠そうともせずに。
「ああ。今日の午後、城内で陛下や議長代理と会ってもらう」
グリアナはルネの態度には慣れているようで、特に気にする様子もなく要件を切り出す。
「議会に出てもらう予定だったのだが、今年は一段と冷える。議員連中は帰郷した後だ」
「随分と呑気ね、国中の魔抜けが動き出すかもしれないのに」
ルネが冷ややかに言うと、グリアナは肩を軽くすくめて答える。
「政治とは昔からそういうものだ。いつも後手に回る」
「グリアナ様は、昨日の一日で首都周辺の魔抜けを十二体も潰したんですよ」
シャイラがルネを窘めるように口を挟む。それを聞いたウタが驚きの声をあげる前に、グリアナが手を軽く振って彼女を制した。
「シャイラ。ルネは議員連中のことを言っているのだ」
シャイラは肩をすくめて「はい…」と短く答える。その間もウタの頭の中では、昨日の光景を想像せずにはいられなかった。ストーンヘイルで温泉施設と門を吹き飛ばしたグリアナの姿を思い出し、それが十二回も繰り返されたと思うと呆然とせざるを得ない。
「十二体も?すごい…」
呑気な感想を漏らすウタを横目に、グリアナが話を続けた。
「よし、話を戻すぞ」
彼女の声は一瞬で場の空気を引き締める。魔抜けの動きや様子を話し、霊気の本と鍵の件について陛下と議長代理には伏せる計画だと説明しつつ、議長代理に対する疑念をにじませた。
「どうして議長代理が信用できないの?」
ウタが首を傾げながら素直に尋ねる。グリアナの表情がわずかに硬くなる。
「数年前から議員の何人かが私欲に走り、横暴な言動が目立つようになってきた。議長代理もその一人で、いま議会は派閥ができて荒れているんだ」
「その代理って何なの?」
ルネが口を挟むと、グリアナは少し間を置いて話し始めた。
「その数年前っていうのが、先代の皇帝が殺された時なんだ。普段は皇帝が議長を務めるが、今の皇帝は幼い」
「方法と犯人は?」
ルネが矢継ぎ早に質問を重ねる。彼女の鋭い視線に、隣のウタは少し緊張している。これ以上突っ込んで、怪しまれたりしないかと。
「毒殺だ。犯人はまだ、分かっていない…」
その一言が部屋の空気を一気に重くする。だがグリアナは気を取り直すように口元を引き締めた。
「だが、今の皇帝はとてもいい子だぞ。遊びに行く感覚で構わない」
「幼い皇帝に媚びを売るのも悪くないわね」
「ルネ…」
グリアナを前にすると、どこか様子がおかしくなるルネ。そんな彼女を横目に、ウタは言葉を探すが、うまく出てこない。
「いい遊び相手になってくれると助かる。シャイラ」
「はい」
シャイラが黒い布を取り出し、ルネに手渡す。それは微細なスパンコールがあしらわれているようで、角度を変えるたびにキラキラと揺らめく光を放つ。その輝きは夜空に散りばめられた星々を思わせ、まるで夜そのものを切り取って布にしたかのようだ。光の粒が揺れ動くたびに、布全体が生きているような神秘的な雰囲気を漂わせている。
「キレイ…これは?」
「夜天の衣といって、霊気を遮断する布です。霊気の本と鍵を包んで保管してください」
「これでドレスを仕立てれば素敵だろうね」
「いいわね…」
シャイラの説明を聞いたウタが目を輝かせると、グリアナが苦笑しながら告げる。
「その夜天の衣は値段が付けられないほど高いぞ」
その言葉に、布をドレスに見立てていたルネの手が止まった。咳払いをして何事もなかったように振る舞う。
「ふたりも食べていく?」
ルネが提案し、空気が和らぐのだった。
◇
四人は食事を終え、それぞれ思い思いに過ごしていた。グリアナとウタは長椅子に腰掛け、食後の休憩を楽しんでいる。一方、ルネとシャイラは寝室の方で服を手に取りながら談笑し、何やら盛り上がっていた。
「昨日どうだった?」
突然、グリアナがウタに問いかけた。その声に、少し驚いたウタは一瞬きょとんとする。何の話か分からず首を傾げたが、やがて何を指しているのかに気付く。
「やりましたよ!」
ウタは得意げに答えた。その言葉に、グリアナは満足そうに頷く。
「お、そうか。ウタも男になったな」
「男になった」と褒められ、ウタはますます話に熱が入る。
「はい!二本で仕留めました!」
自信満々の声で話すウタに、グリアナは一瞬何かを考え込み、ふと眉をひそめた。
「待て、二本だと?初日からハード過ぎないか?」
「私もそう思います。でも一本では難しかったです」
ウタが真面目な顔で答える中、グリアナの視線は自然とルネとシャイラの方に向けられる。そこでは、シャイラが手に取った服をルネに当ててみながら楽しそうに会話している。その姿を見たグリアナは、なぜか一瞬言葉を詰まらせた。
「ル、ルネ嬢はそんなに手馴れてるのか?」
不意に湧いた疑問をそのまま口にしたグリアナに、ウタがあっさり答える。
「ルネ?いや、ヘラジカですよ」
「ヘラジカ…?」
その単語が頭の中で混ぜ返され、グリアナの表情が曇る。彼女の中で思考がごちゃ混ぜになっていた。
「昨日の狩りの話ですよ…?」
ようやくウタの一言で状況を理解したグリアナは、恥ずかしさを隠すように大きく肩の力を抜いて、長椅子にもたれ掛かる。そして天井を見つめながら深く息を吐いた。
「あ、ああ。なるほど、そいつは凄いな。少し勘違いしていたようだ」
その様子を見ていたウタが、少し身を寄せてきて好奇心いっぱいに尋ねる。
「どう勘違いしてたんです?」
ウタの顔が近づくと、グリアナは一瞬ドキリとした。そんな自分をごまかすように目を閉じ、軽く咳払いをして答える。
「ルネ嬢とキス以上の関係になったのか?と聞いたんだ」
「キス以上の関係ってなんですか?」
無邪気に質問を重ねるウタに、グリアナは一瞬迷った表情を浮かべるが、やがて静かに目を開き、真剣な声で語り出す。
「キスって誰とでもしないだろ?人には誰にでも見せない、触れさせない部分がある」
「はい」
ウタは背筋を伸ばし、真剣な表情で頷く。その様子がどこか真っ直ぐすぎて、グリアナは思わずくすりと笑い、手で口元を隠した。
「それを許してくれたら嬉しくないか?」
「嬉しい…と思います」
ウタが素直に答えると、グリアナはどこか満足げに頷く。そして、わずかに目を細めてウタを見つめながら、少し冗談めかして続けた。
「お節介だが、ルネ嬢はお前が手を出すのを待っているぞ」
「?」
唐突な発言に、ウタは小首を傾げた。彼の困惑する顔を見ながら、グリアナはシャイラとルネの方に視線を移し、さらに言葉を続ける。
「見たい、触れたいと求められることを待っているんだ」
「嬉しいから…ですか?」
ウタの素朴な問いに、グリアナは小さく笑う。
「この世の全ての女性を知ってるわけじゃないが、それが女というものだよ」
「そういうものですかね…」
まだ腑に落ちない様子のウタを見て、グリアナは少し考え込んでから、さらに問いを投げかけた。
「ルネ嬢が触れて欲しいと言ってきたらどう思う?」
その言葉を受けて、ウタは一瞬動きを止めた。だが、次第にその顔は赤みを帯び、みるみるうちに耳まで真っ赤になっていく。そんな彼女を見て、グリアナは肩を軽く叩いて笑った。
「頑張れ」
「は、はい…ガンバリマス...」
恥ずかしさを隠せないウタが小さく返事をする。その声を聞いたグリアナは、少し満足げに目を細めて再び長椅子にもたれた。