3.
「私は、あなたたちがやろうとしたクーデターの全貌は知らない。その計画を潰した大統領にも、一切協力していない」
フチノベ ミチルが発する言葉に、大きな間違いはない。言い回しがきついだけだ。きついと思うのも、当事者だからであって、第三者から見た景色は、この言葉通りなのだろう。
「武器商人っていうのは、付き合いのある国の内部事情に詳しくなる。特殊部隊のメンバーだったあなたたちの名前を知っているのは、そこまで不自然な話じゃないですよ?」
そう言われると、その通りではある。
だが、
「軍の旧式装備品の売却交渉だと聞いていた。それでなぜ、俺たちの名前を知ることができる?」
任務前のミーティングで、共有されていた情報では「軍で保管している旧式装備品の余剰在庫の売却交渉」だった。
そのやり取りで、特殊部隊所属の自分たちの名前が出てくるとは思えない。
特殊部隊というのは、対外的には秘匿されている存在だ。本名どころか、コードネームすら機密扱いになっていた。
つまり、軍や大統領と、かなり深い話をしていなければ、知るはずがない。
「……そうですね。表向きは、そう言っていたはず」
フチノベ ミチルは踊り場から足を踏み出し、階段のステップを一段踏む。
「私たちは、あなたの国で一番価値があるものについて、話をしていました。でも、話を切り出したところで、金髪の男が現れて……あんなことになった」
自分の故郷で「一番価値があるもの」と言われ、すぐに思いつかない自分が恨めしい。
フチノベ ミチルは一歩ずつ、ステップを進んでいる。じわじわと距離を詰められている。
自分とフチノベ ミチルの距離は、階段のステップ一段分。
そして音もなく軽やかに、フチノベ ミチルは自分の目の前に顔を寄せてきた。フチノベ ミチルが、すっと息を吸い込むのが聞こえ、その近さに嫌悪感が募る。
フチノベ ミチルは小さく笑う。何を意図した笑みなのか、自分にはわからない。
「あの夜、私と母が大統領と取引する予定だったものは」
そこまで言って、フチノベ ミチルは、すぅっと深く息を吸い込んだ。
それから、言葉を吐き出す。
「……『神の杖』です」
それを聞いて、一瞬、息が止まる。
笑うフチノベ ミチルと目が合う。何を考えているのかわからない女の微笑みは、人を不快にさせるには十分だった。
「私が、あなたを名指ししたのは、ちゃんと理由がある」
脳内は情報の整理でただでさえ忙しいのに、フチノベ ミチルは言葉をさらに続けてくる。底なし沼みたいな真っ黒い瞳は、自分を品定めしている。
その瞳が微かに揺れたのを見て、やっと冷静になる。
この不愉快な距離感に猛烈な殺意を覚えて、思わず母国語が出た。
「『今すぐ下がれ、でないと殺す』」
意味はわからなくとも声のトーンから理解した様子で、フチノベ ミチルはすぐに一段下がった。
今、この女の口から出てきた言葉は、無理やり鉛玉を飲み込まされたような不快感を催す。
『神の杖』とは、国家最高機密に分類される、開発途中の新兵器の名前だった。
15年も前に開発は頓挫し、未完成の設計データだけの、まさに「机上の空論」の産物。だが、それに興味を示す大国はいた。
戦争を有利に運ぶために、より多くの支援をさせる約束と引き換えにする最後の切り札として使うと意識していた。まさか、一介の武器商人へ売るとは聞いていない。
大統領は、こんな武器商人に売ろうとしたのか。呆れてものが言えない。
「後ろ盾になってくれそうな大国じゃなくて、こんな民間の武器商人が『神の杖』の取引を持ち掛けたのか、って思ってるでしょ?」
フチノベ ミチルは苦笑いして受け答えしているが、目が笑っていない。
さっきからずっとそうだ。
一年前よりも確実に変わったのは、眼の光が濁ったところだ。少なくとも、大統領府の応接間で、自分の腕に縋り付いてきた眼とは違う。
「その通りだ。大統領の行動に落胆している」
これはとても不謹慎な発想だが、金髪の男が、この女の母親である武器商人を殺したのは、あながち間違いではなかったのではないだろうか。
「よりによって国家最高機密の兵器を、お前と母親に売ろうとしていただと? 国家レベルならいざ知らず、民間の武器商人ごときが出せる見返りなんか、ないだろう」
一段下にいるフチノベ ミチルを睨みつける。
だが、相手はまったく動じず、微笑む余裕をまだ失くしていない。
「そもそも、『神の杖』の技術を売ろうとしたのは大統領だと、誰が言いました?」
「は?」
フチノベ ミチルの突拍子もない言葉に、首を傾げる。