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3.

 

    *


 
 ほんの三十分前まで、わずかながらでも空を照らしていた太陽の名残は消え去り、濃い青の空には星がちらほらと輝き始めていた。
 体の芯まで冷え切ってしまいそうな空気が、息を吸い込むたびに肺へ入り込む。肺から取り込まれた冷気が血液に乗り、体中を冷やす、そんな気がしてしまう。
 
 廃アパートメントの屋上。二時の方向に、大統領府が見える。
 自分は腹這いになり、|狙撃銃《L96A1》のスコープ越しに、大統領府の応接間を覗いていた。隣には、同じ体勢でスコープを覗く、|茶髪《ブラウンヘア》の後輩がいる。
 
 ものものしい護衛付きの車列が大統領府に到着したのが、一七時三十三分。
 予定通り一八時から、応接間で大統領と軍トップの国軍長官、日本から来た武器商人だろう中年女の合計三人の晩餐が始まっていた。
 
 和気あいあいと最初は始まり、すぐに不穏な空気に代わっていた。
 大統領の顔色は悪くなり、国軍総帥は渋い顔で何度も頷いている。
 交渉はだいぶ不調なようだ。
 
 それが、作戦開始直前にスコープから覗いた景色。

『〇七分、ちょっと早いけど開始しま~すよっと』
 イヤフォン越しに聞こえたのは、赤毛の男ののんびりした掛け声だった。
 本当に気が抜ける。何度も注意しているが聞いた試しがない。
 
「周囲の確認頼む」
 イヤフォンのマイクだけ切って、背後にいた茶髪の後輩へ声をかける。茶髪の後輩はビクッと肩を揺らして、眼を震わせながら頷いた。何に怯えているのか知らないが、この茶髪の後輩はいつも、話しかけるとビクッと肩を揺らす。

 茶髪の後輩は、緊張した面持ちで周囲を見回し始めた。
 
 大統領府にいる警備は、軍からではなく警察から配備されている。
 法執行機関の装備と訓練は、軍の、しかも特殊部隊である我々の比にはならない。

 まず、警備の人間から撃った。
 門前の警備と建物内の巡回をしている警官を、騒ぎになる前に一人一人撃ち抜く。

 その間に、送電設備は諜報担当が操作して停止させる。
 大統領府の灯りが一瞬にして落ちる。
 それでも建物からは、異変を知らせる動きはない。
 
 叫び声も上げられないうちに、自分たちがみな倒していくからだ。
 
 館内に入った近接戦部隊が片付けている。
 自分と後輩は、近接戦部隊の動きが外に察知されないよう、あらゆる邪魔を排除するのが役目だ。

 ここまでは計画に寸分の狂いもなく進んできている。
 もしかすれば、予定よりも早く遂行完了できる、とわずかに思った瞬間だった。

「あ、あの、応接間で、あ……」
 茶髪の後輩が、上ずった声で何かを知らせようとする。肩どころか、体全体が震えている。
 正確な状況報告すらできない後輩に舌打ちが出たが、急いで応接間の方に狙撃銃を向け、スコープから確認する。

 応接間にいたのは、窓辺まで追いやられ、応接間の入り口の方を見つめている様子の、大統領と国軍総帥。
 
 応接間のテーブルのそばには、車の中にいた中年の女が頭から血を流して倒れている。そして、その中年女を、蹲って抱き締めているのが、どこからか現れた黒髪の若い女。――この女は何者だ?
 
 そして、イヤフォン越しに何かを確認している様子の金髪の男。――この男は、自分と同じ部隊の、今日も作戦をともに実行するはずだった同僚だ。
 
「一体どうなっている?」
 スコープから顔を上げ、隣にいる茶髪の後輩に向かって、思わず声を荒げた。
 茶髪の後輩はビクッと肩を揺らし、こちらを向くと、何度も首を横に振る。その場面は見ていないのだろう。
 おどおどとして頼りない茶髪の後輩の姿を見て、苛立ちが隠せない。

 金髪の男は、中年女を抱き締めている若い黒髪の女を狙うかと思った。だが、窓辺にいる大統領と国軍総帥に何かを話しかけていた。
 
 そして、撃った。
 大統領ではなく、国軍総帥を。
 
 金髪の後輩は、大統領の手を取り、エスコートするような手つきで応接間を出て行こうとしていた。
 
「おい、何してる!」
 イヤフォンのマイクをオンにして、部隊全員に声をかける。本当に返事が聞きたい相手は、金髪の後輩だ。
 
『あんっのクソガキ、自分以外の仲間、みんな殺しやがった』
 返事をしてきたのは、一時間ほど前に屋上で話していた諜報担当だった。
 諜報担当がクソガキ呼ぶするのは、大統領をエスコートして消えた、金髪の男だ。自分たちより十歳は歳下で、生意気な性格だったので「クソガキ」扱いだ。
 
「大統領と逃げた」
 怒鳴りそうになるのを抑え、見た光景をイヤフォン越しに伝える。
 
『知ってる。で、今、駆けつけた警察が大統領とクソガキを保護していった』
「……あいつに裏切られた」
 外にいる諜報担当は、中にいる自分よりも状況が見えていた。
 
『なんかヤバそうだから、俺は撤退するね~。お前も適当に逃げてね~』
 ブチッと通信ごと切られ、思わずイヤフォンを投げ捨てたくなったが、痕跡を残すのは二流の仕事だ、と抑える。
 おそらくこれが最後に聞く諜報担当の声は、言葉だけはいつも通りだったが、少し震えていた。

「あ……あ」
 会話には加わっていなかったものの、イヤフォンを通して情報を共有していた茶髪の後輩は、目を見開いて座り込む。
 茶髪の後輩の、焦点が合わない眼は、虚空を見つめている。完全に戦意を喪失してしまっている。そして、後輩は、震える手で|拳銃《P226》を手にすると、口に突っ込もうとしていた。
 
「待て、落ち着」
 言い切る前に、カシュッと音がした。
 発砲音だ。
 後輩は屋上の地面に、そのまま倒れていく。
 後輩の頭の下には血溜まりが広がって、その血をコンクリートが少しだけ吸っていた。
 力なく床に投げ出された右手には、銃口部に僅かに涎のついた拳銃がある。

 狙撃手は捕虜にはなれない、と我々はさんざん叩き込まれている。
 敵の憎悪を一身に買う以上、敵からは人間として扱われない。
 
 だから自決用に拳銃を、そして自決のための弾は一発、絶対に残しておけ、と。

 後輩はこの局面で死を察した。だから脳幹を撃ち抜いて自決した。
 
 
 ならば、自分はどうする。



 

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