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4.


「あなたの国に残っている『神の杖』のデータは、見切り発車で作った、残念仕様」
 真っ黒な瞳は揺るがず、その瞳に映り込む自分の姿は、少し狼狽えていた。
 
「十五年前、開発者が自殺したでしょう? 彼は死を選ぶ前に、設計図やデータのデータの大半を隠してしまった。だから、長らく完成させられなかった」
 確かに、開発者は十五年前、『神の杖』の実用化試験の直前、自ら命を絶った。それは事実だ。
 滔々と語られる話は、信憑性があるように思える。
 この女の口から語られなければ、だが。
 
「待て、なんでそんなことを……お前が知っている」
「本物のデータの存在を知っているから」
「ふざけるな……どうしてお前が」
「全部聞きたいなら、協力して」
 そう言って差し出されたのは、左の掌。茶色の包装に包んだチョコレートが一つ、乗っている。それを受け取る気には、とてもじゃないがなれなかった。
 
「あなたは特殊部隊出身で、国の内情も良く知る人物。能力とノウハウがある。これ以上ない逸材。武器は私が揃える」
「俺に故郷を潰させたいのか」
「それしか考えてない」
 悪びれず、フチノベ ミチルは笑って言った。
 
「『このクソが!』」
 思わず、母国語で怒鳴っていた。怒鳴るのと同時に、フチノベ ミチルへ銃口を向ける。
 ずっと隠し持っていた拳銃。日本では使わないだろうと思いながら、念のために用意していたものだ。
 安全装置を外した拳銃を構えたまま、フチノベ ミチルの反応を待った。しかし、一切怯える様子もなく、ただ淡々とこちらを見つめ返しているだけだった。
 
「俺には国民を守る義務がある」
 相手は武器を持っていないというのに、場に流れる空気は、まるで撃ち合いの最中のような緊張感だ。
 
「それはとても素晴らしい愛国心だと思う。でもそれは、私に関係ない」
「俺は、自国民を害する存在ではない。お前がリエハラシアに災いをす人間なら、この場で排除する」
 そう言いながら、引き金にかけた指の力を、少しだけ強めた。
 フチノベ ミチルは口を開いたものの、喋るのを躊躇った様子で唇を噛む。

 お互い黙ると、街の喧騒のボリュームが大きく感じる。
 この喧騒が気にならないくらい、会話に集中していたのだろう。

 数秒ほどの沈黙。それを破ったのはフチノベ ミチルだった。
「あの日の大統領府には」
 街の喧騒が遠くなるほど、しっかりとした声音で話し出す。
 
「ただ働いていただけの民間人も、大勢いましたよ。その死体の上を歩いて逃げたのを、覚えてますよね。それでも綺麗事を言う?」
 引き金にかけている指の力を緩めた。
 痛いところを突かれた。その事実に反論の余地はない。

「私だって、あなたの国の人たちを苦しめようとは思ってない。だから、協力してほしい。平和的に、でも確実に、あの大統領を追い詰めるやり方を考えてほしい」
 向けられた銃口など気にしない素振りで、こちらを見つめている真っ黒な瞳は淡々と語りかけてくる。
 熱心に説得してくるのではなく、淡々と静かに。
 
 取り出したはいいものの、持て余してしまった拳銃を、ウエストにしまい直す。
「お前に協力はしない」
 はっきり断ると、溜め息の後にくぐもった笑い声が漏れ聞こえてくる。
 
「じゃあ、協力とか小難しいこと言わないから、友達は?」
「……何を言われているのか理解できない」
「あなたは私の命の恩人だから。これも縁ですよね的な」
 さっきまでは気味が悪いほどの威圧感を醸し出していたくせに、笑い出してから急に、緊張感のない所作をする。
 しかも、言い出してきた言葉は、突拍子がなさすぎる。

「私とあなたは、ただの顔見知りよりは、濃いじゃないですか」
「ほざいてろ」
 勝手に友達扱いされているなど、御免だ。
 この世で反吐が出るほど嫌いなものはいくつかある。そのうちの一つが、馴れ合いだ。

「はい、どーぞ」
 殺伐した空気の中、目の前へ差し出された掌にあるチョコレートを受け取れ、とアピールしてくる。
 
「このタイミングで甘いもの勧めるな」
「でも、美味しいですよ」
 フチノベ ミチルは一切めげずに、小さなチョコレートが乗った掌を差し出し続けてくる。押しつけがましい。
 
「いきなり何なんだ」
「ちょっと打ち解けたくて」
「逆効果でしかない」
 掌をぐいぐいと差し出されて、受け取るまで絶対に引かないという強い意志を感じる。本当に何なんだ、これは。
 
「日本に来てくれたこと、感謝してます。あの夜の別れ際、爪痕残しておいて良かった」
 フチノベ ミチルは満足そうに口角を上げた。
 そして、ボトムスのポケットからまた、チョコレートをもう一つ取り出す。
 小さな四角い包みが二個になった。その掌を、懲りずに差し出してくる。
 
「……あぁ。思惑通り、来てやった」
 腹立ち紛れに、奪い取るようにチョコレートを掴み、握り締める。
 一年以上、あの別れ際の一言に、自分が揺さぶられてきたと見透かされて、心底腹が立つ。
 
 かたや、フチノベ ミチルは、チョコレートがなくなった掌を下ろすと、服のポケットから何かを出そうとしていた。
 故郷にいた頃の習慣で、拳銃を取り出すのかと身構えたが、出てきたのはスマートフォンだった。

「連絡先を交換しましょう」
「絶対に断る」
「安心してください。私は、平和的に、確実に、あの大統領への復讐を果たしたいだけ。それ以上でも、以下でもない」
 復讐に、平和もクソもない。フチノベ ミチルの言うことは詭弁でしかない。しかし、今の自分はこの主張を跳ね返す気力がない。
 あの、悪夢みたいなクーデター失敗の夜を、自分自身、許せていないのだ。

「……『クソったれが』」
 母国語が出た。背に腹は代えられず、苦渋の決断でスマートフォンを取り出す。
 
「連絡は一日一回以上必ずね」
「なんでそんな頻繁なんだよ」
「ジョークですよ」
 ジョークだ、と言う割には作り笑いすら見せずに、真顔で言うので真意がわからない。何も考えずに言っているだけのようにも思える。
  
 燃え尽きかけた煙草を、階段のステップに押しつけて消す。新しい煙草へ手を伸ばし、火をつける。
「……俺とお前は友達だ。さぁ、お前が知っていることをすべて白状しろ」
 煙をわざと、目の前にいるフチノベ ミチルの顔にかかるように吐く。
 
「リーシャロには、いつ会えますか?」
 かかる煙を払わずに耐えていたが、煙が目に入ったらしく、うっすら涙目になっていた。
 
「それはやめとけ。リーシャロは女癖が悪くて、性格が悪い。お前じゃ相手にならない」
 皮肉を込めて言ってやった。
 
「そう。残念」
 フチノベ ミチルは瞬きを何度も繰り返して、目の痛みを耐えている。言葉のニュアンスからして、そこまで残念そうではない。
  (リーシャロ)については、喰いついてこないのは、少し意外ではある。

 溜め息と一緒に煙を吐き、煙草の灰を手摺りの隙間から振り落とす。
 風に煽られた灰が街の上に散っていった。
 
 視線をずらし、手摺りの向こう側にある雑多な街並みを見る。
 
 吹いているのは、湿気の多い夜風。
 無数の車列の灯りは光の道を作り、背の高いビルが煌々とそびえ立つ。地面と夜空の境目は光に照らされ、白んでいる。

 日本に来て早々、フチノベ ミチルと遭遇し、さんざんな目に遭っている。大量の情報をぶつけられ、意味ありげな挙動に振り回されて。
 
 もはや、乾いた笑いしか出てこない。
 
 自分の笑い声に驚いたのか、フチノベ ミチルは一瞬目を丸くしてから、こちらを指差して豪快に笑い出す。
「笑うと顔が不気味なんですね!」
「お前、死ぬほどうざいから、もう喋るな」
「うぇい」
 一刻も早く、殺す以外でこの女を黙らす方法を知りたい。さんざんだ。


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